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往復書簡⑥学生からの応答/後半

最終回である今回は、鈴木啓之先生、早尾貴紀先生、鵜飼哲先生から5月にいただいた言葉に対する学生からの応答の後半を掲載します。前回に引き続き、この文章では、ガザ・モノローグを行う東大生有志の会の6名が一つずつ応答を担当しています。文体や形式はあえて揃えず、学生有志各々が個人として、先生方にお返事をする手紙のようなものとして、読んでいただけますと幸いです。

鵜飼先生のおっしゃるように、「学生運動の使命の一つが言葉の発明」であるとすれば、朗読や往復書簡という、「言葉」の力に向き合い続けるこれらの取り組みは何を生み出しうるか。本往復書簡が、この問いに向き合うための一助となることを願っています。


4. 先生が専門家としてパレスチナに関して発言や運動をする際に自らに戒めていることはあるでしょうか。

手の内を明かせば、この質問の当初の意図には、先生方が、しないようにと戒めていることを聞き、わたしたち自らの糧にしようという思いがありました。そのままトレースして、持ち帰ることのできるような、何か極めて一般的な回答を期待する魂胆があったといえます。
しかしいざ三名の回答を並べてみますと、まず気付かされるのは、この質問が図らずも、先生方にご自身の紹介を迫る問いかけになっていたということです。もちろんそれは、ご著書のそでに簡潔に添えられた、経歴と著作を追うような文とは、明らかに違う佇まいをしています。
書かれていることを比べつつ読んでいけば、ひとまず三つのご回答に共通するのは、質問にあった「専門家として」との言葉への違和感であったと言えましょう。鵜飼先生は自身はパレスチナ問題の専門家とは言えないと明確に否定されました。早尾先生は半ばなりゆきで半ば意識的に獲得された「怪しさ」を強調します。鈴木先生は「〜として」に並ぶ言葉を置き換え、「専門家」という言葉をみずからに担わせることはしません。お三方に添えて述べれば、鈴木先生の引用されたサイードの文章では、「専門家」という語彙はたった一度、「きわめて偏った権力にこびへつらうことで堕落した専門家として終わるべきではなく」という非常に否定的な修飾を背負って使われるのみでした。
このような自己規定・自己提示から、お三方それぞれの、他の5つの質問への回答を読み直すことは、また初読の示唆とは別のものを与えてくれるに違いありません。しかし、さしずめここでは、あえて当初の願望により戻す形で、先生方の回答を、どうみずからに引き受け、どのような実践に繋げていくかということを考えてみたいです。
この時まず導べとなるのは、鈴木先生の一段落目です。

市民としての良識と、学習者としての謙虚さ、教育者としての責務と自覚を大切にしています。知識の多寡で相手を品定めせず、自身の認識が及んでいないことについては、意識して「知らない」と言うようにしています。

ひとつ、自身に最も身近に思われるのは「学習者としての謙虚さ」という部分でした。政治・社会の問題において「まずは知ることから」とはよく言われるもので、またそのあゆみは更新され続けるべきでしょう。それは、状況の変化に応じた時事的な情報の確認から、より背景的な、ないし構造的な問題への理解を含みます。活動の大きな目的のひとつにそれら情報や問題認識の周知がある以上、知っている者から知らない者への伝達は重要にして不可欠な要素となります。しかしそれは、教えることそれ自体の愉楽への惑溺、自分を「知っている者」とすることの傲慢、ひとを「知らない者」だと決めつける烙印、「知らない者」への蔑みなどに、容易に転化しうるものです。受けた体験や、みずからのうちに湧いていた感情をかえりみるとき、これらと無縁であったと言い切ることは、わたしにはできません。「学習者としての謙虚さ」という鈴木先生のご回答は、ほとんど誰しもが共有しうる戒めとして、受け取ることができます。そしてそのような無知の自覚を足がかりにするからこそ、知や意識が更新され続けるのであると思われます。
しかし、この第一段落から読み取れるのは、そればかりではありません。先生は、「市民として」、「学習者として」、「教育者として」と、より具体的なあらわれと自覚の状況に合わせて、自身の戒めを複数化・多層化されています。実践的活動をするとき、自身の態度や言動・活動の内省をするとき、活動に関する議論を行うとき、あるいは、身近な領域で「ナクバ」の単語を知らないかもしれない友人に話すとき。自認のレベルにおいても、他人からの見え方のレベルでも、「〜として」は変化し、あるいは複数でありながら、問われる倫理のあり方が変わるでしょう。それは、何かを蔑ろにするということではなくて、今ここで賭けなければならないものが、その要が変わるかもしれないということです。
「フランス語の文学と思想を専攻してきました」とおっしゃる鵜飼先生のご回答も、そこに響くものがあるように思います。鵜飼先生は、ご回答をこう締められています。

