べト・ミンの実態を追う②🤐『拝金植民地主義エージェント』

 べト・ミンを追え!スペシャル☆パート①😅 

 先日の記事⇧を読んで頂けた読者の方は、多分疑問が湧いたことと思います。。。それは何故に、ベトナム統一独立を目指すベト・ミン少年らが、祖国の人々を殺戮する事に同意してしまったのか。。。
 そのヒントが、前回のパート①の最後部の、ベトナム新政府キム首相と北部ベト・ミン少年の会話中にあります。⇩

 「『我々はどんなことがあっても成功する。禍を出しても関係ない、禍の後に利が生まれる。国民の10分の一が死んだとて、我々は残った人間で新しい社会を建設する。死んだ9割に比べてその方がよっぽど良い。』
 
 そう言い終わると、おそらく暗記してるのだろうベト・ミンの行動について座って朗読を始めた。その態度から、もう道理を説いた所で聞く耳を持たないだろうと判ったので、彼に言った。
 『もし君達が独立の権利を祖国へ勝ち取れると確信するなら政府に入ればよいでしょう、破壊して国民に苦しみを強いる必要は無い。』
 『我々は自力で権利を掠奪して我々が強いことを連合国へ表明する。誰からの移譲も受けない。』
 『君達は、連合国が君達の力を信じると本当に思ってますか?』
 『確実です。それは100%確実です。』
 『将来はこれからまだ長い。君たちは国民と歴史に対しての責任を持ちなさい。』」
     
      『一陣の埃風』より

 このやり取りから、もう明確ですよね。。。
 『我々は自力で権利を掠奪して我々が強いことを連合国へ表明する。誰からの移譲も受けない。』
 
 要するに、、、
 「自分達の力で権利を掠奪して見せて、連合国に自分達が強いことを証明したいのだ」
とベト・ミン少年は言っているのです。。解り易いネ。。😑😑🤐
 
しかしです、良識のある大人なら誰もが、それは”奴らの虚言だ”と判りますので、キム首相も当然こう尋ねてます。
 「君達は、連合国が君達の力を信じると本当に思ってますか?』
 
しかし、、少年は、『確実です。それは100%確実です。』と答えてます。これは既に洗脳完了状態です。
 深読みすれば、この時期ベト・ミン青年達は、「自力で連合国に自分達が強いことを証明」する必要があったようにも受け取れる。しかも、結構急いでます。。。😅
 では、この時期はどんな時期だったのでしょうか?⇩

 「…1945年8月14日にサム氏は南部欽差(=知事)に就任し南部入りした。サム氏が南部へ発ち、これで私の仕事は取敢えず終了した。取敢えず終了とは、私はもうその頃、日本がどう上手くやったとしても後5、6か月で終了し、連合国軍がインドシナに入って来ると思っていた。」
        『一陣の埃風』より
 
 キム氏の回想録に依れば、ベトナムには8月6日、9日の広島、長崎の原爆投下のニュースは届いていなかった。それなのにもうこの頃のベトナム国内は、誰もが『日本はもうすぐ負け、連合国が入って来る』と判っていたのです。そしてそのすぐ後、⇩

 「…日本に原子爆弾が落ち、日本は降伏したという報が入った。
  バオ・ダイ帝は私を呼び、『この様に混乱した状況だから、臨時政府を立てて情勢がどう推移するかを待つが良いだろう。』と仰った。これで、私は仕方なく留った。(中略)2日後の8月19日、ハノイの公的機関各所にはベト・ミン一派がデモを煽って居ると情報が入った。そして、ベト・ミン党が機に乗じて北部を占領した。その何日か後にホー・チ・ミン氏が臨時政府の主席になった。北部の各青年団体や知識人達は、フエへ電報を寄越し、バオ・ダイ帝が退位してホー・チ・ミンへ譲るように要請した。」
         
  『一陣の埃風』より

 。。。ここから読み解けば、もうすぐ日本が降伏すると知っていたベト・ミン達の心には実は、あの”輝くばかりの権威と権勢の台座から皇帝を引きずり降ろし、自分達があの椅子に座ることができる”という蔭に隠された誘惑に集団催眠に罹った深層心理状態、嘘のような信じられない御伽話が、目の前にぶら下げられた状態にあったのか。

