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いちばんふるい捨てる

古雑誌を処分していたら、東北の震災の年に買った本が出てきた。

発売日としては5月の頭で、雑誌としては3月の地震を反映しだした早い方だったと思う。

だから情緒的には買わないとという動かされ方で、レジまで持って行ったのだけれど、十字に縛るほうの山に積んだいまだに中身の熟読には至っていない。

なんにもできなかったけれどなにかはしたくて、特集にした意気だけ拾いたくて、自分が元気を出したいわけではなかったのだろうけど、そもそも自分の元気が出ても仕方がないというところもある。

今年で言うとなにもしないのも一助という向きの視点が増えたから、ほんとうになにもしなくても誰も咎めたりしない。

読み仕舞いする雑誌には、ほんの一部の価値しか拾えなかったのに、それでもまだそちらの方が、指先が切れそうな頑丈さが表紙に残ったままになっている。

なんだか全くいまだになにも言える気がしないんだなぁ。

こんな本があったよと話すのも、哀しくさせそうで心配になる。
けど実際ただ失礼でしかないから、意識的に自衛して浮かぶようになっているんだろうなぁ。

なにも言わずに得したことが多かったのかもしれない。
あきらめて言わないようにしようと思ったことが、あったような気もしてきました。

小学生の時からでもなんか理不尽なのっていろいろ起こるもんね。思い出せないけど。

媒介だから、やさしさでも自己満足でも印象を照らすのなぁ。
そうすると「あえてしない」は無反応じゃないから、だから褒められるぽい。

ずいぶん前のが出てきたので溜めている。
また古紙回収を見ておくー。

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