アクチュアルな出来事に関する論評のなかに、中東現代史からヨーロッパ史全体を照らし返すような展望を、どれほど不十分であれ、そのつど組み込んでいく作業の必要性をいつも痛感しています。

「どれほど不十分であれ、そのつど」。「中東現代史からヨーロッパ史全体を照らし返す展望を」というのは、まさしく鵜飼先生の文章を読むなかでわたしたちが絶えず意識させられるものであり、このような形でことばになることで、一層文章や政治状況を読む示唆が与えられたように思います。それに、これに続く「どれほど不十分であれ、そのつど」は、副詞的に、わたしたち自身の行動や学習にも繋げうるものに違いありません。
そしてこのように考えるとき、早尾先生の「怪しさ」が、みずからにも一層迫るものとなるように感じられます。それは、さしずめその賭けに身を投じつつも、狭い領分、あるいはひとつの「〜として」に自らを限定し続けないためのあり方になるのでしょう。

ガザ・モノローグを朗読するという行為が、わたしをこの問いに導いたともいえます。それぞれがガザ侵攻を経験した人物による具体的な証言であるガザ・モノローグが、日本のわたしの喉をもって鳴るときに、ためらいと決断はその都度なされていきます。例えば2023年10月29日のテクスト「一瞬」は、死者が語るフィクショナルな戯曲です。ガザ・モノローグが上演を念頭に置かれた美的なテクストであることは、まさにありありとその声を響かせることを要求しているかに思われます。一方で、そこに書かれた言葉に自身との距離を感じ、あえて単調に読むことを選ぼうと思わされる場面もあります。例をあげれば、2023年12月13日のテクスト「ガザ市からラファに追いやられ」の邦訳の一文、「ならいっそ、全員、さっさと殺してくれ。」を、わたしはどのように自らの声に出せばいいのでしょうか。そこにはあきらかに黙読とは違った瞬間があります。朗読には、人さまざまの、半ば成り行きで、半ば意識的な決定があります。そしてその後に意見を交換しあう瞬間も含めれば、怪しくも必要な賭けのミニマムな形態として朗読会が生起していたようにも思われます。
そのようにして、ガザ・モノローグを声に出して読むさなか、子どもの苦痛に胸を炒める親や、溢れる死と隣り合わせて生きるひと、伝える言葉に悩むひとの文章に触れて想像されるのは、書かれていない、書き落とされた、書かれえなかったことやひとの数々です。
そのようなことを抱えていてなお、あまりにも痛切なこれらのテクスト。
こんなことを、なぜ身を切るようにして、パレスチナの人々が言わねばならないのか。
このテクストがモノローグ(独白)であるならば、それは本来上演などとは程遠い、聞かれない声であったのかもしれない。であればわたしは、それを幾分か傍受するかたちで借り受けてはじめて、知り、感じ、考えることを許されているのでしょう。あるいは、この世界の許されざる不均衡と虐殺に怒り、動きはじめ続ける力をもらっているのでしょう。
今ここで、あえて強く打ち出すのであれば、この立場をこそ、わたしは「〜として」で引き受けたい。いわば相続権のない言葉を、この喉でならすことでもってして、その恩恵を返すものでありたい。

