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因果応報見届け人①前口上

人は好き勝手に行動する。そしてそれらが導く報いがあります。その事を「因果応報」と呼びます。しかしあらかじめ特定の結果を狙っての意識的な行動による報いは因果応報とは呼ばないかもしれません。

それでもって人っていうアニマルは、まことに身勝手な解釈をするものであります。たとえば、なにか幸運が舞い込んだりすると「私の日頃の行いが良いからだ」とか言って、これは因果応報で、自分にはこの幸運を受けとる権利が充分にあると声高らかに謳います。しかし、何かしらの(個人的な)災いが降りかかると「なんで私がこんな目に遭わなきゃなんないの」と因果応報のことなんかコピー機に挟まれた原本のように忘れがちであります。

このことから分かるように、人は自分が行った善行のことはよーく覚えてますが、都合の悪いことはまるでリスみたいに穴掘って落ち葉をかぶせて隠してみたり、そしてまるでリスみたいに隠したことを忘れてみたり、もしくは顔加工アプリのように自動補正して悪行とは認めていない可能性もあります。(善行も補正している場合がありますので注意してください)
そしてその災いが対人の場合で、相手に非があったとしてもなかったとしても、または自身で真上を向いて吐いた唾が自分にかかったとしても、自分はこの災いに対し被害を受けたと認識します。口に出さなくたってそう認識しているのです。そうです、むっつり被害者です。

そしてつい先日、僕の身にいわれのない災いが降りかかってきた。なんてこったい。

つづく。。


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