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自分では気付けない。パラダイム→固定観念→思考停止→争い

友人が子供の不登校で悩んでいました。

「そっか、大変だね。」

と言ってみましたが、
「悩んで考えて、成長できるチャンスだね。」と思っている自分に気付きました。
僕も経験があってそういう風に考えてました。

不登校という事実に対して、絶対的な解釈はありません。

事実にたいしてその人の見方があるだけです。

この見方をパラダイムと呼びますが、これが無茶苦茶厄介だと思っています。

パラダイムが固定観念になり、争いが起きます。

子供の教育において
父 のびのびと自然の中で育てたい。
母 なるべく選択肢を持てるよう良い学校に入れてあげたい。
どちらも子供の幸福を願っています。

しかし、これをきっかけに離婚に至る夫婦はざらのようです。フジモンもそうらしいって(ネット情報でみましたw)

僕の解釈では
パラダイム→固定観念→思考停止→争い


パラダイムの違いが、争いの根本原因になります。これは大きな世界でも同じです。

世界で起きている戦争の根本原因はなんでしょう?
キリスト教的なパラダイム、イスラム教的なパラダイム、金融資本主義的なパラダイム、共産主義的なパラダイムこのぶつかり合いです。


「パラダイムの固定観念化は自分では気付けない。」

先日アフリカに行きました。ガイドさんから「1日100円以下で暮らしている人がたくさんいます。」

と聞いて可哀想だと思いました。

みなさんも思いましたか?

これは資本主義的な自分のパラダイムで、1日100円以下の生活を自分のパラダイムで勝手に判断しているだけです。
不登校は可哀想、学歴がないと可哀想と同じ様にただのパラダイムです。

スマホを一日中見ている日本人の子供より、自然の中で友達と遊んでいる子供が絶対に不幸だとは言えないでしょう。

しかし人は自分が1つのパラダイムでモノを見ていると思うことが難しいのです。(じゃなきゃ離婚したり、戦争したりしません)


パラダイムは本来、自分がパラダイムで見ていることを分かっていれば(思考停止しなければ)
違いに出会うことで、創発イノベーションや新しい気付き、学びになります。

さらに厄介なのが、成功体験が固定観念化を進めるので、

偉い人ほど固定観念→思考停止→気づいてない

に嵌まりやすい事を見てきました。


どうしても自分のものの見方に執着してしまうのが人間なので、そんなパラダイムの囚われを書き記し、自分を見つめ直すような記事を書いていきたいです。

組織運営においても最も重要な事のひとつなので、そこはかなり工夫して会社に導入しています。

パラダイムからの解放が組織の土台

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