伊藤詩織さんが漫画家はすみとしこさんを提訴。「風刺」とは?

伊藤詩織さんに提訴された漫画家の はすみとしこさんいわく。

「風刺画はフィクションで、伊藤さんとは無関係」とのこと。

ちょっと私なりに思ったことがあったので、本筋とは若干ずれますが、ふわっと言及しておこうと思います。


この案件、実は全然、中身を知らない。だから、あんまり切り込んでいけない。

さっきスーパーにもやしを買いに行ってきたんですけど、帰ってきてツイッター見てみたら、こちらのニュースが話題になっていました。

伊藤詩織さんが、漫画家のはすみとしこさんを提訴したと。

んで、はすみさんは「風刺画はフィクション」と主張していると。

はすみさんは一連のイラストについて、自身のTwitterやYouTubeなどで「風刺画はフィクション」「伊藤さんとは無関係」と主張している。
判決があった2019年12月には、「『山ロ(ヤマロ)沙織〜オシリちゃんシリーズ(計5作品)』の風刺画はフィクションであり、実際の人物や団体とは関係がありません」として、イラストなどの投稿を削除する意思がないことをTwitterで表明していた。(この投稿も伊藤さんは今回の提訴で削除を要求している)
訴状では、イラストの女性の顔立ちや髪型が伊藤さんに酷似していると指摘。女性が手にしている本の装丁や「CLAP BOX」というタイトルが伊藤さんの著書を連想させるなどとして、「(イラストの)女性と伊藤さんを同定することは容易に可能」と主張している。

ん~~~・・・・・・

ちょっと、はすみさん、アレですね…。


ってか、この問題に関しては、全然ニュースとか見てなかったんで、予備知識がまったくない状態です。

ですから、あんまり軽はずみに事件の内容そのものに関して、ああだこうだと言及できないし、また、言及するべきでもないのかな、って気がしております。

ただ、じゃあなんで、今回あえてこの話題を取り上げたのか?っていうとですねぇ、私なりの「風刺」に対する考え方をいったん、自分の中でまとめておきたかった、というのが理由です。


あくまでも私なりの見解。私なりの価値観&美意識。「望ましい風刺」とは?「好ましい風刺」とは?

まぁねぇ、人それぞれなんでね、いろんな考え方があっていいと思うんですけど、一応ね、私なりに「本来、風刺というのはこうあるべきなんじゃないのか?」っていう思いがありまして。

それはですねぇ、

「風刺」っていうのは本来「巨大権力に対する、弱い立場の人たちによる『遠回しの抵抗』」なんだと思うわけですよ。

たとえば、「横暴な貴族に対する民衆の怒り」、みたいなものだったりとか。たぶん昔の風刺画って、そういうのいっぱいありますよねぇ。

強大な権力に対して直接的に異議を申し立てると、簡単に武力でねじ伏せられてしまいますからね、ユーモアとか、パロディとか、なにかオブラートに包んで、遠回しに批判していく、抵抗していく、っていう。

それが、本来の意味での、あるべき「風刺」のスタイルだと思うんですよね。

これ、まかり間違っても、権力の側にいる者が、弱者に対して行うものじゃないと思うんですよ。

それは「風刺」って呼ばないと思うんだよね。

違いますかね。


んで、はすみさんは「風刺画」だという。なにが風刺なんだ?っていう。

そもそもの話は、元TBS記者の山口敬之さんからの性暴力被害に対して、伊藤さんが訴えていたらしいので、そういう意味では、山口氏が強い立場で、伊藤さんが弱い立場だったという認識であってる?

だとすればだ、漫画家のはすみさんは、

強い立場の者と弱い立場の者とが争っている様子を、強者の側に立って弱者を描き、それを「風刺」だといっている?しかもフィクションであり無関係だと?

なんだろうな、これって。

「伊藤さんとは無関係」と主張しているようですが、そこに登場するキャラクターの、顔立ちや髪型や持っている本のタイトルが似ているのは偶然だとでもいうのでしょうか。

ちょっと私にはよく分からないです。

どこに面白味があるんでしょうか。

なんなんでしょうか。


漫画家にせよ、ライターにせよ、アーティストにせよ、表現する人間なら、弱い者の味方であれよ、って思ったり思わなかったり。自戒も込めてね。

権力に媚び、弱者をいたぶる。あるいは搾取する。

そういうのは、あの辺の界隈の連中だけで十分でしょうよ。

あのへん界隈。

ホント、自戒も込めてね。

漫画家も、文筆家も、ミュージシャンも、ラッパーも、芸術家も、映画監督も、ブロガーも、どうせ戦うんなら、自分よりも強い者に向かって行けよと思うわけですが、まぁ、怖いっちゃ怖いよねぇ。

おそらく、長いものに巻かれて生きた方が、楽だし美味しい思いができるんでしょうけどね…。

でもやっぱり、何が正解なのか、わからんけどさ、

できることなら、虐げられている人々の味方でありたい、という気持ちを捨てきれない今日この頃です。

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