見出し画像

NHKこころの時代2『ヴィクトール・フランクル』シリーズ④《人生という砂時計》を見て 7/21(日)5:00~

         ~それでも人生には意味がある~

番組は全6回シリーズの4回目。アウシュヴィッツ第2収容所 ヴィルケナウ※の写真から始まった。『夜と霧』の一節を、読み上げるのは女優 門脇麦さん。

ユダヤ人墓地の前で、フランクルはインタビューに答える。
「死ぬのは怖いですか」
「怖くはありません。本当に怖いのは『生きなかった』ことです。つまり大きな意味で、正しいことや大切なことをする機会を十分に生かさなかったとしたら、深い悲しみを感じると思います。」

私は戦争を知らない子どもたちの世代ではあるけれど、あとほんの少し早く生まれていれば、戦後だったかもしれないし、戦時中だったかもしれない。何より今の10代20代だって長いスパンで見れば、戦争を知らない子どもたちとなる。
日本は敗戦から数十年で、こんなに企業、スポーツやアニメ、音楽、和食などで世界で活躍できている人たちがいるまでに回復している。たった70数年前(訂正80年)には、戦争によって生きたくても生きられなかった人たちがいる。帰りたくても帰れなかった人たちがいた。

怖くなる。ウクライナ以降、新聞、テレビで世界情勢を欠かさず見るようになったけれど、ワールドニュースや報道番組など見たからといってどうなるものでもない。ただ知ることしかできないけれど、知ることはできる。

強制収容所で苛酷な試練を味わったフランクルの死生観を小野正嗣さん(作家、大学教授)と勝田芽生さん(日本ロゴセラピスト協会会長)が穏やかに語り合う。強制収容所の何万何千という人の死に直接触れ、大切な家族も失ったフランクルが、人生を一つの砂時計に例えているのが分かりやすい。

一人ひとりが持っている砂時計。くびれの上の砂は未来。生まれたときには、何億何兆の可能性が詰まっている。今どの砂を落とすかは、その人の決断を表していると考えられる。

勝田さんは、今というところ、つまり砂時計の狭くなっているくびれの部分が大事だと解釈する。人にはどう取り組むかの決断の自由があると。例えば自分にはどうしようもない砂もある。そういうときにこそ、逆説的に精神の自由があるという。そして今という砂粒が落ちて行くとき、下に落ちた砂は永遠のものとなる。過去は変わらない。永遠に保存され下に落ちた砂粒はそこで固定化される、大切にとっておかれるのだと。
小野さんは問う。「誰にとって永遠なのか」と。

フランクルは、例えホロコーストで煙になったとしても居なくなったのではない、一人ひとりが永遠に残っている。800万の人が生まれて生きたことは現実としてあるんだと考えた。どんな状況でも選ぶ自由はあるのだから、より良いものを下に落としたいというのがフランクルの考え。意味のある人生を送って欲しいと。

フランクルの考えの全てがわかったわけでも、全てに納得したわけでもないけれど、選択の余地が無いように思えるなかでも、そこには自分がどうやって取り組んだらいいかの自由は確かにあった。そして、その小さな選択を積み重ねた結果の今がある。

下に落ちていった砂の一粒一粒が自分の人生という捉えが新しく、意味があった。どんなことにも選ぶ可能性があり (何をやってもいいのではなく)いい人生を作り上げていくという考えは、前向きになれる。

ホロコーストを経験し、ほぼ奇跡のように生き残ったフランクルは、悪の鎖はどこかで断ち切らなくてはならないと考えた人。誰かがではなく私がやらなくてはならないと、収容所生活の中でも考えに考えた。『夜と霧  新版』は、この番組(シリーズ③④)を見た後に読んだからか、冷静な心理描写だからか理解しやすく、素直に頭に入ってくる。

日本の8月は、戦争を振り返る時間。時と共に、新しい情報や考え方へと変化しながら語り継がれていく。

※ヴィルケナウは、ビルケナウということに途中で気がついた。『ビルケナウ』はゲルハルト・リヒターのアブストラクト・ペインティングのシリーズ。リヒターは、収容所の写真を元にモノクロで油絵を描いたが、作品に仕上げられず時を経て、アブストラクト・ペインティング(抽象画の一種)として完成させた。
※『岩礁』と『砂時計』のイメージは、これからの私のパワーワード。
※見逃した配信は、NHK契約をしていればNHKプラスで無料で見ることができる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?