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「正しい」と「好き」の境目

流行語というレベルではないけど、多くの人が使っているのに受け入れにくい言葉ってないですか? 

いつの間にか世の中に浸透してるけど、一生口には出さないなあって言葉が私にはけっこうあります。「まるっと」とか「なるはや」なんかがそうです。他にも

・「深掘り」……(なんやそれ)
・「関係値」……(数値ちゃうやろ)
・「お打ち合わせ」……(「お」はいらんやろ)

など、挙げだしたらキリがないです。

特に印象深いのが「深掘り」という言葉で、初めて触れた時は衝撃でした。

今から15年前、当時勤めていた会社で社内研修があった時のことです。上司からメールで「研修が終わった後、みんなで深堀会をやります」と連絡がきました。

いつ頃から「深掘り」という言葉が使われだしたのか定かではありませんが、初めてそのメールを見た私の頭の中では

「『深堀』って、『深く掘り下げる』を略して言っているんだろうか…? そんな変な言葉使わんでも、普通に『反省会』とか『振り返りを行います』でいいのでは…。しかも『堀』だなんて、漢字まで間違えて…」

という、とてつもない違和感が駆け巡っていたのです。

しかし、やがて「深掘り」は「深堀り」や「深堀」とともに世間に浸透し、今では至るところで見かけるようになりました。

ネットで調べてみると、何十年も前からあった言葉だという情報も出ていますが、最新の広辞苑には「深掘り」は掲載されていません。ちょっとそこは心の救いというか、溜飲が下がるというか。今の流れだといずれ載るのでしょうけども。

一応断っておくと、私は日本語警察ではありません。生徒に国語や小論文を教える時は別ですが、それを除いてはリアルでもネットでもいちいち「その日本語はおかしいでしょ」なんて言いません。小さいころから言葉に対する関心が強く、心の中でパトカーのサイレンが鳴りやすいだけです。

ただ、最近よく使われるようになった言葉で、自分でもスッと受け入れて使っているものがあります。それが「温度感」と「解像度」の2つです。

・この案件に対して社内メンバーに温度感の差がある
・これを読めば○○の解像度が上がる

のように、前者は期待感や熱量を、後者は理解度や思考の明晰度合いなんかを指す時に使います。

これらの言葉を知ったのはいつ頃か定かではありませんが、いつの間にか自分でも使うようになっていました。

それに気づいて、考えてみたんです。なぜ「深掘り」がダメで「温度感」がOKなのか。

すると結局好みの問題なんだなという結論になりました。正しい・間違っているなんて基準がどうにも設定できないのです。

恐らく世の中の人が使っている言葉の意味合いやイメージが、自分のそれとよく合っているだけのことなんでしょう。

もちろん言葉は生き物だとか、時代によって使われ方が変化するなんてことは重々承知です。それでもやっぱり「この言葉遣いはおかしい、こっちが正しい」ってつい言いたくなります。

でも、これって正しいとかどうとか言いながら、突き詰めれば好き嫌いの話になるんじゃないでしょうか。言葉に限らず、なんでもです。

最近、塾や学校で「教育系YouTuberと言っていることが違う」として、先生の言うことを聞かない生徒が増えてきたというニュースを目にしました。

これも合っている・間違っているの話の前に、好き・嫌いの感情が絡んでいるように思えます。自分が信じたいと思ったものを信じるって感じですよね。

言葉の使い方だって意識しないと恣意的になりがちなので、気をつけないとなあって思った次第です。とくに仕事として文章を書く時には。

あ、このnoteは肩肘張らずに書きたいので、話が別です。「アホみたいな言葉使ってんなあ」と思っても、笑って見過ごしていただければ幸いです。

それでは、また。

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