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ベトナム史あれこれ まとめ

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今迄に書いたベトナム史に関する記事をまとめてます。
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#西洋植民地主義

『我々は、大日本国が我々を解放してくれたというこの恩を、絶対に忘れてはならない。…

 前回まで、1945年3月9日の日本軍による『仏印武力処理』通称『明(マ)号作戦』後に…

何祐子
7日前
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Trần Trọng Kim(チャン・チョン・キム、陳仲淦)著『 Một cơn gió bụi(一陣の…

 1945年3月9日の在仏領インドシナ日本軍による軍事クーデター『仏印武力処理』(通称明…

何祐子
1か月前
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1924年7月 仏領インドシナ総督メルラン襲撃事件 -『ベトナム国民党沙面炒弾案…

 ベトナム独立運動家ファン・ボイ・チャウの自伝『自判』㉒最終章中に、仏領インドシナ総督メ…

何祐子
1か月前
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グエン朝第8代皇帝・ハムギ帝と画家藤田嗣治(ふじた つぐはる)

 戦後の日本では全然忘れ去られてますけど、、、  ベトナムは、1945年までは帝政国家で…

何祐子
5か月前
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満鉄東亜経済調査局『仏領インドシナ征略史』① ~民族略史~

 戦前日本にあった南満州鉄道株式会社-その付属機関『満鉄東亜経済調査局』。クオン・デ候と…

何祐子
6か月前
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ベトナム志士らが愛した三島由紀夫(みしま ゆきお)文学

  遅ればせながら明けましておめでとうございます。  2024年初めて投稿します。  本当…

何祐子
7か月前
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クオン・デ候を支えた日本女性

 先日、或るベトナム人の方から、著名な北部人の歴史家(故人)が書いたクオン・デ候に関する文章に関して問い合わせがありました。  読んでみますと…、例に漏れず、かなりオカシイ所があります。  これは仕方がない。クオン・デ候は、23才で祖国を出奔してから40年以上海外を流浪し、大部分は日本に滞在したのです。ベトナム人歴史家が知らない、或いは研究材料の不足は当然です。この歴史家の方も、文章を書くに当たり何かしら日本側の資料を参考にした筈ですが、それでもベトナム史学界に於ける『ク

仏領インドシナ(ベトナム)の中の『広島』と『長崎』

 先日は、日本の広島でG7サミットがありました。  広島といいますと、私も子供の頃はまだ自…

何祐子
1年前
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ベトナム・サイゴンの婚家 ”HÀ(ハー)GIA=何(が)家”の歴史を辿る

 最近は日本でもベトナムの存在が徐々に知られて来ましたが、1990年代頃はまだ殆どの人が…

何祐子
1年前
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仏領インドシナ-植民地解放闘争を支えたベトナム任侠(にんきょう)の存在

 最近急激に日本の治安が悪化してるのは、もう気のせいじゃないですね。高齢者宅に押し入り、…

何祐子
1年前
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仏領インドシナの北部ベトナムに眠る『露天掘り炭鉱群』のこと

 戦前の仏領インドシナ連邦関連書籍を読んでいると、『北部ベトナム(=トンキン地方)露天掘…

何祐子
1年前
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仏領インドシナの一大”反植民地主義勢力”だったベトナム・カトリック教会

 去年から仏領インドシナ時代のベトナム抗仏運動史をあれこれ投稿しました中に、「カトリック…

何祐子
1年前
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仏領インドシナの中央銀行『印度支那(インドシナ)銀行』と『通貨発行権』

 堂々と題名に「中央銀行と通貨発行権」と挙げましたけど。。。実は私は経済・金融などが大の…

何祐子
1年前
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戦前古書に見る、ベトナム高原鉄道『達拉(ダ・ラット)線』のこと

 先の記事「仏領インドシナ(ベトナム)にあった日本商社・大南(ダイ・ナム)公司と社長松下光廣氏のこと その(1)|何祐子|note」に書きましたが、戦前の南満州鉄道株式会社(満鉄(まんてつ))の中に『東亜経済調査局』がありました。元々ここにお勤めでした大川周明先生が、満鉄・外務省・陸軍省の出資を得て『東亜経済調査局付属研究所』、通称『大川塾』を東京の阿佐ヶ谷で開所したのが1938年です。  第一期生の卒業は1940年3月。この大川塾卒業生の多くを現地雇用したのが、1922年に