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甘やかすのではなく、大切にしている。

 ストレスになることをなるべく減らしていく作業を少しずつしている。

 というと大変大層なことをやっているような感じだけれど、全然普通!
 たとえば、最近ヘアゴムをまとめ買いしたんですよ。30本。私は髪が多くって、細いゴムだとすぐに切れてしまったり、そもそも束ねられない。なので太めのヘアゴムを使っているのだけれど、やっぱり買う場所によって質の良し悪しがあるんです。100均のものだと下手すれば3日で切れたり。コンビニに売っているものだと長持ちするんだけれど、それもまあ寿命が長いというわけではない。もって3ヶ月とか。

 で、これがなかなかに微々たるストレスを生みだしていたのだ。ないと困る。けれど「無くなったら買えばいいか」と思っているとあっという間になくなって、買わねば買わねばと思っていると1週間くらい忘れて、その度に「あー…また買い忘れた……」と、うすぼんやり陰鬱な気持ちになる。

 それを、amazonで買いだめしたんです。
 品質が悪くてもいい、切れたらすぐに替えればいい。品質に迷うストレスよりも、頻繁に買わねばと思ったり買い忘れたと思ったりするストレスのほうが絶対に心をすり減らしていく。だからえいやっと買いだめをした。ああスッキリ。(そしてとても品質が良くて全然減らない)

 これは一例だけれど、日常のなかにはこういう慢性的な小さなストレスがたくさんあるんだなと思い始めています。みんな生まれて早々に気付いていることなんだろうか。

 服を制服化したいのも、服を考え無ければいけないという日常の小さなストレスを軽減したいからだ。ネイルをアウトソーシングにしたのもそうだ。なにかするはずだったのに忘れた!と思うストレスを減らすために、こまめにメモを取るようになったのも。どうしたら面倒じゃなくなるか、どうすればストレスを軽減できるか。そういうことに力を費やすようになった。

 ここ2年くらい、相当な理由がないかぎり自発的にテレビは観ないようにしている。

 以前は、何か音が欲しくて、朝起きたらテレビをつけ情報番組を観、帰ったらNHKを観、深夜までダラダラとテレビをつけていた。なんなら観ずにつけたままにして、別のことをしていた。環境音としてのテレビ。

 それが、いつからか、テレビで報じられたり、企画されたりする物事が、非常にストレスになるようになった。
 過剰な演出。人を貶めることで笑いが生まれたり、人の家庭のくだらないゴタゴタを延々と流したり。同じ情報をくり返しくり返し流すことや、結局結論を出さずうやむやにする姿勢や。

 人の悲喜交々に、私は影響されすぎてしまう。特に怒りに関して。自分に起きたできごとじゃないのに情報が入ると自分も怒ってしまうし、しばらくはむかむかとした気分になる。

 テレビを否定するわけじゃないけれど、私には刺激が強すぎる…(ポムじいさん)

 それに、音が欲しいときの選択肢が私にはたくさんある。Spotifyもあるし、Youtubeでダラダラと何かを流すこともある(なるべくセンセーショナルじゃないものを選ぶから、大体誰かが料理をしている動画か誰かがゲームをしている動画に落ち着く)。あとプライムビデオでそれぞれのシーズンの1話目だけ無料で見れる名探偵ポワロを繰り返し見てたり。私のなかの妥協できる刺激は多分30年前のミステリーの死体までなのだな。

 「ストレス発散が下手」と前々から言われていて、「ストレスって言っても目に見えないしなあ」とか思っていたら帯状疱疹が出たりした私にとって、結構大きな進歩なんですよ。
 小さなストレスに気が付く。小さなストレスは、自分の行動をちょっと変更したり、お金を多少出せば解決することが多くって、自分で工夫をしながら軽減を目指す。生活の創意工夫だ。

 どうしたって、人間社会を生きているとストレスを感じる。在宅勤務から出社になった時にそれをめちゃめちゃに感じた。電話の音も嫌いな人が視界に入るのもストレス!どう暮らしたってストレスがあるのだから、私は自分で解決できるストレスはなるべく軽減することにしたのだ。

 これが、自分を大切にすることなんだろう。甘やかすわけじゃないけど、大切に思う。ようやくすこしだけ、できるようになってきた。

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