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「動機善なりや私心なかりしか」だけでは足りない

先日、京セラを創業した稲盛和夫さんの主催した盛和塾の後継団体の世界大会というイベントに、盛和塾が解散してからはじめて参加しました。

盛和塾をきっかけに仲良くなった気心の知れた友人と、終わった後にお酒を飲みながら会話をしました。

経営者として、「この意思決定は本当に正しいのか?」

プライベイトでも、会社でも大きな意思決定には必ず賛否が存在します。
ついつい、反対意見に反応して不安な気持ちを見せたくない、納得させるために防御姿勢になり、意思決定を正当化するための思考に陥りがちです。

気心の知れた信頼できる友人だからこそ、自分の思考プロセス、不安に思っている事、陥っているかもしれない固定観念。そんな事を素直に話した上でのフィードバックは貴重な時間でした。

稲盛さんの言葉に「宇宙の意志」と調和する心という言葉があります。
~「宇宙の意志」は愛と調和と誠に満ち満ちています。「宇宙の意志」と同調するのか、反発するのかによってその人の運命が決まってきます。~

自分の「考え方」が「現実」を作る。因果の法則。原因と結果の法則。
稲盛さんのおっしゃっている事の根本は、全てここに帰着するのではないかと思います。

つまり、「上手くいかないのは全て経営者の思考に因を発する。」という事です。

さて、最近本の出版に伴って様々な経営者向けに講演会を開催し、その後の懇親会で多くの対話をさせてもらっています。様々な企業の支援にも携わらせて頂いています。

その中で感じているのが冒頭の
「動機善なりや、私心なかりしか」の思想です。

宇宙の意志、因果の法則と同じような話のように思うかもしれません。

しかし実はこの言葉に加えて稲盛さんが盛和塾で話していた内容が、とても重要だと思うのです。

「毎晩、毎晩、数ヶ月に渡って自分に問い続けた」

この言葉は、稲盛さんが50歳を過ぎ現在のKDDIの前身を創業された際のお話です。
稲盛さんほどの人格者で既に成功され人間的にも成熟された方が、新しい事業を起こす際に、「動機善なりや、私心なかりしか」と問うてはじめた。だけでなく

「毎晩、毎晩、数ヶ月に渡って自分に問い続けた」
のは、なぜか?

ここにこそ、本質が隠れているのだと思うのです。

つまり、自分自身の「動機、私心」は心の奥底に隠れていて、
「自分で自分の心は簡単には分からない。」
という事だと思うのです。

この事は、会社経営だけでなくプライベイトでも同様の事が起きます。
例えば、子供の教育について
「真面目に勉強に取り組んで欲しい。」という考え方や
「今の教育制度は間違っている。」という考え方

一見すると
「動機善で、私心のない」考え方のように思います。

しかし本当にそうでしょうか?愛と誠と調和に満ちた考え方でしょうか?

「真面目に勉強に取り組んで欲しい」と願う気持ちの奥には
そんな子供の親であることで、自分自身が安心したいというエゴはないでしょうか?
自分が学歴で苦労した、そんな目にあわせたくないといった、ネガティブな想念を起点にした私心が含まれていなでしょうか?

「今の教育制度は間違っている」と考える起点には
現在の教育制度を作った人、現場で一生懸命教育に携わっている方への尊敬の念はあるでしょうか?調和の心を持っているでしょうか?
制度を批判することで、自分を満たすエゴ的な心の動きはないでしょうか?

経営者に視点を移すと
「今まで自分が積み重ねてきたことを否定したくない」という執着
「自分で考えてやりたい」というエゴから発する、歴史的に様々な人が経験して学んできた事、セオリーに対する尊敬の欠如(学ばない、言うことを聞かない)
「社会課題に対する正義」に発する怒り=他者への尊敬の欠如
「まわりにいる経営者と自分を比較して妬みのエネルギーを使ってしまう。」

仏教で言うところの、貪瞋痴のエネルギーに支配されてしまいその事に、
「自分で分かっていない」事が非常に多いように思います。

だから、「良いことをやっているはずなのに上手くいかない」という事が起きるのだと思います。教育においては「こんなに子供のことを思っているのに、どうしてこんな事になっちゃったの?」となるのです。

稲盛さんですら
「毎晩、毎晩、数ヶ月に渡って自分に問い続けた」のです。

会社経営や、教育、重大な課題であればあるほど、考え方の「起点」が結果を決めてしまうという事が本質です。

ちょっとした事で、あげ足を取られてしまう同調圧力の強い世界では、心の奥底のネガティブな動機や私心を見つめたり、相談する事が恐怖ですらあります。

その事が、「自分で分からない」事を強化してしまうのかもしれません。
信頼でき、弱みも汚いところもさらけ出せる仲間が大切な時代なのかもしれません。

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