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3年前の記憶

2020年、わたしの大学生活は新型コロナウイルスの感染拡大から始まった。

3年前の栃木

新歓説明会

 大学生活の最初の記憶は、新歓である。数多くのサークル、数多くの学生団体が私の入学した東京大学にはあった。あまりに多いサークルから自分の入る団体を選ぶのはなかなか難しい。私が選んだのは、確か3月末に行われた合同新歓説明会をきっかけとしてであった。その合同新歓は、とある学生団体が中心となったもので数十の団体が集まっていた。最初に全体で合同新歓説明会自体の話を伺い、その後各団体の説明は各部屋へと別れていった。私はどの部屋に行くか決めきれず、ひとまず最初にいた部屋に残ることにした。そこは、その合同新歓の中心になっていた学生団体の説明の部屋で、私がその後所属することになった東京大学UTSummer(以下、UTSummer)の部屋であった。
 UTSummerは、対話をメインアクティビティとしたサマーキャンプを中高生に提供する団体だった。その場で、同じく新歓に来た新入生1人と先輩2人の合計4人で実際に対話をした。その団体が対話と呼ぶものは、「写真を撮るのは好きか」みたいな日常的な問いから出発しているのに、人間関係や自分の考え方のような深い話題に辿り着く、不思議な体験だった。自分のことが少し明らかになるような、そんな時間だった。
 ほどなくして、私はUTSummerに入ることを決めた。合同新歓説明会という新しい形をいち早く始めていたこと、対話自体が面白かったこと、そこで出会った先輩方の雰囲気が素敵だったこと。ちょうど3年が経った今でも、団体を選んだ理由はよく覚えている。そして、この団体に入ること自体が、僕の大学生活の出発点にほかならなかった。

自分と向き合う

 大学生活の始まりは、自分に向き合い直す期間だったような気がする。向き合って何がわかったかは、覚えていないが。
 でも、教養課程ゆえあまりに多い科目を眺め、自分の学びたい科目が何であるかを考える時間は、自分の好きな学問を探し出す時間そのものであった。一人でシラバスを何度も何度も眺め、気になる授業をピックアップして絞り込んでいったあの日々は、楽しいものでもあった。そうして始まった授業を受けながら、じっくりと自分の関心を探し出すという1年間を経て、いま私はここにいるのだろう。
 そういえば、哲学を専攻すると決めるよりもはるか前のあのころには、夜な夜なマルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』を読んでいたことがあった。『自省録』はいかに生きるべきかを列挙した本で、きっと読みやすくて名前を聞いたことがあったから私は読み始めたのだろう。今思えば、あの日々もまた自分と向き合う日々だったのだろう。
 言うまでもなく、UTSummerで対話を経験したことも自分と向き合うことの一つだった。UTSummerでは、自分たちの対話のファシリテート能力を磨くために、日々ファシ練と呼んで、日夜団体内で対話をしていた。また、そういった対話に取り組むメンバーであったから、日常的に雑談をしていても、そのまま対話的な深みのある会話へとたどりつくことがあった。そういった対話は、自分に向き合うだけでなく、他人と出会うものにもなった。

他人と出会う

 あの夜は、私の原点となった。それが原体験となって、私の中での対話の意味付けは自己分析から他者との出会い、そして聴くことへと変容していった。それは、UTSummerの友人2人との夜の電話だった。
 たしか、ミーティングかファシ練かの後だったのだと思う。元々何人か集まって話した後で、たまたま残った3人で更に深夜まで電話をしていた。当時まだ遅くまで起きていることが苦手だった私は布団の中に潜り込みながら、友人2人の話を聞いていた。何の話から始まったのかは全く覚えていないが、気づくと話題は家庭の話になっていた。2人が何をいかに経験してきて、どんな思いを抱いてきたのかを聞いた。2人の家庭は、私のそれとはまったく違うものであった。だから、端的に言うと同感はできなかった。「わかる」とは言えないし、言ってはいけない気さえした。聞くエピソードを頭の中でイメージしながら、しかしこのイメージもまた正しくはないのだろうと無力感を抱いた。だが、どれだけ私が無力で私が同感できなくても、それでも私は聞き続けるほかなかった。
 私の対話の源泉はあの夜にあるのだと思う。聴くということを身をもって体感した瞬間であり、自分とは異なる世界を見ている他人にはっきり出会った瞬間であった。私が、対話とは何だろうと考えるときの参照点はあの日である。あの日、私は対話の世界に、関係の世界に足を踏み出した。

2点をつなぐ

 大学1年生の日々は、いまの日々とは大きく異なる日々である。あっという間に過ごした3年間でありながら、あまりに色々なことのあった3年間で、私のやっていることも立場もいる場所も違ってしまっている。あの頃は栃木にいたが、いまは主には東京にいる。あの頃は教養学部の文科三類で専門を持たずに様々な学問を学んでいたが、いまは現代思想コースに所属し、専門は哲学だとひとまず言える。書店の本すべてに目移りするあの頃とは違い、いまは自分が探し求める一冊の本のために図書館の地下にも向かう。そして、今回何度も登場したUTSummerは、いまはもうない。
 しかしその一方で、やはり大学1年生の栃木と大学4年生の東京は結びついている。いま、私が「ケア・対話・居場所」というキーフレーズに関心を持ち、NPO法人kATARIBAで活動するに至った出発点は、UTSummerでの活動であった。いま、私が現代思想コースに所属して、哲学という方法で自分の問いに取り組んでいるのも、1年生の頃に受けてきた授業の影響を多分に受けている。
 紛れもなく、わたしの大学生活は、3年前、あの2020年から始まったのだ。

#いまコロナ禍の大学生は語る

この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
ぜひ、皆さまもnoteをお寄せください。

また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。イベント詳細はtwitterアカウント( @st_of_covid )をご確認ください。ご都合のつく方は、ぜひご参加ください。


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