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Indy500と愛国心。

5月22日から1週間ほど
中学生の頃からの念願である “Indy500”という
カーレース観戦のため、アメリカに行ってきました!

実は、このレースは世界3大レースの1つで、
今年も30万人を超える観客が集まりました。
※甲子園球場収容人数:4万7千人

ちなみにレースは4時間雨で遅れましたが、それでもこの満員↑

予選から数えると1週間以上続くイベントは、
文字通りお祭り騒ぎで、
いかにもアメリカ!という雰囲気が漂います。

しかしそんなイベントの中で唯一、
30万人の会衆が、脱帽し、胸に手を当て、
静まり返る時間があります。

それは国歌斉唱でも、国旗掲揚でもなく、、、





戦没者追悼の言葉が述べられている時。
記憶を頼りに訳すと、こんな内容でした。

=========

戦没者記念日。
毎年この日は、
自らの命を犠牲にして
アメリカの “自由” を守った彼らに思いを馳せる。

町の墓地では、
国のために命を落とした彼らに首を垂れる。

そして我々は、
究極の犠牲に、深い感謝の意を表す。

同じ週末、
ここインディアナポリス・モーター・スピードウェイでは、
これ以上ないほどの盛大な祭典を開く。

他のスポーツでは決して見られないスピードと、
全てを犠牲にしてレースする者の勇気の祭典。

しかし、本当に重要なのは、
犠牲無くして、祭典は成り立たない。
犠牲無くして、アメリカは成り立たない。

ということだ。

Indy 500は常にそのことを理解し、
我が国の軍に感謝の意を表している。

100年以上前から毎年続くレースは、
第2次世界大戦のために4年間中止され、
スピードウェイは航空機エンジンの生産拠点となった。

鎮魂と追悼を捧げるこの週末、
Indy 500は、戦没者記念日が意味することを
決して忘れない人々の集まりなのだ。

我々は今日、
轟音のゆえに、
スピードのゆえに、
そして何よりも国に命を捧げた彼らのゆえに、、、


ここに立っている。

記憶を頼りに著者訳

=======


この宣言の後、表彰台に立つ軍人や、
殉職した軍人の家族には、
心からの敬意を表して、拍手が送られます。

アメリカ人でない私でさえ、
胸が熱くなりました。

アメリカの国体ともいえる “自由” は、
命を懸けて、それを守ろうとした人々の、
大きな犠牲の上に成り立っている。

しかし、
その事実以上に私の心を揺るがしたのは…

独立宣言から248年。
今も人々がしっかりと先人の犠牲を心に刻み、
感謝の意を表しているということでした。

宣言の間だけではありません。
私が滞在していた期間、
いくつかパレードにも参加しました。

そこでも軍人や国旗が目の前を通るたびに、
老若男女問わず、みんなが立ち上がり、
拍手を持って敬意を表するのです。

悔しいことに、独立宣言から250年も経っていない
アメリカという新しい国でさえ、
人々の生活にこれほどまでに “国を大切にする心”が
浸透していることに嫉妬を覚えました。

日本では、 “国を愛する” とか、
“愛国心” というと、右翼だ!と
後ろ指を刺されてしまうこともあります。

たった250年の歴史しかない国に、
2000年以上紡いできた “国体を大切にする心” を
奪われてしまった日本。

とはいえ、来年には戦後80年を迎えることも事実です。
いつまでも戦後レジームを言い訳にしていて
良いのでしょうか。

アメリカ人の愛国心に思い知らされるのは、
なんだか皮肉ではありましたが、
自分の国に誇りを持てる日本人でありたいな。
と思わされた週末でした。

アメフトチーム:NE Patriots(直訳すると愛国者)ファンらしいでしょ。

p.s.
日本人ドライバー佐藤琢磨選手はアメリカでも大人気!
Tシャツを着ていたら、
こんな声をたくさんかけられました。

「彼はサムライだ!」
「人間としてもドライバーとしても尊敬している」
「彼の故郷を見たいから来月日本に行くよ!」

日本人として世界で活躍されている方の存在に、
奮い立たされた旅でもありました。

追って、観戦記を真面目に書きます。

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