仏領インドシナ連邦-ベトナム王国  フランス植民地支配解放闘争

 日本の大東亜戦争の頃、まだ王国だったベトナムは、仏領印度支那(インドシナ)、略して仏印(ふついん)と呼ばれるフランスのアジア植民地連邦の一つでした。近年、ベトナムへビジネス進出する日本人の若い方も数え切れない程になりましたが、私自身そうだったように、殆どの人は日越間の歴史に対してあまり興味、関心、知識を持っていない傾向にあると感じます。私が出版した本「ベトナム英雄革命家 畿外候彊㭽 - クオン・デ候: 祖国解放に捧げた生涯 | 何 祐子 |本 | 通販 | Amazon 」に、ベトナム王国がフランス植民地となって行く頃の歴史を簡潔に纏めましたので、是非戦後の日本では殆ど知られていない、ベトナム王国の一面に触れて頂ければ嬉しいです。
 時代背景は仏領インドシナ時代で、年代にすると大体1862年から1955年です。1862年は、フランス侵略軍に対してフエ朝廷が講和を申し込んだ年です。この時にベトナムは、仏人スペイン人宣教師の布教活動の自由(この頃キリスト教は厳禁)、南部都市の譲渡、賠償金等の条件を受け入れます。それからも、フランス軍による非情な侵略は続き、結果的に1874年に更なる講和条約を締結し、仏人含む外国人の治外法権やフランスの軍事訓練、財政・商業専門家らを受け入れる事などを了承させられます。
 最終的に、1884年に保護条約を締結、そして、清国の李鴻章(り・こうしょう)とフランスのパトノール間で天津条約が結ばれて、清国もフランスのベトナム保護権を認めます。1887年にフランスは全権総督府を設置して、コンスタン総督が初代全権総督としてベトナムに赴任して来ました。

 ではその間、無知蒙昧なベトナム土人が、指をくわえて西洋人の横暴をさせるがまま、なすがままにされていたかといえば、それは違います。我々日本の明治維新前夜、幕末維新期の血生臭い勤王蹶起、尊王攘夷運動に負けずとも劣らずの戦いが、ベトナム勤王志士達によって繰り返されたのです。
 戦後の日本では、明治末期に祖国解放を目指して日本へ渡航して来たベトナム人留学生(=東遊運動)とそれに代表されるファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)くらいしか名前を聞きませんので、その頃ベトナムで、激しい反仏抵抗闘争、尊王蹶起行動が繰り返されたことなどを知る機会は、皆無に等しいです。しかし、ファン・ボイ・チャウの幼少期から、当時のベトナム王国では、我国日本の維新史に語り継がれる英雄達にも引けを取らない、ベトナム志士達の壮絶な戦いが続いていました。

 現代の日本に於いて、日本語で読むことが出来る関連書籍の大半は、筆まめだった潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の功績によるものです。彼の書物は全て漢語で書かれましたので、当時の中国人や日本の教養人とは、漢語の筆記で何とか意思疎通も出来た上、彼の書いた書物を当時の日本人らが漢語から日本語に翻訳していたのです。その、戦前に日本語訳されたファン・ボイ・チャウ書籍の日本語版は、アマゾンや日本の古書サイト等で簡単に購入出来ます。本当に良い時代になりました。
 20世紀に完成した、現代のローマ字化文字によるベトナム語の発展・普及が、その後のベトナム国民の識字率を驚異的に広めた功績は計り知れないと思います。しかし反対に、戦後の私達日本人にとっては、このローマ字化ベトナム語文字で書かれた書籍を日本語に翻訳する人材が完全に不足していたと思います。ですから、戦後から現代に至る日本では、ベトナム幕末に起こった植民地解放闘争の真の功労者、真の革命志士英雄伝は、ずっと眠り続けたまま。新世代の日本人の手に依って掘り起こされる日を、待ち続けて来ました。

 

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