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「推し」をめぐる事象に対して「全肯定する」マインド

こんばんは。Gchan 00です。
ヲタクです。

みなさんは「推し」てるひと、もの、等……ありますでしょうか。

何かしら「推し」てるとして話を進めますが……

そんな「推し」をめぐる状況は良いことも悪いこともありまして。
僕らはその目まぐるしく動く状況に一喜一憂してしまうわけでございますよ……

この世の中、疲れることだらけ

そこのあなた!現代社会に疲弊してませんか??
仕事や、日常の些細なイライラ、人間関係、政治、……

最近だと「新型コロナウィルス」の問題もあるし、我々の心は大変疲弊しているのです……

そうすると、なにかにすがりたくなるなぁ……と。

そこで「なにかを推す」行為!
(「推す=好き」程度の弱い定義としています。よろぴく。)

好きなひと、もの、現象でもいいですし、学問とかでもいいです。
「なにかを推す」こと。

しかし、「推し(=好きなもの)」は好きだけではやりきれない状況、現象、ニュースetc.が発生します。
哀しいかな。

「『ネガティブ』に絶対値をつけて楽しむ」という暗示

そんなよくないお話たちに「怒って」るひと。けっこういるんですよね。

それって普段受けてるストレスと同じじゃないですか?
せっかく息抜きとして「推し」てるのに。

「そうやって楽しんでるんだよ!」
というのであればそれはそれでいいかもしれません。
ただし、他者を傷つけるような行為が伴うならば「あなた自身がストレスの原因」となるので、「推し」の界隈からは退いてください。
この先の話でもフォローできません。ざんねん。

「よくない話」に対処するひとつの方法として。
「『よくない話』という推しの構成要素」とみてみるということ。

つまり、全部ぜーんぶ受け入れるのです。

あなたの「よくない話」で覚えた嫌悪感、結局「あなたの価値観(≠常識)」と照らし合わせただけの他者にとって「どうでもいいもの」なんですよね。
そして、そんな「どうでもいいもの」を出されれば誰かが「どうでもいいもの」を受けとる……
悪い傾向です。

どうせ「どうでもいいもの」にするなら、

「全肯定してしまえ!」

という話なのです。

「全肯定」は余裕がうまれる

いい人にならなくていいんですが、とにかくなんでも「受け入れて肯定する」というココロのムーブ。

「そんな余裕ねーよ!バーカ!」
「心の余裕があればそんな考え方も出来るよね」

とか言われそうなGchan 00。
そんなことありません。
というか、「心の余裕」と「全肯定」はおそらく『鶏と卵のパラドクス』のような関係かなと思います。
つまり「どっちが先でもあり後でもある」ということ。

じゃあ無理やり「余裕」、作っちゃいましょうよ!

どっかで一度「全肯定ムーブ」をすると、勝手に余裕がうまれます。

たとえば、

推しのアイドルに彼氏発覚!!!

とか。
結構憤慨されてる方いらっしゃいますよね。

そこで!

推しのアイドルに彼氏発覚!!!」を受け入れて
→「おめでとう!」

と思ってみるわけ。
仮に「憎しみ」がわいていても、半ば無理やり「おめでとう!」と言い、心でも思ってみる、と。

思い始めはなかなか難しいでしょうが、もうそれは無理やり。

だんだん心が落ち着いてきます。
ね?
ね???

ガチ恋なら、受け入れ祝福した上で「俺がもっと上回って付き合ってやるんだ!」精神でもいいです。
これぞ余裕のガチ恋。

割と荒れがちな具体例ですが、わかりやすいかなぁということで。

もしくは、

新進気鋭グループによくある「一期生ヲタによる二期生アンチ」

とか。いるいる~👉
似たようなので、「新進気鋭グループの系列の先輩グループヲタによるちょっとしたdis」とか。

こういうのをみたら、

一期生が築いたものはあるからなぁ
こういう意見が二期生を育てるし、両者含めたグループへフィードバックされて全体がよくなる

という「言ってるヤツへのちょっとした皮肉」が一点、
「えっ、二期生入ってくんの…?」と思っちゃった時の心持ちは、

新しい風が吹き込んでくるぞ……!
一期生の伝統を守ったり、かき回したり、新たな伝統を作ったりして、一期生が形にしてくれたこのグループをさらに飛躍させてくれ……っ!

みたいなゴリゴリのポジティブシンキング。
それだけで余裕できまくり。

(実はこんなことがさっきあったので一例にしました)

「趣味」「ヲタ活」で意識改革したら「現実」にも返ってくるよ

もうここまでくると、「推し」について考えると「心の余裕」がうまれるという流れが出来ます。

その流れが出来ると、「推しによる『浄化』」&「心に余裕がうまれる」ことにより、いわゆる「現実=普段」に対しての心のリソースも増えるわけですよ。

ちょっとアレなブログとかの話っぽくなりましたが、割とマジです。

同じ「面白くない」なら「『面白い』面白くない」に変えちゃえばいいという。
そんな考えを「現実」に持ってくる必要は必ずしもないですが、せめて「趣味」に対してはそう考えた方がトータル楽しめません?

って感じ。

というわけで

余裕を持てないひとも多いだろう現代社会。
ぜひとも「謂れのない悲しみ」を背負うことのないよう、地球を楽しんでほしいなぁと……

あ、哲学的な話も好きです。

まぁ、これ読んで「お、ええな」と思ったらやってみて……
界隈も元気になるよ……たぶん。

というおはなしでした。ばーい👋

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