見出し画像

チバユウスケと私

 師走の昼下がり、ニュース記事はヒーローの死を伝えていた。

【チバユウスケさん、食道がんで死去】

 「ああ」と唸るしかなかった。ガンはそれを望まない人を遠くへ運んでいくもので、自分の祖父もそうして去っていった。目に映る「チバユウスケ(55歳)」という文字のすべてが目に痛く、そこから心にぶつかり、軋んで響く。その瞬間はずっと、やはり「ああ……」としか言えなかった。

 私が高校生の時にギターを持ち、大学のサークルに入ってコピーしたバンドの一つがTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTだった。

 当時、先輩のSさんが大ファンで「カバーバンドをしよう!」と言ってくれて世界の終わりやドロップなんかを演奏した。楽しかったな。ドラムを担当してくれたのは公務員に内定が決まっていた穏やかなAさん。練習はほど良いBPMだったが、本番は緊張したのか何故か速度が落ち、のんびりもっさりした世界の終わりとなった。農道をトラクターで走るような世界の終わりを演奏できたのは良い思い出だ。正直フレーズが弾きやすかったので悪くない。Sさんも歌いやすそうだった。

 ミッシェルのカバーはとても勉強になった。アベフトシの切り刻むようなフレーズは当然完コピには程遠かったが、あの6弦から1弦へと弾く際に左手で弾かない弦をミュートし、狙った弦だけ弾く技術を体得できたのは良かった。いや、かなり良かった。おかげで後に誘われた椎名林檎のカバーバンドやオリジナル曲のバンドでも役に立った。

 忘れもしないのが、あの金曜日の夜の部室のことだ。
 夜、私は部室に一人でいた。家にいても暇だし、楽器の転がっている部室はすっかり庭と化しており、たまに弾くベースやキーボードは楽しかった。
 「そういえば……」
 と、テレビをつけた。
 その日はミュージックステーション(以下、Mステ)にミッシェルが出る日だったのだ。間もなく始まったMステにはいつもの四人、そして後々問題になる海外アーティスト等がいた。まあまあ察しのいいタイプなので、CM明けに始まったミッシェルのトークで「なんかあったな」と思い、色々な曲を楽しんだ後、あのラストが始まった。後にも先にもテレビ番組を見て立ち上がり一人で騒ぎ興奮したことはないかもしれない。

 ちなみにチバユウスケは一度観ている。
 2005年のアラバキだ。その時はROSSOで、いわゆる四人組の新体制の時である。相変わらず格好良くて、アウトサイダーやシャロンをやってくれたが、一番覚えているのは風が強く砂ぼこりがひどかったのでチバが「砂ぼこり多すぎだろ!!」みたいなことを半笑いでぼやいていたこと。確かにひどかった。このせいで次の年に場所が変わったのかも。でもLIVEは最高で、他に浅井健一のJUDEやハイロウズが連続していて、今ではあり得ないことがそこでは起きていた。

 とまあ、こうして書いてみると人生にチバユウスケは関わっていた。
 いや、自分が積極的に関わりにいっていた。LIVEでバンドの方へ手をのばすように。なぜなら良い音楽だから。これ以上のことはないと思う。今聴いても世界の終わりは熱く、シャロンは美しい。GT400はドキドキし、ドロップは深く大きい。曲を挙げればキリがない。最高な音楽ばかりだ。

 音楽が残っている幸福を感じながら、チバユウスケの作った音楽を聴いていきたいと思う。なにより「これからもよろしく」と言いたい。
 最後に大好きな曲のリンクを貼っておく。では。