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ベトナム史あれこれ まとめ

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今迄に書いたベトナム史に関する記事をまとめてます。
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#クオン・デ

南ベトナム大統領 呉廷琰(NGÔ ĐÌNH DIỆM、ゴ・ディン・ジェム)氏のこと ①

 もう30年も前になりますが、私がまだ日本に住んで居た頃、JR山の手線浜松町駅ビル内の本屋…

何祐子
3週間前
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グエン朝第8代皇帝・ハムギ帝と画家藤田嗣治(ふじた つぐはる)

 戦後の日本では全然忘れ去られてますけど、、、  ベトナムは、1945年までは帝政国家で…

何祐子
2か月前
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ベトナム抗仏独立運動家とジャン=ジャック・ルソーの『民主主義』

 仏領インドシナ時代の代表的なベトナム志士で、日本で最も知られているのが『東遊(ドン・ズ…

何祐子
4か月前
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ベトナム志士らが愛した三島由紀夫(みしま ゆきお)文学

  遅ればせながら明けましておめでとうございます。  2024年初めて投稿します。  本当…

何祐子
5か月前
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ベトナムと南宋(なんそう)の話

 先日の12月21日(木)にYOU TUBEで『ニュースあさ8時!』、通称”あさ8”というニュー…

何祐子
5か月前
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クオン・デ候を支えた日本女性

 先日、或るベトナム人の方から、著名な北部人の歴史家(故人)が書いたクオン・デ候に関す…

何祐子
6か月前
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日本人農業移民と『広島移民斡旋会社』

 明治時代末、ベトナム独立運動家の潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)達と共に日本へ亡命したベトナム王国のクオン・デ候は、1951年に東京飯田橋の日本医科大学第一附属病院で薨去されました。  1957年ベトナム・サイゴンで自伝『クオン・デ 革命の生涯』が出版されましたが(日本語訳本はこちら⇒ベトナム英雄革命家 畿外候彊㭽 - クオン・デ候: 祖国解放に捧げた生涯 | 何 祐子 |)、この第4章『泰(タイ)へ』は、1908年頃より母国からの送金をフランスに妨害された為、日本に代わ

ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰?②

 ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰?①からの続きです。  1945年3月9日の日本軍によ…

何祐子
10か月前
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ベトナム・サイゴンの婚家 ”HÀ(ハー)GIA=何(が)家”の歴史を辿る

 最近は日本でもベトナムの存在が徐々に知られて来ましたが、1990年代頃はまだ殆どの人が…

何祐子
1年前
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”日仏印(フランス領インドシナ)交換教授”の1943年『東亜考古学』ベトナム・カ…

 明治末の日本へ亡命し、1951年に東京の病院で薨去された旧ベトナム国皇子クオン・デ候の…

何祐子
1年前
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仏領インドシナ-植民地解放闘争を支えたベトナム任侠(にんきょう)の存在

 最近急激に日本の治安が悪化してるのは、もう気のせいじゃないですね。高齢者宅に押し入り、…

何祐子
1年前
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仏領インドシナの一大”反植民地主義勢力”だったベトナム・カトリック教会

 去年から仏領インドシナ時代のベトナム抗仏運動史をあれこれ投稿しました中に、「カトリック…

何祐子
1年前
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仏領インドシナの中央銀行『印度支那(インドシナ)銀行』と『通貨発行権』

 堂々と題名に「中央銀行と通貨発行権」と挙げましたけど。。。実は私は経済・金融などが大の…

何祐子
1年前
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1926年設立 ベトナムの新宗-高臺(カオ・ダイ) その(2)

 その(1)「高臺(カオ・ダイ)教の成立過程」からの続き、その(2)「高臺(カオ・ダイ)教の教義」です。😊 *************************  1926年、黎文忠(レ・バン・チュン)を教主に戴いて西寧(タイ・ニン)の慈林(トゥ・ラム)寺に新教団として成立し、暫くの間にその教勢は伸張した。最近の現地報告によると、教徒の現在数は約2百万人にも達しているという。  この驚くべき教勢の伸張力、(中略)…今までベトナム人が信奉して来た宗教に対して何の抵抗も摩擦も生