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大東亜戦争とベトナム

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戦前の我が日本国と、フランス領植民地だった仏領インドシナーベトナムの間にあった過去の出来事を掘り起こしてます。ここでは、主に大東亜戦争に関連するものをまとめてます。
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#大東亜戦争

『我々は、大日本国が我々を解放してくれたというこの恩を、絶対に忘れてはならない。…

 前回まで、1945年3月9日の日本軍による『仏印武力処理』通称『明(マ)号作戦』後に…

何祐子
19時間前
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Trần Trọng Kim(チャン・チョン・キム、陳仲淦)著『 Một cơn gió bụi(一陣の…

 1945年3月9日の在仏領インドシナ日本軍による軍事クーデター『仏印武力処理』(通称明…

何祐子
3週間前
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南ベトナム大統領 呉廷琰(NGÔ ĐÌNH DIỆM、ゴ・ディン・ジェム)氏のこと ②

南ベトナム大統領 呉廷琰(NGÔ ĐÌNH DIỆM、ゴ・ディン・ジェム)氏のこと ①  大南公…

何祐子
3か月前
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南ベトナム大統領 呉廷琰(NGÔ ĐÌNH DIỆM、ゴ・ディン・ジェム)氏のこと ①

 もう30年も前になりますが、私がまだ日本に住んで居た頃、JR山の手線浜松町駅ビル内の本屋…

何祐子
3か月前
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グエン朝第8代皇帝・ハムギ帝と画家藤田嗣治(ふじた つぐはる)

 戦後の日本では全然忘れ去られてますけど、、、  ベトナムは、1945年までは帝政国家で…

何祐子
4か月前
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ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰? 続・続編 ~べト・ミンを追え!😅の巻~

ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰?・続編 ~ホーおじさんのコミンテルン人脈を探る!~  …

何祐子
4か月前
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大川周明先生が語る 将軍石原莞爾(いしわら かんじ)の最期

 いつも常に、”ベトナム”の文字を探しながら古書を捲っていると、思いがけなく意外な文章を見つけることがあります。  先日、『近代日本を創った百人 上』(毎日新聞社 昭和40年)をパラパラしてたら、こんな文章が目に留まりました。⇩  「”人間バーベキュー”と呼ばれたベトナム仏教徒の焼身自殺は、全世界に大きなショックを与えたが、それに似た例が日本にもないわけではない。」  先の記事「南北分断後の1960年代-南・ベトナム共和国で発生した”仏教徒弾圧”背景一考」で、ベトナム共

日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様・おまけ

日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様②  その①で、日本敗…

何祐子
10か月前
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日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様①

 日本一般国民に、近くて遠い国・ベトナム…。😅   戦後は日本政府もベトナム政府も、何か…

何祐子
10か月前
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ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰?①

 今日は、1975年以降のベトナム人社会最大の”タブー”、ホーおじさん=ホー・チ・ミン(…

何祐子
1年前
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ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰?②

 ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰?①からの続きです。  1945年3月9日の日本軍によ…

何祐子
1年前
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仏領インドシナ(ベトナム)の中の『広島』と『長崎』

 先日は、日本の広島でG7サミットがありました。  広島といいますと、私も子供の頃はまだ自…

何祐子
1年前
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ベトナム・サイゴンの婚家 ”HÀ(ハー)GIA=何(が)家”の歴史を辿る

 最近は日本でもベトナムの存在が徐々に知られて来ましたが、1990年代頃はまだ殆どの人が…

何祐子
1年前
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”日仏印(フランス領インドシナ)交換教授”の1943年『東亜考古学』ベトナム・カンボジア特別講演

 明治末の日本へ亡命し、1951年に東京の病院で薨去された旧ベトナム国皇子クオン・デ候の自伝『クオン・デ 革命の生涯』を、私が翻訳出版したのは去年の8月でした。(過去記事⇒「ベトナム英雄革命家 クオン・デ候 祖国解放に捧げた生涯」)  戦後日本では『クオン・デ』と聞いても、「😵‍💫??」と、全然聞いた事も無いという人が殆どです。  今から4年程前に奇縁に動かされ、現代日本に於いて『クオン・デ自伝』再出版を志した私も、当初は、名前は知って居るけど詳細は殆ど知らず…という状態で