 そもそも、拝金植民地主義者達のとる常套手段とはどんなものか、これもキム首相が回想録の中で、当時のベトナムの共産主義者を分析した文章から明確になります。⇩

 「共産党とは、その組織と行動の手法から見れば新興の宗教の一つと云えるだろう。迷信と信仰に基づく既存の古い宗教と何も変わらず、懐疑を持ったり外れる事は許されない。だが、古い宗教には天国や極楽浄土という教えがあるが、今日の共産教は完全なる唯物論、要するに物質的なもの以外に何の信条もなく、天国はあの世に有るのではなく現世に存在する。(中略)彼らの信仰の道は共産道、これは完全なる唯物道だ。(中略)
 その為に、共産主義の信者は盲信的で、物質的な生活が全てであり、それ以外には何もない。人の生は一度きりで終了だから、彼らの誰もがどんな場面でも自分だけは勝利を得ようとし、善悪の因果を考えない。(中略) 
 彼らの行動に関して言えば、専ら陰謀的な手段ばかりを用いる為、例え勝利したと言えども知識人の支持は極少ないから、その理由で知識人を排除し、煽動し易く騙しやすい階層として労働者、女性、子供だけを重用する。」

 ・・・そうです、彼らは元々知識人なんか相手にしない。煽動し易く騙しやすい階層』として『労働者、女性、子供だけ』を狙って獲得する。。。要するに、こんな文章書いている私も、読んでいる貴方も、全然相手にもされない、、、(笑)😅😅😅

 さてでは、「フエへ電報を寄越し、バオ・ダイ帝が退位してホー・チ・ミンへ譲るように要請した」ベト・ミンは、「自力で権利を掠奪して我々が強いことを連合国へ表明」出来た訳です、ではまず最初に何をしてたのでしょうか?⇩

「そしてその後に募金運動が全国規模で始まって、国事の為に金の指輪や耳飾りなど金製品は全部政府へ献上せねばならなかった。募金運動が終われば、今度は募銅運動が始まるなど、何でもかんでもという有様だった。
 ベト・ミンは、皇宮へも人を派遣し、歴代王朝の宝物や衣装を持ち出して市場で売っていた。日本軍が降伏直前にベトナムに返還した4トンの銀の延べ棒は宮殿内に置いてあったが、その後何処へ消えたのか分からないままだ。」

 嘘みたいな御伽話を信じ、”輝くばかりの権威と権勢の台座から皇帝を引きずり降ろし、自分達があの椅子に座ることができる”と集団催眠に罹った宴の後は、結局こんな⇧事しか出来ない。そりゃそうだ、元々何の知識も無い労働者、女、子供を駆り集めてたんだから。
 
 しかし、、一時の旧王家の財宝漁りや良民からの略奪をさせるに任せていたパトロンの拝金植民地主義者の方々に、結局この『ベト・ミン3女』の大半も見捨てられる運命です。
 ここから、この後のベトナム国内を見てみましょう。⇩

 1945年9月以降は富が分配されたのか、と云えばこれは真逆でして、ベト・ミンは、1946年1月の選挙で9割の議席を占め、3月の初国会以降はどんどんと閉鎖的になり、結局ほんの少人数の所在と実態が秘密に包まれた共産党幹部(=中央本部)に権力が集中して行きました。
 要するに、『大勢の排除』に成功して、『極一部に権力と富を集中』させることに成功します。。。
 
 ここで、”あっ!!”とコアな読者の方(”だから、そんな人いないって…”←我が家のJDの声。。😅)は、もうお気づきかもですが。。

 「結局その後1975年まで、何故か3女がパトロンから資金を貰いながら、パトロンが送り込んで来るアメリカ軍と延々と長々と交戦し続けたというベトナム戦争の結果、アメリカ経済はガタガタになり、ベトナム・シンドロームと呼ばれた帰還兵の深刻な戦争後遺症がアメリカの社会問題になりました。アメリカの斜陽の始まり。←これに、ベト・ミン3女は多大な貢献をしたとさ。。。」

 先日の記事⇧にこう書いた様に、『何故、3女はアメリカの斜陽に貢献し、ベトナム国土を滅茶苦茶にしたのか?』ですが、こうして流れを整理してくると、答えは案外単純な気がしませんか。
 
 「もう直ぐ日本が負けて、代わりに連合国がインドシナに上陸する。その前に自分達が強い事を連合国に証明する。そうすれば、自分達が国家権力を握(らせて貰え)る。」←このがあったのかと思います。
 それが、ベトナム戦争。(多分)😑😑😑😑🤐🤐🤐🤐🤐🤐


 

 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

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