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そんな自分を剥がしたら

4月。
もし前職を続けていたなら、たぶんどこかに転勤していたんだろうなということをずっと思っている。



今年はやや雪解けが遅かったが、北海道もだいぶ春めいている。まだ朝は普通に氷点下だけどね。でも北海道的には春だ。

冬の終わりと年度替わりの浮ついた雰囲気の街で、あったかもしれないことを考える。

違う場所、違う場所、違う場所。
場所を変えて、自分が変わった気になるもんじゃねえよ、と思う。

他力ではなく、自分を変えればいいだけの話なのだということは分かっている。



元彼から、顔つきが変わったと言われた。

転職してから人生でこれまでになく沈黙した時間を過ごしている。

今まで結構な割合で、想像や思い込みで口を開いていたのだと感じることがあった。



隣の課に、一見して覇気をなくした上司がいる。
入社してすぐ感じたから、なかなかな具合だと思う。原因は出世争いのようだ。

今までなら、「ダサっ」の一言で片付けて、なんなら関係ないのに腹が立ったりしたものだと思う。

でも今はちょっと違う。
僕には想像も出来ない期間、仕事をしてきて、そうなった現状をどう受け入れていくのか。
そんな、僕が想像も出来ないことに、僕が何か思うことなど出来ないのだと思う。



何も言えねぇ。
この2ヶ月、それが一番思ったことだった。

黙って飲み込んだものの分だけ、男の顔は渋く、深くなっていくのかもしれない。



転職して職場の最寄駅が郊外になった。
人の流れとは、少し違う方向で職場に向かう。閑散とした最寄駅から職場に向かう時、少し寂しくなる。

これまでずっと、所謂オフィス街というところで働いてきた。毎日同じ時間に、同じような格好をした、同じようなサラリーマン達の中で通勤する。
それに、変な安心感を持っていたのだと思う。



オフィス街で働いている。
人並み以上の収入がある。
浪人もなく、履歴書はストレート。

自分は普通だ、皆んなと同じような勤め人が出来ているのだという変な安心感。

そんなものに10年以上浸かっていて、なんならそれが自分そのものだという気がするようになっていた。

実際そんなものが剥がれて残ったものは、そんな変な安心感に知らないうちに寄りかかっていた、ちんけな自分だったということだ。

自分が今まで自分だと思っていたものは単なる外的要因でしかなかった。

中身を見て!なんてよく言うけれど、僕が一番僕の中身を見ていなかったのかな。



転職活動中より、転職後の方が仕事というものについて考える。

結局今でも自分がどうなりたいのかは分からないけれど、もう少し細分化して、何が自分にとって人生のステップアップになるかを考えることは出来るなと思っている。

会社で偉くなる。彼氏を作る。都会に住む。金銭的や物質的に良い暮らしをする。
一見してイイねと思えそうなことであっても、自分にとってはステップアップだと思えないなと思う。

ベターではあっても、自分をアップ出来る事柄ではなく、一見してイイねと思われることに寄りかかっても、それは本当に一見にしか過ぎなくて、長く見て自分を満足させられるものではない。



それなりに仕事が出来ていた所から、一番仕事が出来ない奴という存在になった自分。
人に興味がないのに、人におもねることが出来ない自分。

立つ瀬がない中で、勉強がいかに尊いものかも実感した。今は勉強という純的な世界に救われている。

思考は前進していると思う。
過去はいつも更新されていくものだ。


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