ヘリオトロープ 前にこの写真、一度出しているのだけれど、ちょっと気なることがあって、再び
ヘリオトロープ
いったい、何が気になったのか?、
それは、漱石の小説「三四郎」のクライマックス、
美禰子(みねこ)の結婚が決まって、三四郎に別れを告げる、その場面で、ヘリオトロープの香水を浸み込ませた白いハンカチを、三四郎の顔の前に差し出して、
「ヘリオトロープ」と、あえて言ったという、その心理が、なぜと、気になったのである。
ヘリオトロープの香水は、二人の出会いのところで使われた、小道具だった
そう、出会いのところで、どの香水にしようかと迷っていた美禰子に
「これなんかどう」
そういって三四郎が勧めた香水だった。
去っていく女が、なぜ、別れのところに、その香りを持ち出してきて、あえて、嗅がせる…
その心理が、僕にはどうにも分からなくて、
前にヘイオトロープを書いたとき、姉が再び、「三四郎」を読み返していたところだったようで、
「ヘリオトロープは、三四郎の中に出てくる香水よ」と、メールしてきたのを思い出して、
「なぜ、あの場面で、あえて残り香を」と、電話したら、
「そこが、女の微妙な心理で、多分、あなたのこと、好きだったのよという、メッセージなのでは」と。
難しいね、男と女の言葉にできない心の綾…
言い換えれば、この小説は、そういうことを言いたいがために書かれたものだったのか…
ウーン、時代が時代だからねぇ…
しかし、しかし、しかし…
もしそうだとしたら、却って後が辛くなるんじゃぁないのかねぇ…
僕も、いろいろ別れを経験したけれど、分からないね、この心理…
こういうことを書くと、
「そういうデリカシーが分からないから、女が去っていくのよ」と、言われそうだけど、
「去っていく男」よりも「去られていく男の方がなんとなくいい」などと言うと、これはもう、完全な顰蹙ものだな(笑い)
「嗚呼…あ いくつになっても分からないね男と女…」
とうとう、最後まで分からずして人生を終えていくのか…
「男と女の間には、深くて暗い河がある…」
いつの間にか、そんな歌を思い出して口ずさんでいた。
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