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ベトナム革命志士 潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)自伝『自判』⑮『年表・第三期(1905年~)・ベトナム帰国を拒否した若者たち/ベトナム・カトリック教会代表団 マイ・ラオ・バン翁の来日』

ベトナム革命志士 潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)自伝『自判』
ベトナム志士義人伝シリーズ

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ベトナム帰国を拒否した若者たち


 帰国費用の支給を開始してから、南圻学生ホアン・フン君、グエン・スオン・チ君、そして幼い少年3名の計5名が帰国を拒否した。

陳文安(チャン・バン・アン)君:後に日本の早稲田大学を卒業。
◎陳文書(チャン・バン・トゥ)君:後に暹羅(シャム)へ渡るが、肺を病み死亡。
◎黄偉雄(ホアン・ヴィ・フン)君:後に中国へ渡り、北京士官学校に入学するが、卒業間近で死亡した。
◎黄雄(ホアン・フン)君:日本に残り半年苦学を続けた。実行家たるを望み自ら爆薬を製造するなど一貫して異質な道を歩んだ。英国政府に逮捕されフランスへ引き渡されコン・ロン(現在のコン・ダオ)島に流刑。現在南圻に戻っている。当時の南圻青年の中では実に貴重な存在だった。
◎阮脈之(グエン・スオン・チ)君:後に香港に渡り、クオン・デ候の欧州行に同行した。その後に祖国へ戻り、今はどうしているか分からない。

 中北圻学生の殆どは残留を希望した。その中で特に優秀だった者の名を挙げて置く。

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