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「映画スタア」ジェラール・フィリップと市川雷蔵に想いを馳せて

一昨年辺りから、「生誕/没後○周年」を記念して、規模を問わず著名な映画人の特集が組まれる機会が多くなった気がする(個人的感想です)。
今年は、私が今覚えてる限りでは、ロミー・シュナイダー(没後40周年)、ピエル・パオロ・パゾリーニ、月丘夢路、そしてジェラール・フィリップ(3人とも生誕100周年)等など…といった感じだ。
その中で、今回は特集上映真っ只中のジェラール・フィリップと、私が大好きな俳優の一人・市川雷蔵について、共通点やら何やら、個人的に感じた事を書いてみよう。
※通常なら「スター」と書くけれど、この二人の場合「スタア」という表記が似合うと個人的に思うので、ここではあえてこの表記に統一した。


そもそも、ジェラール・フィリップ、市川雷蔵って誰?という方もいらっしゃると思うので、ここで簡単に紹介しよう。
(詳しくはネット記事や評伝・関連本類をご覧下さい)

ジェラール・フィリップは、1922年生まれのフランスの俳優である。映画祭で知られるカンヌで生まれ育った彼は、父親と同じ法律の道に進もうと大学の法学部に入る。時は第二次大戦中、ナチス・ドイツの占領下にあったフランスで、ドイツの影響下にあった政権寄りの父親と対照的に、左派の思想に共感した彼は演劇人(国籍・民族問わず演劇界は左派系の人が多い)との交流を重ね、やがて役者の道に入り舞台に立つようになる。
戦時中から映画にも出演し、1947年に主演を務めた『肉体の悪魔』で、人妻と恋に落ちる高校生役を演じて人気に火が付く。その後も映画・舞台の両方で精力的に活動し、映画『パルムの僧院』『花咲ける騎士道』『赤と黒』『モンパルナスの灯』といった名作に主演。その演技力と美貌、品の良さでフランスのみならず世界をも魅了した彼は、1959年に癌のため36歳の若さ(37歳の誕生日の直前)で亡くなる。

一方の市川雷蔵は、1931年に京都で生まれた日本の俳優である。家庭の事情により生まれて間もなく、父方の親戚であった歌舞伎役者・三代目市川九團次夫妻の養子となる。養父母の意向で歌舞伎と無縁の少年時代を過ごした彼は、戦後間もなく自らの意志で歌舞伎界に飛び込む。
それまで歌舞伎役者としての訓練を受けていないだけでなく、名門の出でない事もあり、主役を張る機会に恵まれなかった彼は、その容貌(素顔は普通だけど化粧で見違えるような美男美女に!)と確かな演技力により、映画界へスカウトされる。映画会社の大映と専属契約を結んだ彼は、1954年『花の白虎隊』でデビュー(ここで勝新太郎とWデビュー)。その後15年に渡り、大映の看板俳優の一人として、『新・平家物語』『炎上』『眠狂四郎』シリーズ等など、数々の時代劇・現代劇の主演を務め、1960年代は再び歌舞伎にも出演する等精力的に活動したが、1969年に癌のため37歳の若さでこの世を去る。

ここまで読まれた方(あるいは本やネット等で色々読まれた方)はお気付きだろうか。この二人には、国籍や民族、育った環境に生まれた年代、そして思想の面で違いはあれど、共通点が多いのだ。
私が気付いた限りの事を並べてみよう。

・それぞれの国の映画界で、黄金期にトップスタアとして活躍した事
→戦後荒廃した両国で、それまでいなかったタイプのスタアとして現れた2人は、たちまち人気を博す存在に。

・舞台出身の俳優であり、映画に出演するようになった後も舞台に出続けた事

・演技力だけでなく、容貌、声も魅力的だった事

・二枚目・シリアスな役だけでなく、三枚目(コミカルな役)も出来た事
→真面目な見た目の2人(実際に真面目だった)は、元々の風貌と自身の経験からか、孤独や不遇を感じさせる役どころ(『肉体の悪魔』『モンパルナスの灯』『斬る』『破戒』等)はピッタリな2人で、見てるこっちは彼らの悲痛な様子に胸を打たれる。
ところが、やんちゃで冗談好きな部分もあったという2人は、コミカルな作品に出た時は、自らのイメージや他の作品とのギャップを楽しんでる感じがして、とても新鮮で面白い。色男(女たらし)も演じた2人(『夜の騎士道』『ぼんち』『好色一代男』等)だが、どこか憎めない愛嬌や人間味、そして気品や情熱を感じさせて、これも素敵。

・高身長である事
→公式で雷様は170cm、ジェラール氏は180cm超と、どちらも同年代の人より高かったはず。

・体型がスリム
→ご本人たちの写真や映像を見ると、2人ともスラッとした体つき。特に雷様は撫で肩で細い!女形が似合う訳だ。

・ともに30代後半で亡くなり、死因が同じ癌であった事
→働きすぎて健康を損ない、奥方やお子さんたちを遺して亡くなったところまで同じ…

・2人の死の直後、日仏両方の映画界が転機を迎えた事
→フランスでは、ジェラール氏が亡くなった1959年にゴダールの『勝手にしやがれ』が公開され、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の監督たちが活躍。
一方の日本では1960年代以降、テレビの普及や映画界の体制の古さで、邦画界が斜陽の一途を辿り、雷様の死から2年後の1971年に映画会社・大映が倒産。
2人の死後、両国ともにスタアの在り方が変わり、次第に彼らのようなスタアが求められなくなっていった。

…と思いつく限りを挙げてみたが、間違いなく言えるのは、2人ともそれぞれの時代に出るべくして現れた不世出の大スタアだったという事で、だからこそ広く大衆に求められ愛されたのだろう。
2人の死後何十年も経つ今も、根強いファンが多い(私含め新たなファンも出てきてる)のは、時代が変わっても2人の魅力は人々の心を照らし輝き続けてる事の証だと思う。
そんな2人を見てみたくなったら?今ちょうど特集上映が組まれているから、ぜひ映画館に行ってほしい。そして、誰かとでもSNS上でも良い、この2人の魅力を語り尽くそう。

散文とも言えぬような調子でしたが、ここまでお付き合い下さいやして、有り難うござんしたm(_ _)m

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