プロレス超人列伝第14回「ウィリアム・リーガル」
英国紳士と聞いて人は誰を思い出すだろう?
ジェームズボンド?キングスマン?
この言葉を聞いて、僕が真っ先に思い出すのはウィリアム・リーガルだ。
1968年イギリス、イングランドで生まれたリーガルは15歳からイギリスのカーニバルでプロレスを行うガチガチのシュートファイターであった。
そのレスリングスタイルはエルボーと関節技主体のランカシャースタイルであった、現在ではこの後継者は少なく彼が最後の生き残りであるともいわれている。
イギリスは隠れたプロレス大国であり、現代でもその生き血は流れている珍しい国である。
彼の得意とする絡みつくようなねっとりとしたファイトスタイルはこの時期に生み出されたものだった。
現在、欧州プロレスはこのイギリスを除けば絶滅してしまったといってもいわれている。
彼が青年時代を過ごした時代にはまだ欧州プロレスは健在であったらしく、ハンガリーやドイツなどで試合を行い大いに沸かせていた。
その後、1990年代には主戦場を欧州から北米にうつしWCWにたどり着いた。
WCWでは当初は好青年キャラで売っていたが、あまり人気が出ずすぐさまにイギリスの貴族という触れ込みで高慢ちきなヒールキャラとして人気を博す。
WCWに在籍していた時代には新日本のリングにも上がるようになっていき、アントニオ猪木ともシングルマッチを行うほどの扱いを受けるようになっていく。
さらには当時IWGPヘビー級王座のチャンピオンであった橋本真也と試合を行い、彼のフィニッシャーであった垂直落下式DDTを跳ね返すという活躍をみせ新日本プロレスでも名高い名声を獲得するのであった。
安定していた彼のプロレスラー人生であったが、そこに壁が立ちはだかってしまうのであった。
当時、WCWは超人類ビル・ゴールドバーグを売り出していた。
ゴールドバーグは超大型の選手でも軽々持ち上げ、恐竜か怪獣のような咆哮をあげ善悪関係なく邪魔者は叩き潰すゴジラのような最強系プロレスラーであった。
しかし、元々ガチの経験者であったリーガルはゴールドバーグを認めていなかった。
試合の最中でゴールドバーグの技を受けることを拒否、途中でガチのエルボーや関節技を決めゴールバーグを困惑させた。
誰もが見たくなかった怪獣が人間になるところ、それをみせてしまったことでWCW運営を怒らせたリーガルは速攻で解雇処分になってしまった。
その後、WWFに出るがこのギミックがまたズレた肉体労働者のキャラクターというもので大失敗。
恥をかいた彼は古巣のWCWに戻ってしまった。
しかし、これも長続きせず再び解雇されてしまう。
赤っ恥状態のリーガルは2000年に再びWWFに上がると、得意としていたエゴイスト系ヒールとして君臨するようになった。
英国からきた親善大使という触れ込みで、リングに上がっては
「低俗なアメリカ人の皆さんに、わたくしが正しい英語とテーブルマナーを教えてさし上げましょう。」
とアピールを行い、観客から爆笑がおきてしまうほどのこてこてな悪役を演じていた。
これが観客におおいにウケた。
その後は強いものに弱く、弱い物に強い嫌味なコミッショナーとしての役割を与えられお茶くみ係の日本人のTAJIRIを従えて爆笑のコントを披露しお茶の間に笑いを届けていった。
それ以降TAJIRIとタッグを組むようになり、彼から「師匠!」と呼ばれるほどの敬愛を受けることになっていった。
2005年の日本公演ではタッグ王座を取り、TAJIRIとともに観客から抱きしめられるという感動の一幕もあった。
そして、時は流れ…2007年彼のプッシュが始まっていった。
RAWのGMを決めるバトルロイヤルで勝利したリーガルは今度はお笑い抜きの完全にシリアスな悪のGMとして君臨するはずだった…。
しかし、その翌年に彼は薬物関係で問題を起こしWWEから解雇処分を下されるのであった。
だが、運命の女神彼を見捨てなかった。
再びWWEに戻ってきた。
その頃二軍として機能していたECWに上がり悪の大ボスとしてクリスチャンと長期間の抗争を繰り広げたリーガルは再びWWEの世界に戻ってこれたのだった。
その後、ECWが終了すると若手の育成機関も兼ねた「NXT」が誕生した。
やがて、リーガルはこのNXTのGMとして君臨するようになった。
そして、2013年。
当時活躍していたスイスからきたアントニオ・セザーロと名勝負を繰り出したリーガルは彼の長いキャリアをいったん区切りをつけることになるのであった。
しかし彼自身は現在でもNXTでGMとしての剛腕を振るっている。
またいつか、彼のリングに上がる姿が目撃できるのではないかと多くのファンが心待ちにしているだろう。
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