お~いお茶について

歌人の穂村弘さんが好きです
NHKで放送されている、「きょうの料理ビギナーズ」の本を購読していたことがありました
その中でエッセイを書かれていたのが穂村弘さんです

短歌は義務教育で少し触れたくらい、五七五七七であること以外はわからず、穂村さんの短歌もあまり触れたことはないです
私は短歌よりはエッセイのファンなんだろうな、と数冊エッセイ本を読みながら思っています

穂村さんのエッセイは、恥ずかしくて人に言えなかったけど気になること、大人になったらこうなるはず…と子供の頃に信じていたけど、そうはなれないことがあること(例えばみんなができていることが自分もできるようになるとか、全体的に身だしなみとかしぐさがおしゃれになったりスマートになったりするとか)そういう内容が多い印象です
共感もありますが、「いや、穂村さんは本もたくさん出されていて才能もあって、こんなこと言っているけど素敵な大人になっているから共感は違うかも」などと考えることもあります
「本当はちがうんだ日記」が特に好きでおすすめです

話が戻りますが、きょうの料理ビギナーズの中の穂村さんのエッセイで印象的で、今も自分で考える話があります
手元に本がないので記憶を頼りに書きます
間違いがあったらごめんなさい

世の中には不思議な食べ物があります
穂村さんは、レストランでパンが出てきて「無塩バターをつけて岩塩で食べる」という場面があったそうです
そもそもバターは作られたとき無塩です
それを使いやすくするためか、おいしくするためか、人間が編み出したのが有塩バターです
有塩バターが作られたのに、わざわざ無塩バターを選び、岩塩をつけて食べる行為、今まで築いてきたものが振り出しに戻るような感覚です

他にもあったのが、外国からパンがやってきたとき、「あんなし饅頭」と名付けられたそうです
しかし、あんを入れてのちに言うアンパンを作った際にそれは「あん入りあん無し饅頭」となった…名称から説明させている事象はとてもよくわかりますが、もともとの設定を打ち消す感じがとても不思議だなと読んだのが思い出です

これを読んでから私が思い出したのが、お~いお茶です
お~いお茶は伊藤園がペットボトルなどで日本茶を売り出すために、もともとお茶にあった濁りを取る製法を確立して売り出した、と聞いたことがありました
しかし、そこから年月が経ち、今度は他社から「急須で入れたお茶には濁りがある、それを再現した」というような商品が発売されました
これは…抽出済みのお茶を売りたいが、濁りがあるままでは商品として売れない、もしくは他にもいろいろ考えた伊藤園が一生懸命考えて濁らないお茶を作って販売した
そうしてペットボトルで売っているお茶は濁りがないことが当たり前になった、しかし今度は最初に戻って濁っているお茶を販売する会社ができた…ということなの???という考えに至りました
「このいろいろ考案して作り上げてきたものが振り出しに戻るような感じ…穂村弘だ!!!」と一人心の中で叫びました

あくまで私の記憶と考えを書いてみました
読んでくださった方がいたら、ありがとうございます
もしも違う点があったら教えてくれる方、こういうことに詳しい方がいたらぜひよろしくお願いいたします

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?