マガジンのカバー画像

仏領インドシナと戦前の日本人

61
戦前の仏領インドシナ、ベトナムの独立を直接、間接に援助した日本人を纏めてます。
運営しているクリエイター

#フランス植民地

グエン朝第8代皇帝・ハムギ帝と画家藤田嗣治(ふじた つぐはる)

 戦後の日本では全然忘れ去られてますけど、、、  ベトナムは、1945年までは帝政国家で…

何祐子
2か月前
9

ベトナム独立を支援した筑前玄洋社の頭山満(とうやま みつる)翁

 前の記事「ベトナム独立を支援した福岡の人々 ~玄洋(げんよう)社・黒龍(こくりゅう)会…

何祐子
9か月前
7

ベトナム独立を支援した福岡の人々 ~玄洋(げんよう)社・黒龍(こくりゅう)会~

 私事ですが、自宅の引っ越しでバタバタしまして、一カ月ぶりのnote投稿です。。。😭  PCに…

何祐子
9か月前
6

興亜会(こうあかい)発起人曽根俊虎(そね としとら)が記した『法越交兵記』(18…

 『法』は仏(フランス)、『越』はベトナム。   米沢藩出身の曽根俊虎氏が、海軍大尉の職…

何祐子
10か月前
4

西田税(にしだ みつぎ)とベトナム抗仏志士

 西田税(にしだ みつぎ)氏は、ネットで調べると大体こんな⇩人物説明が書いてあります。 …

何祐子
11か月前
10

尾﨑秀実(おざき ほつみ)氏の愛情は、ふる星のごとくに 

 仏領印度支那(インドシナ)連邦のベトナムへ日本軍が『平和進駐』した年は1940年でした…

何祐子
1年前
1

仏領インドシナ、ドンダン・ランソン進攻の中村兵団-第五師団のこと その②(再)

 その①仏領インドシナのドンダン・ランソン進攻の中村兵団-第五師団のこと その①(再)|何祐子|note からの続きです。  南支那方面軍の第五師団が、「欽州湾上陸後、援蒋ルートの大拠点南寧を陥落」させましたが、その説明がこれです。⇩  「南寧は援蔣路の大中心だ。鎮南関から国境を越えて行くトラックは一カ月千数百台に達する。広州湾から雷州半島に陸揚げされた物資もすべて南寧を経由して行くのだ。北海、錦州湾から上がる物資もクリークづたいに南寧に進められ、それから桂林へ貴陽へ重慶

仏印”平和”進駐の『第2次近衛文麿内閣』陸軍大臣・東條英機のこと その(2)

 「宣誓供述書」の『南部仏印進駐問題』の項からです。⇩  1940年9月からの北部仏印駐…

何祐子
1年前
2

仏印”平和”進駐の『第2次近衛文麿内閣』陸軍大臣・東條英機のこと その(1)

 ベトナムに永く住みましたお陰で、いつからかベトナムの仏領インドシナ連邦当時の歴史探索が…

何祐子
1年前
1