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【Pride Weekにつき】LGBT当事者の中で多様性のキャパは広がっているのか問題について

ゲイのコミュニティの中でGWと言えば、TOKYO RAINBOW PRIDEを筆頭にしたpride weekではないかと。
とは言え、コロナ禍中ではパレードができず、オンライン化が進んで、以前より話題に上ることはかなり減ったような気がしますが。

今回はコロナ禍以前に書いた、pride week関連の話をGWのタイミングで再掲しようと思います。
このタイミングを逃すとずっと公開できないと思うので。

テーマは、LGBTコミュニティの中にもまだやっぱり多様性って受け入れられてないのかなって話です。

自分と違う行動や考え方をする人に違和感を強く持ってしまう人は、ぜひ最後まで読んでみてください。

コンテクストで判断していませんか?

PRIDEのメインイベントでもあるパレードでは、下着姿の男性陣がフロートに乗ったりして街を練り歩くワケですが、その姿を見て、

『いやいや、そんな露出狂が声高に「権利ください!」って言っても通じるワケないだろ』

といった声が、ゲイコミュニティの中でポツポツと上がっていました。
2018年頃からこういう声が目立ってきたな、という印象です。

そんな話を見聞きするにつれ、「あぁまだまだなんだなぁ」と自分は思ってしまいました。

『露出狂だ』
『そんな変態が何を主張してもダメだ』

みたいなことを言ってる、思ってる人は、恐らくはコンテクストにかなり影響されてるんじゃないかと思うんです。

日本では「男性が服を脱いで公衆の面前に立つ」といった事象、イベントは他にもたくさん見かけられます。

裸祭。
ボディビルダー。
プロレスラー。
水泳選手。
俳優の半裸の写真集。
などなど…

前者がダメで後者はOKなのは、やはりどこかしら「セクシャリティ」に偏見があるからなんじゃないかと。
『脱いでる男性がゲイだから』っていう理由がどっかにあるんじゃないかと思うワケです。

そもそもこの一連のイベントは“PRIDE”であって“PARADE”ではないんですよね。
昔々は「パレード」と言ってたようですが、近年は「プライド」という言い方に変わっています。

東京のイベントだけではなく、九州で行われている同種のイベントでも、その他各地で行われているのでも、やはり「プライド」という言葉が冠されているところが多いです。

そもそも「プライド」と名を冠しているのは、こんな意味を持っているからだということ、知っていましたか?

『ゲイ・プライド』- Wikipedia -
ゲイ・プライド(英語: gay pride)またはLGBTプライド(英語: LGBT pride)は、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)の人々が自己の性的指向や性自認に誇りを持つべきとする概念を表す言葉である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%89

ただ単に練り歩くだけのイベントではありません。
だからコロナ禍でも、パレードができなくてもオンラインでイベントが成り立つんです。
ここはぜひしっかり押さえておくべきだと思います。

多方面から支持され続けている現状があります

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いろいろ批判したい人は、まずはそういう歴史を遡っておきましょうね、という話でもあります。

大雑把に言えば、

「こんな感じの人がいても全然いいでしょう?どんな人がいたっていいでしょう?」

っていう場なワケです。
だから、格好云々だけ見てツッコミを入れるのはちょっと違うよなと自分は思っています。

自分の周りのノンケの方たち(=ストレート・異性愛者)で、カリフォルニアのでっかいLGBTイベントに行った方たちがいました。
そこで、半裸どころか全裸で闊歩する参加者を見てきて、カルチャーショックもとい、非常に良い刺激を受けて帰ってきて、

『すごかった!』

と嬉々として話してくれたことがありました。

そうやって違うコミュニティの人たちを巻き込み、大きなインパクトを残せるのが一連のプライドのイベントなんですよね。

『あぁ、こういう人もいるんだな、なるほどな』

という人が増える、それだけでも十分に価値があります。

もし仮に、世間一般に受け入れられないような、いわゆる「変態」のイベントだとしたら、ここまで世界規模で広まっていないでしょう。
TRPも、2021年現在では「P&G」「マイクロソフト」「Facebook」「KDDI」などの名だたる企業から協賛を受けるまでになっており、その支持母体の強さ・大きさが伺えます。

