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生き方論の地平 プロローグ

 どうも私は、書くことによってやっとわかるということが、多いようだ。逆に、読む、という行為からは、エクスタシー的な「浸る」という言葉がピタッと嵌まる、ある種の快感はあるものの、いつもそこでは「答え」はみつけられなかった。なんかこう言うと、聞こえがいいようで恥ずかしいんやけど、これは、私の頭の悪さなんやろなと、今は想う。そして、その頭の悪さは、多分、普通に頭のいいヒトたちとは少し違った風景を、私に見せてくれるのだろう。だから、「先のものはあとになり、あとのものは先になる」という聖書の言葉に、私は「あんたはあんたでええんちゃうか」みたいな安心を授かるのです。つまり、読んだこととか、場合によっては、言われたことなど、外から入ってきた言葉の殆んどすべては、私にとって分からないことだらけで、特に、その「意味」は、私にとって少なくともリアルタイムでは消化しきれないものばかりだったように想う。せやけどや(だけどね)、そんな外から貰ったり受けとめたりした言葉たちは、私の意識の陰にある沼のようなところに静かに深く沈み込み、そして、記憶の海原の奥深くに流れ入って、それが、ふとした拍子に海面に浮かび上がって来ることがあるんです。そんな、浮かび上がった言葉(あるいはイメージ)は、もう、私のものなんです。たとえ貰ったときと、一字一句同じであったとしても、私の、ものなのです。それが、どんな感じかって言うと、たとえば、他の人(外の人)の記憶と、自分自身の記憶を比べたときの、暖かさ? 胸の奥にしみるような、親しい温もり? みたいな違いによって、自分のもんやって確信するような、そんな感じ。
 元に戻るけど、打てば響くような頭の良さは、私には無縁っていうか、あり得なかった。咄嗟の口喧嘩は、自慢じゃないけど、弱かったもんね。その代わりと言っては何なんですが、ずっとずっとずっと、ああでもないこうでもないとこねくり回して(良く言えば熟成させて)、最後の最後で浮かび上がってきたものは、たとえそれが、他の人には当たり前のことであっても、私には、長い時間をかけてこねくり回した分、驚きと発見の歓びに溢れた、自分のもんっていう自負が芽生えるのです。外から観たら、「あんたええ性格してるわ」って言われそうやけど、ほんま、自分でも掛け値なしでそう想う。
 ソクラテスさん(みたいなええもん)じゃないけど、「知らんかった! こんなことが分からんなんて、おもろい!」と想えるところが、私の強みなんやろな。多分、言葉をくれたヒトたちは、「だからー、最初からそう言うてる(書いてる)やんか、分からん奴やな(怒)」って言うやろな。ごめんなさい。
 で、読む以上に溢れてくる言葉を、ここではランダムに吐き出して、いや、それはきちゃない(汚い)から、「解き放してあげようと想います」って奇麗に言うとくわ。だってさ、とにかく、先ず出さんことには入れられへんのです。自慢じゃないけど、読みかけの本が、あっちこっちに散らばって、いや、もう、収拾つかんねんか(収拾つかないんですよね)。そんな外から来た言葉たちはそれぞれに、ワクワクするテーマの甘い匂いを漂わせて誘惑するんやけど、一方私の中では、これはとりあえず吐き出して、いや、もとい、書き出しておかんとあかんやろ的な考え(言葉)が、出口を求めてポロポロ溢れてくるんです。そして、書いてみてはじめて、あの時書いたことと同じことを違う言葉で繰り返してるやんか、とか、逆に、あのころ考えてた時、なんか引っかかってたことは、こういうことやったんか、みたいな発見があったりとかするねんな。これがまた、面白くてね。兎に角、書いてはじめて、自分が書いたことに教えてもらえる、導いてもらえる感じがあってですね。皆さんどうですか。ちゃんと理路整然と、まるで建築家のように、筋道立てて、言葉を構築してますか。ていうか、そんな構造物造るような言葉ではなく、菜園的な、世話をして育てていくような感じやねんな、私の場合。だから、ここに、耕す前の農地をいただいた農夫のような感じで、いろんな種を蒔いてみて、育てばよし、万が一枯れても、それを肥やしに、やっぱりなんか、育ててみたいという感じです。

 「生き方論の地平」を始めるにあたって、長々と、半ば言い訳のような前説させてもらいました。
 私、本当は、議論大好きです。ご批判、ご教授、ご意見、その他なんでも大募集してます。よろしくお願い致します。

 なお、「生き方論的ななにか あと倫理とか 詩とかも」はどぉすんの、というツッコミに対してお答えしときます。シーズン2は「生き方論的ななにか あと倫理とか」とし、「詩とか」は、こちらの「生き方論の地平」に引っ越します。中身的には、しばらくの間、「生き方論の地平」で暴れまくって、好き勝手、やりたい放題やった挙げ句に、得られたもの、見えてきたもの、わかったことなどがあったとしたら、「生き方論的ななにか あと倫理とか シーズン2」に還元したいと思ってます。てことは、なに? まさかとは想うけど、シーズン2を見ないまま、私の人生、終わるかも知れんわけ? いやいや、そんなことでは、わたくし死にきれません。想うことはいっぱいあるので。でも、ま、そうなったとしても、それはそれとして、眼の前にある、この面白そうな人生の扉(何枚目かな?)を、ワクワクしながら、さあ、開き(拓き)まーす。

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