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【首都圏ゲイに捧ぐ】「いつでも自分が会いに行く」ことの価値

これは偏見かもしれませんが、首都圏ゲイにありがちなのが、

『会いたい!こっち来る予定とかある?!』

みたいなやつ。
自ら動こうとしないで来てもらおうとする気満々な態度、たまに話題になりますよね。

まぁガチ田舎に会いに行ってもやることが限られてくるんで、東京大阪に遊びに行った方が良い思い出になるし、そういう意味ではコスパもいいかなとは思います。

でも、少なくとも自分はこの世界に入ってから、ネット経由で知り合った人と遊ぶ時は基本その人のとこまで行くとか、できるだけ自分の足を動かすようにしてきました。

今回はそのキッカケになった曲を紹介しながら、その時の話とか、人間関係の作り方とか、そういうのを書いてみたいと思います。

『あなたに会いに行きます』

これ'97年のアルバムの曲なんで、同じ世代以上で洋楽よく聴いてた人じゃないと分かんないと思いますが。

タイトルは”I will come to you”です。
「会いに行きます」ってこと。

これ初めて聴いたのはラジオ英会話で、歌詞読んでマジすごいと思ったんです。
今でも覚えててちゃんと歌えるくらいに当時好きで聴いてました。

冒頭がこんなです。

When you have no light to guide you
And no one to walk beside you
I will come to you, oh, come to you
When the night is dark and stormy
You won't have to reach out for me
I will come to you, oh, come to you

この内容をこの曲で、当時10代の兄弟三人で歌ってたんですよ。
すごくないですか?

これをめちゃくちゃ聴いてた時、初めての彼氏ができて、中距離恋愛だったんですが、歌詞即採用になりました。
道を照らしてくれる灯りがなくても、一緒に歩いてくれる人がいなくても、暗い嵐の夜でも、自分があなたのとこまで会いに行くよ、っていう。

恋愛感情云々は抜きにしても、この考え方がもう無意識すぎるくらいに自分の中に刷り込まれてるんで、「会いたい人に会いに行く」っていうのは、自分の行動のデフォになってます。

何でこれ今頃思い出したかは全く分からないんですけど、ここ1か月くらいで急に聴きたくなったんですよね。
ものすごく不思議です。

気持ちは行動に表れる

自分から会いに行くっていうのは、自分自身の中では相手への気持ちの表し方の最たるものだと思ってます。

もちろん、相手が好きなら思いやって言葉をかけてあげるだけでも違うと思うし、そっとしておくことも必要だし、ただただ「そうだよね、うんうん」と話にうなづくことも大切です。
勝手に会いに行くのは、もしかしたら相手にウザがられる可能性もあるし、断れない相手にとっては負担になることだってある。

でも、ですよ。

このコロナのいろいろで分かったけど、リモートでは伝わらないことって絶対あって、直接会った方がそこに言葉がなくても伝わるものってあるじゃないですか。

リモートな世の中だからこそ、好きで一緒にいたいって本気で感じたときにする行動は「会う」ってことだと思うんですよね。

会いに行くと相手の時間も使ってもらうことになるけど、そうしてくれたってことは大なり小なりこちらの気持ちにも応えてくれたっていう相互作用の表れでもあり。

そもそも気持ちがなかったら、こっちがいくら会いに行っても時間を作ってくれないし、会おうともしてくれないワケで。

仕事で忙しいとか、他県から来てもらうのにはやっぱり抵抗があるとか、他にもいろいろ理由はあるけど、会いに行ったら会ってくれるっていうのは、その二人の関係の中で(どんな関係かは別として)ちゃんと気持ちが表れてるってことだよなって思います。

会いに行けない、そこに行けないことの虚しさ

いつでも自分でその人の元に、その場所に足を運ぶっていう決意というか、それをデフォにしたのは、10年前の3.11があるからでもあります。

自分は学生の頃まで仙台に住んでいました。
もう離れて17年とかになりますが、仙台はたくさん良い思い出がある大好きな街です。

3.11の前後は夜の飲食で働いていて、仕事を断る勇気もなかったし、資金も全くなかったので、すぐ現地の家族を助けに行くことが全くできない状況でした。(家族の安否はすぐ確認できました)

テレビでは小中の頃に慣れ親しんだ地名と、そこに身元不明の遺体が何体も、という報道がバンバン流れていて。
そんな中でも、お酒を提供してはお客様のためにサービスしないと、っていうのが本当に苦痛でした。

コンビニのレジ横の募金箱に義援金を入れるのも躊躇われるくらいの経済状況だったこともあって、とにかく自分がみじめでした。

その後出会った、震災復興支援を長期間に渡って続けてた方の影響があって、「何かあったら絶対に自分で動けるようになる」という、”I will come to you”の精神は確固たるものになりました。

いやホントに、何かあってもそこに行けないことの悔しさって半端ないんですよ。
今でもそのときのことを思い出すと悔し泣きします。

そういう(ネガティブですが)めちゃくちゃ強い想いのおかげで、今の自分はサクサク行動ができるようになりました。

会いに行くことのテクニカルな面

ちなみに、ちょっとしたテクニックですけど、心理学的にいう「単純接触効果」ってあるじゃないですか。
会う回数を重ねるごとに親密度が増しますよ、っていうの。

ゲイの世界だと、どうしてもネット上のやり取りが多くなります。
そしてネット上のやり取りでも仲良くなれることは多々あります。

でもネット上の自分も相手もある種「キャラ」で。

リアルで会ったときに感じる波長とか雰囲気とかの方が、よりその人を感じやすいと思います。

ネット上で仲良くなってもいいんですけど、それよりは実際対面で会う方が、本当のお互いが見れるという意味で親密度は高くなるはず。
逆にやっぱ合わなかったんだって感じちゃうのは、それはそれでいいと思いますし。

で、仲良くなれそうだなって感じた時、会いに行けば行くほど親密度は高くなる、という。

まぁ実際の人間関係でこれが必ず全部に当てはまるってことはないと思いますが、何度も会いに行くことの意味は心理学的には実証されてるよ、ってことで。

会いたいなら会いに行け、待ち受けるな

ということで、個人的にはこうです。

会いたいならどこへなりとも会いに行け
時間とお金とエネルギーを使っても何か還ってくるものがあると確信するなら、自ら会いに行け

相手のこと考えてしまうと、なかなか行動できないのはよくあることですよね。

仕事忙しくないかなとか、他の友だちと遊びたいんじゃないかなとか、いろいろあると思うんです。

でも会いに行きたいなら、その心に素直に従いましょう。
そして気持ちを行動で表してみましょう。

何かいいこと絶対ありますから。

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