あの店も無くなったらしい

こんにちは。おがたこです。また思い出のお店がなくなったことに気づき、切なくなったので、そのお店との出会いと思い出について書いておこう〜と思って書いてます。書き終わるのに1ヶ月かかりました。実際書いているのは2,3時間位。

最近の我が家はソーダストリームをお迎えして、気軽に、且つ安くハイボールを飲めるようになりました。去年から続く外出自粛も相まって外に飲みに行くことがめっきり減っています。

ちょこっと前にテキーラ専門店を見つけ、これまたいい店を見つけたもんだと思ったのですが、自粛生活は続きます。テキーラ美味しいよ。

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そんな中、また思い出のお店が閉店していることに気づきました。

お店との出会い

そのお店に初めて入ったのは、私が千葉県で働いていて、寮生活が嫌すぎて毎週末のように東京に繰り出していた頃の話です。その日は、浅草橋駅で降りました。そのときにふらっと入った焼肉屋さんが今回のお店です。

・お店のマスターがママさんで
・上の娘さんが僕と同じ大学を卒業していて(確か同時期)
・下の娘さんがお店のお手伝いをしていて
・常連さんと楽しくやっている
・https://291-asakusabashi.tokyo ←ここです

こんな店でした。で、なぜこのお店が思い出なのかって言うと、ここのママさんが色々お話をしてくれたおかげで、その日が一日すっごく楽しかったのと、下の娘さんが発した言葉が衝撃的だったからです。ご飯も美味しかったです。

楽しかったのは、回向院について教えてもらったのと、その後たまたま見つけて入った劇が面白かったからなんですけど、それはまた今度まとめるとして。

子供の一言

そのとき下の娘さんが発した言葉に、僕はカルチャーショックを受けました。娘さんの将来について、ママさんと僕とで話をしていたときに、「あんた中学どうするの」みたいな質問をママさんがその子に投げかけたときに

「私は将来、カナダでトランペットで食べていくから心配しなくていいよ」

って当たり前のように言ったんです。

田舎から出てきた僕は、「きっとこの年の僕は思いつきもしなかったな」って考えながら話をしていました。(小学生時代は本の虫だったからかもしれないし、何も考えていない男の子だったからかも。)

浅草の近くで、外国の方が音楽をやっているのを近くで見ているからだ、とママさんは仰っていましたが、多種多様な機会がある東京ならではの将来の夢だな、と僕はビール片手に思いました。

もしかしたら歳が10個以上違うので、世代が遠すぎて僕が地域という枠組みにとらわれてしまっているのかもしれないですが!

都会と地方の違い

ネットワーク技術の発展でどこでも情報が手に入るようになったおかげで、情報格差は減っていると勝手に思っていましたが、この一言で経験、体験、の格差はまだまだあるんだなと改めて感じた一つの経験でした。

コレを機に、「百聞は一見にしかず」をあらためて強く感じましたし、「百見は一験にしかず」という言葉も意識するようになりました。また、昔の新潟にいても色んな経験させてもらったな〜と、両親への感謝も改めて感じました。(少年期のホームステイとか、習い事とか)

機会は平等と偉い人はいいますが、情報伝達の速さは平等でも、信頼度の高い情報を手にしやすいのは、やっぱり人の多い場所なのかなと感じました。

三人寄れば文殊の知恵。ともいいますが、どんな三人が寄るのかで出てくる知恵も変わるよね、って話かなと思います。

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これは先月ふらっと行った時の写真。別の焼肉屋さんが入ってました。切ない。


終わり。

#日記 #バーのある生活 #お店レポ #散歩 #知りたいテキーラ

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