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正常と異常とは何か -『正欲』-

映画『正欲』を観に行った。

朝井リョウ原作、出演者も豪華なのだが、がっつり宣伝されているような感じはしない映画。



結論から言うと、めちゃくちゃ良かった。

初日のレイトショーで1100円で観て申し訳なくなったくらい良かった。

僕の中のオールタイムベスト3に入る。



前半は、登場人物それぞれのオムニバス形式のストーリーで進む。紹介される人物が多くて、結構頭の容量を使う。その後、ガッキーと磯村勇斗が絡み始める辺りから俄然面白くなる。

後半はそれぞれの人物が交差していくのだが、それでストーリーが進むという感じはなくて、結果的に交差しました、みたいな塩梅なので、それ系が好きな人には物足りないかも知れない。



磯村勇斗の演技は言わずもがなだし、ガッキーの場面によって落差のある表情管理も良かったが、僕的な白眉は諸橋役の佐藤寛太だった。

自宅の床で仰向けになって見せる恍惚の表情は凄かった。

理性の中では惹かれたくないと思っているものに、本能では惹かれてしまう、そのどうしようもなさと、まだ「普通」でいたいのだと抵抗する感情の狭間の表情が素晴らしかった。

どうしてこんな演技が出来るの?



僕、最初の段階では、諸橋はゲイなのかなぁと思っていた。

自分が「普通」ではないと思ったことがある人には、かなり共感できるシーンが多い映画だが、僕は勝手に諸橋に自分を投影していたのかもしれない。

それくらい自分の感情を乗せて観ることが出来た映画だった。

そう言えば、いつだったか、僕らのことを異常動物だと呼んだ人がいたよな。



正常と異常との線引きは何なのか。
認められるものと認められないものは誰が決めるのか。

こんな難しい題材をよく小説に出来、よく映画に出来たなと拍手を送りたい。



佐藤寛太の仰向けシーンに並んで良かったのは、ガッキーと磯村勇斗のベッドのシーン(ベッドシーンではない)。
普通のベッドシーンではなく、こんなベッドのシーンの方が実は純で美しいのだという、普通に対する一つのアンチテーゼだ。



僕も無意識に自分を世間の端っこに置いてしまうことが多い。

世の中は、夫婦と親子を基準に作られている。
僕は自分を自虐しているとは思っていないし、自由に生きているとも思っているけれど、一歩外に出ると、自分は普通ではないからと、自ら端にどいてしまう。
そして、それが思いやりや心得だと思っていたりする。

普通の擦り込みって、それこそ異常なくらい根深いのだ。



終盤、登場人物達が「普通」に追いやられていく時、心がざわついた。
そして迎えるラストシーン。

普通のことです。
いなくならないから、って。

この一言で、今まで自分が普通だと思っていた稲垣吾郎の認識が、(ちょっとだけ)反転する。

これがまた素晴らしいシーン。
最後までいい映画だった。



笑って楽しい映画ではないけれど、僕はめちゃくちゃおすすめしたい。

レイトショーの後、家に帰って『きのう何食べた?』のジルベール(磯村勇斗)を観て、改めて脱帽してしまった。

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