あの年、私は保健委員だった

 息子が尿検査キットを持ち帰ってきた。小さなプラスチック容器と、提出用の内側がなんとなく撥水加工されていそうな袋。私が学生の頃にお世話になったものと、大差ない。ということは、これが尿検査キットとしての完成形なのだろう。私にとっては毎回お手軽に懐かしさに浸れる、一種の便利アイテムなのだ。学校から配られたプリントには、名前の記入場所や袋の封の仕方など詳細に書かれている。50歳以下の人であれば、大抵の場合は経験済みであろうこの尿検査。そんなに丁寧な説明文が必要なのか?と読む度思うのだけれど、きっと時代がそうなのだろう。この、年一回訪れるノスタルジックな検尿人生の中で、たった一度だけあった、忘れられない出来事を記していく。
 
 それは私が高校二年生の時。保健委員だった私はその日、クラス分の検査キットを受け取る為に保健室へと向かった。

「エツコさん(←養護教諭)、2年5組のやつちょうだい。」

 エツコさんは大きな段ボールの中から、それを取り出した。透明なビニール袋に雑に入れられたあのプラスチック容器。表面には太字の黒インクで『2−5』と書かれていた。

「中身確認してみて」

 そう言われた私は、顔の前でクルクルとそれを回した。中には、採尿カップも入っていた。今は折り紙式に作る紙製容器だけれど、当時はプラスチック製で結構かさばるものだった。そして一通りクルクルしたあと、提出用の紙袋が入っていないことに気付いたその時。

「今年はね、もう一個あってさぁ。ちょっと重いんだよ、これ。」

 エツコさんはそう言って、私にもう一つアイテムを授けた。それは30センチ四方の木の板に、針金が碁盤の目のように張り巡らされていて、針金は二重、三重になっていた。丈夫そうな作りのそれには、一区画ずつに番号がふられていたけれど、何に使うのかは不明だった。

「なにこれ。武器?」

エツコさんは笑って、説明を始めた。

「その武器の一区画ずつにふってある数字、名簿番号だから。そこにみんなの分いれて、明日の朝、また保健室まで持ってきてちょうだい。」

…ん?なんだって?

「容器がちゃんと立つように作るの、大変だったらしいわ。」

…言われてみれば、確かに一個ずつきれいに立てかけて入れられそう…。45個に分けるのはさぞ大変だったろうに…。いや、問題は、そこじゃあない。

「ちょっと…。中身、丸見えってこと?」

「そうなのよ。見やすくていいでしょ。」

高笑いするエツコさん。こっちは思春期真っ只中、全然笑えない。女子高校生の羞恥心舐めんな!男子高校生だってもちろん恥ずかしいんだぞ!

「いつもの紙袋は?」

「今年は無いんだよ。節約かなぁ」

節約:無駄を省いて切り詰めること。…っ!

 放課後のホームルームで、学校中が阿鼻叫喚になったのは言うまでもない。しかし決定事項は変わらない。私は保健委員の説明責任を果たし、『例の武器』を教卓上に置いて帰った。各自番号順に入れてくれるはずだ。
 翌朝、検体の回収と提出をせねばと思い、早めに登校した私。その日の通学路はいつもより学生が目に付く気がしたのだけれど、教室の扉を開けると、ほとんどのクラスメイトが揃っていた。私は普段から時間に余裕をもって行動するタイプで、いつも朝の教室には2〜3人しかいない。それよりも早く家を出たのだから…
 嗚呼…みんな…考えることは一緒なんだね…
教壇の上に置かれていた『例の武器』の大半の区画にはブツが収められていたのだけれど、そのどれもがティッシュにくるまれていた。
 昨日、保健室からの去り際、エツコさんはこう言った。

「紙とか袋とかに入れないで、裸のまま持ってきてねぇ」

…高校生のデリカシー舐めんな!

 当然私もティッシュに包んで持ってきていた。裸のままもってこいだなんて要求、飲めるわけがなかった。それにたとえティッシュに包まれていたとしても、人前に晒すのは抵抗があった。だって思春期だから。...いや、おばさんになった今でも、それは嫌だ。
 なんやかんや揃ったところで、保健室に持っていった。エツコさんは開口一番

「ティッシュ剝いでー。」

 そう言って指さしたゴミ箱の前には、先客が2人。いっこ上の先輩方を見習って、渋々みんなのティッシュを剥ぎ取っていった。中身、見ちゃってごめんね。

「番号間違えないようにね。あとキャップちゃんと閉まってるか確認もよろしく。」

「キャップも?」

不満が漏れ出た。

「私、今このティッシュ毟るのさえも、なかなかの苦行なんだけど。」

 剥ぎ取ったティッシュをヒラヒラさせて、そのままエツコさんに向かって投げた。それを拾ったエツコさんは、手のひらでクルクルと丸め、グッと握ると、そのままゴミ箱に放り投げた。

「大丈夫だよ。死ぬわけじゃないんだから」

………なんてガサツな………

その翌年は、いつも通りの検査キットが配られた。
あの経験で私は少し大人に近づき、なにか大切なものを学んだ気がする。

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