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『クオン・デ 革命の生涯(CUỘC ĐỜI CÁCH MẠNG CƯỜNG ĐỂ )』(Saigon Vietnam,1957)  ~第5章 一時日本を離れる~

 タイから日本に戻ったクオン・デ候は、早稲田大学に再入学します。

 しかし、それから幾月もせずにフランスが日本政府に対してクオン・デ候の『身柄引き渡し』を求めて来ました。

 日本政府は、国際法を理由にして『身柄引き渡し』には応じず、クオン・デ候らの『国外退去』を命じます。物々しい日本警察の動きを避け、日本を出国するつもりで神戸へ向かったクオン・デ候達の後を私服警官が追い回します。その為、結局クオン・デ候は単身東京に戻り、衆議院議員の柏原文太郎と面会したのです。

 日本政府上部との諸々の話し合いが着いたのでしょうか、日本外務省から餞別金と、柏原氏からは自決用の拳銃を贈られたクオン・デ候と党員2名は、汽車で福岡まで行き、門司港から上海行船に乗ったのです。
(1909年3月頃~1909年10月末)


**第5章 一時日本を離れる**


 東京に戻り、早稲田大学に再入学します。
 その頃の東京には、陳有功(チャン・ フゥ・コン)君らベトナム人留学生8名だけが柏原文太郎氏の商業学校に残るのみだったが、それから幾月もせずフランスが日本政府に対し、私の身柄引き渡しと在日ベトナム人留学生の解散を要求してきました。
 原因と経緯は以下の通りです。

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