企業がセクシャリティの多様性を受け入れ世に広めるのに一役買っている中、

『裸で歩き回るとかダメでしょ、キモいでしょ』

って言っちゃう人がいる。
当事者の中にも一定数いるんです。

そういう人たちはやはり頭のどこかに「マイノリティ」としての偏った考えがあるんじゃないかなって思ってしまいます。

他のイベントで男性が脱ぐのはOK、でもゲイがねぇ…という場合は特にその気が強いんじゃないかと思います。

過去や経緯にも目を向けると見方が変わります

プライドとはどんなセクシャリティでも、引いてはどんな個でも全然OK!ってイベントなはず。

そもそもは「夜、皆が楽しく飲んでたゲイバーに、無駄な警察の踏み込みがあった!そんなの酷い!」ってとこから始まってるんです。

『ストーンウォールの反乱』- Wikipedia -
ストーンウォールの反乱(ストーンウォールのはんらん)は、1969年6月28日、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン (Stonewall Inn)」が警察による踏み込み捜査を受けた際、居合わせた「LGBTQ当事者らが初めて警官に真っ向から立ち向かって暴動となった事件」と、これに端を発する一連の「権力によるLGBTQ当事者らの迫害に立ち向かう抵抗運動」を指す。この運動は、後にLGBTQ当事者らの権利獲得運動の転換点となった。ストーンウォールの暴動ともいう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%8F%8D%E4%B9%B1

そこから今のプライドのように、明るい全方位向けのイベントになった意味や意義があります。

そうやって、今に至るまで様々な方たちが尽力してきてくれたお陰で、例えばTwitterでもゲイコミュニティが確立していたりします。

昔々はゲイバーという限られた空間でしかなかった出逢いが、雑誌の投稿欄、文字だけ掲示板、SNSなど、手を変え品を変えで受け継がれてきました。
いろいろなプラットフォームで生まれたいろいろなつながり方を、いろいろな人が経験しました。
そこで、いろいろな表現方法が生まれて、それが醸成されたコミュニティが今の姿なワケです。

少なくとも自分がゲイとして活動してきたこの十何年の間だけでも、かなり状況は好転したと思ってます。
TRPのような街頭のイベントに友だちと一緒に遊びに行って、写真を撮ってインターネットにアップするなんて、十年前では考えもしないことだったので。

なので、プライドのパレードの中でフロートの上を下着姿で踊っている方たちだけを見て切り取って、そこにだけツッコミを入れるのは野暮ってもんですよ、と言いたい。

よければそういう過去の話、これまでの経緯にもぜひ目を向けて、その上で裸で闊歩する男性たちの話を考えてみてはいかがでしょうか?

どんなアナタでもOK!な時代です

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他の人の立ち居振る舞いにどうこう言ってたら、どっかで自分自身のあれこれにツッコまれる時が来ます。

今の変化の激しい時代に必要なのは、どんなセクシャリティでもOK、どんな個性でもOK、それでいいよね?というお互いに対する視線・姿勢であると、自分は考えています。

もちろん社会からの風当たりはまだ強いと思います。
それでも10年前から考えたらだいぶ緩くなりました。

パートナーシップ制度も徐々にではありますが、世間に浸透し始めてきました。

マイノリティだから世間体を気にしないと生きていけない、という時代はもうそろそろ終わりです。
というかマイノリティであろうがなかろうが関係ないですよ、ってことですね。

世間から勝手に押し付けられた肩書きで息苦しい思いをしなくてもいいんです。

アナタはそのままのアナタでOK。
自分自身の趣味や志向、考え方、感じ方、生き方をぜひ楽しんでください。

このGWだけでもそういう時間をいつもより多く取って過ごしてみてください。

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