リフアト・アルアライールのかの有名な詩 “If I must die” を思い出します。複数の日本語訳を含め、さまざまな形で読みうるようになっており、人々の胸を打ってやまないこの詩は、 “you” に、語りつぐことを呼びかけます。そして、作られたカイトが空に浮かぶのをみて、父を亡くした子は、愛が “bringing back” されることを想うのです。
パレスチナの人々の届けるものや、共に抵抗し続ける人々の言葉や思いを借り受けながら、今改めて生きゆくこの生において、まさにこの呼びかけられるyouと、モノローグの傍受者というの位置の、ひとつにしてふたつの「〜として」をその都度握り直していくことを、自身の戒めにして、応答に代えさせていただきます。

5. 「人間性」とは何でしょうか。

質問をしたこと自体から察せられるように、「人間性」という語は非常に抽象的で難しい言葉だと感じていました。「人間性」という語が具体的に意味するものは何で、そしてそれを「人間性」と呼ぶ必要性は何なのか疑問でした。他者を「動物化」して自らこそは「人間」だと規定しつつ、排斥を正当化するという使われ方もあれば、そのような事態に対して「人間性」のために抵抗すると言われることもあります。後者の使い方が前者の構造を実は踏襲しているということもあり得ると思います。一方、抵抗を主張する場合、仮に入植や虐殺に反対する根拠を国際法等の規範に求めるとしても、そのような規範を求める契機は語られてはおらず、「人間性」という語で表されることもある何かがそこにあるのも確かです。しかし、ある表現を用いる動機やその作用をまず的確に捉えねば、規範的に自己矛盾をきたしながら、それに気づかない危険性が強まります。そのことに対する警戒は、表現の偶然性を肯定することと両立すると思います。

この語り難い契機の表現を模索するならば、倫理学や法哲学、政治哲学の批判的学習も有用だと考えています。一方で、個別具体性や歴史性を捨象せず、今現在に何が言えるのか、糸口はどこにあるのかという問題もあります。

今回、先生方のご返答を拝読し、批判対象の相手が実際に使っている言葉を出発点とするのが一つの戦略になると考えました。つまり、その語が効果を発揮している枠組みやその歴史を問い質していくという仕方によって、現在の具体的文脈から乖離しない批判を試みることが可能になると推論したということです。ここで批判とは、批判対象の行為を支えている概念や規範の効果を失効させることで、相手の行為正当化の論証の不成立を示すことと捉えます。そして「人間性」という語は今回の出発点として最も適格な語のうちの一つだと思いました。また、「人間」を内在的に定義することは不可能であり、予め画定された「人間」の領域に「人間でない者たち」を取り込むことで排斥を回避する試みも、排斥の構造の維持や排斥対象を転嫁を敢えて温存しうると考えたため、これらとは違った仕方での試みをここで素描したいと思います。

「人間」という語の排斥を組織する用法が、近代西欧に由来するところがあるとご教示いただきました。しかし、例えばレイシズムやナショナリズムが「人間」の規定を必要とするのはなぜなのでしょうか。差別が特定の内集団の組織と自己承認の手段であるとして、それが「人間」という概念を焦点とする理由はどのように説明できるでしょうか。

差別の明瞭化が目指されているとき、まず差別の焦点となる属性を特定することが試みられると考えます。そこでは内集団の構成員に共通するとされる特定の属性が、排斥対象には存在しないとされます。あるいは、排斥対象に劣等的な属性を刻印し、自らは正常であるとする場合もあります。ここで属性として何が選択されるかについては複数の可能性があると思います。しかし、差別の有効性の最大化が目指されるとき、排斥対象を可能な限り自集団とは異質なものとしつつ、しかし差別や比較が有意味である程度には類似している者とするという均衡が要請されます。この均衡が実際にどのような属性が特別なものとして選択されるかを、その差別の動機に応じて規定するのだと思います。また、差別が攻撃、殺戮の正当化にまで到る文脈を考えたとき、殆ど自明ですが、排斥対象が痛苦を被りうる、或いは死にうるということが攻撃者において前提されているはずです。というよりもそのことが前提されていないのならば、攻撃自体が意味不明になってしまうと思います。この前提において、攻撃側と排斥対象の最低限の類似性が成立すると同時に、その類似性を「動物」という類で捉えることになるのではないでしょうか。この段階ではまだ「人間」を他の「動物」から特権的な存在者として切り離してはいません。しかし、差別が排斥対象と内集団を可能な限り異なったものとして定義することを目指すなら、「動物」という類のうちでどれほどの区別が可能かという事が問題となります。そこには様々な区別の水準があり得ますが、ある区別から規範を導出する際、その規範の根拠を有用な仕方で設定することが必要です。そして、その区別が「人間」によって行われるならば、その根拠を他の「動物」とは特別に違う「人間」であることそのこと自体とするのが最も安易で有用だということになります。しかし排斥対象にも「人間性」を認めると排斥の枠組みが維持できなくなるため、「理性」等の概念を導入して「人間性」の限定を行い、それを内集団のみの特徴とする、つまり相手を「人間」以外の劣等的「動物」であるとするという記号化が行われるのだと考えます。レイシズムやナショナリズムにおける集団的な暴力遂行には、恐らくこの枠組みで必要十分であると思われます。

このように考えると、「人間性」に基づいて、他の「人間」を差別するという枠組みにおいて差別の根拠とされる「人間」概念は、先ずもって差別を目的としており、そこからの要請に応じて内容が決定されると考えることができます。この場合「人間」と「動物」は記述的を理念とした分類ではなく、当初から規範的な含意があるにもかかわらず、その倒錯を隠蔽しているということになります。この仮説を世界史に照らし合わせて検証することが一つの有望な戦略であるはずです。

「人間」とは倒錯な存在なのだと思います。しかし、そのことに気づき、「人間性」に基づく排除に抵抗すること、それは脆い可能性なのかもしれませんが、十分にありえると考えます。

6. ガザ・モノローグはガザの人々の綴った言葉を朗読するという営みですが、これはどのような行為だと考えられるでしょうか。

 学生有志で質問状を作成した時点では、私たちもガザ・モノローグの朗読を活動として開始したばかりの、手探りの段階でした。そのため、先生方の言葉から何らかの手掛かりを掴めないかという気持ちから、このように質問させていただいたと記憶しています。
 活動を進めるうちに、運営する私たち自身にもガザ・モノローグが可能性と危うさの両方を孕んでいることが少しずつ見えてきました。鵜飼先生もまた回答のなかで、むしろ私たちがガザ・モノローグについて言葉にする側であることを、示してくださいました。したがってこの文章では、頂いた回答の言葉を踏まえつつ「当事者性」を出発点に、過去の私たちが投げかけた問いに、現在の私たちが応答します。
 鈴木先生は「声をあげる」という行為のなかに「あげる/発する」だけでなく「あげる/与える」という意味を照らしてくださいました。同時に私たちは、ガザ・モノローグを読むにあたって文字通り一銭も払う必要がない点で、言葉を与えられている立場でもあります。ここからひとまずは、ガザ・モノローグとはたったいまイスラエル軍の暴力に晒されている人々という、最も直接的な意味での「当事者」から言葉を与えられる代わりに、そのような状況には今のところは置かれていないという、最も直接的な意味での「非当事者」である私たちが声と身体を与え返す行為である、と答えることができます。
 「非当事者」が「声をあげる」ことに対して理由を問い詰められたり、冷笑的な視線を向けられたりする状況において、そうした実践は「当事者」と「非当事者」の距離に揺さぶりを掛けるものであると思います。朗読会のさなかに駒場の上空を飛んだ飛行機の轟音や、キャンパスを歩く幼児の意味を為さない声が私にどのように響いたか、思い出しているところです。そうした時間では「当事者」と「非当事者」が限りなく近づきその区分自体が無効のように思えると同時に、「当事者」と「非当事者」の間に横たわる断絶もまた意識させられます。単にガザに、パレスチナに近づこうとするのではなく、そうした距離の揺さぶり、ひずみを経験することは、誰もが「当事者」であることと、抵抗の主体があくまでもパレスチナの人たちであることの、揺れ、ひずみ、そして両立へと繋がっているのではないか、と考えています。そうして朗読会の時間の内側から外側へと抜け出ていったあとも、参加者と運営一人ひとりにとって「非当事者」が「声をあげる」ことへの冷笑的な態度を乗り越え、冷笑的な態度へと導く構造を組み替える契機となることに可能性を見出しています。寄付、デモ、署名活動、家族や友人との会話、SNSでの自身の立場の開示(例えば、その出来事を「虐殺」と形容するのか「攻撃」と形容するかへの、一瞬一瞬の言葉の選択)まで、朗読会のあとも変わらず続いていく日常に、そうした契機があります。
 勿論早尾先生が指摘されたように、そこには全く異なる環境と状況がもたらす断絶や、アラビア語から英語、日本語へと訳された言語としての断絶があります。過度な抑揚を抑えて淡々と読む、つまり断絶を引き受けあくまでも他者として声と身体を与えようとする参加者もいれば、テクストの先の惨状にどこまでも接近し、たった今暴力に晒されている身体に成り代わろうとする参加者もいる、そうした態度の複数性自体が、断絶に対する各々の応答だと、企画の一構成員として感じていたところです。
 一方でガザ・モノローグというテクストの価値が、誤解を恐れずに言えば、第一には「当事者性」を根拠にしていることの危うさを無視することはできません。モノローグの「当事者性」を活動の最初の根拠としているからこそ、その語り手やフィクション性の問題が浮上したときに、参加者に対して情報を開示したり選択肢を増やしたりすること、活動自体を諦める代わりに絶えず修理することに対して、企画の構成員の間に一定の了解があったように思います。例えば2023年のガザ侵攻以後のテクストの多くがアシュタール劇場に所属する同一の筆者によって、おそらくは彼以外の経験も交えながら書かれていることを開示せずに、それをどこまで「当事者」の言葉として提示して良いものなのか、運営の間で話題に上がったことがありました。結果として、朗読会の冒頭で誰によっていつ書かれたものなのか改めて補足したり「パレスチナのクィアたち」と呼ばれる別の書き手のテクストを紹介したりと、取るに足らないかもしれないけれど、具体的な実践を重ねました。
 一方で無自覚に「当事者」の語りを求め、その言葉を朗読によって媒介することは、それによって「気持ちよくなる」カタルシスやナルシシズムと隣り合わせであることも、痛感してきました。本企画は今回、上演で自分の声を誰かに聞いてもらうということの「癒し」や、他の人との繋がりは自分に返る効果としてむしろあって良いというスタンスを取りました。つまり、そのナルシシズムやカタルシスを一旦不問とし、「声と身体を貸与する」ということに割り切って限定していたと言えます。とはいえ、ある暴力の渦中にいる「当事者」、渦中にいた「当事者」の語りを求めれば求めるほど、その言葉が搾り取られ、貧しくなるという事態に加担しない、具体的な仕方を問い続けなければ、ガザ・モノローグの実践も空虚なものにとどまってしまう、と自戒を込めて考えています。
 ガザでの虐殺を受け行動したいと思う一方、自身の国籍・出自の関係で、デモをはじめとする分かり易い意味での「政治活動」がリスクとなると考えていたところで、朗読会という形式だからこそ参加できたという人がいました。朗読やパフォーマンスといった活動は「文化」や「芸術」に分類されることで、鉤括弧つきの「非政治性」を纏うことができます。「非政治性」の演出を濫用せずに、しかし、それぞれの背景や事情を持つ学生が自らの立場を表明したり、そのための言葉を探したりするための安全な場を作り出すために戦略的に利用する可能性についても、最後に提起しておきたいです。
 往復書簡に協力していただいた先生方に加え、これから関連した活動に取り組みたいと考えている方々に向けるようにして、拙いながらガザ・モノローグという一つの具体的な実践について言葉を重ねてきました。誤解を恐れずにまとめれば、その実践は半ば不可避に、半ば戦略として、当事者性と非当事者性、政治性と非政治性が同時に内在し、絶えず切り替えられることで支えられています。その危うさを認識しながら、でもだからこそ、朗読会のあとも続いていく私たちの日常、そしてガザでの日常のなかで、暴力をもたらす構造を組み替える契機を作る実践、その契機をできる限り多くの方に開く実践とすることで、この文章を締め括りたいと思います。

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