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ジョージア映画『金の糸』を見て

最近、香港映画がちょっとした(結構な?)マイブームになってる私。映画館でなかなか掛かりそうにない旧作のDVDをレンタルしては、ちょっとした合間にせっせと見て、香港映画独特のくだらない設定に笑ったり(時に大爆笑も。スターにこんな事させるのか!?ってな場面もかなり多い)、時にあまりにもベタだけど直球ストライクにズキュンッ!と胸を打たれたりして、ますますハマってる。まさに沼に嵌まり込んでるというべきか。近いうちにここで感想を書けたらと思ってる(いつになるかな〜?)
もちろん、公開中の作品やこれから上映される作品も見たいのは山ほどあって、そっちも時間を作ってはせっせと見に行ってるので、正直時間が足りなくて困ってるくらいだ(平日もずっと見に行きたいけど、生活のためにゃあ働かないわけにいかないからね…残念だけど(T_T))

前置きが長くなったけど、ここから本題。最近、岩波ホールで『金の糸』というジョージア映画を見た。最近見た香港映画の多くとは真逆の静かな作品で、派手なアクションは何もないんだけれど、個人的に琴線に触れる部分が多く、とても深く胸を打たれた。岩波ホールでの上映期間は終わってしまったが、(色んな意味で)ここで紹介したい。

  1. 物語は、主人公・エレネが自身の作品を書くところから始まる。ジョージアの首都・トビリシに住む作家の彼女は、79歳の誕生日を迎えるが、家族の誰もその事を覚えていない。それどころか、ともに暮らす娘から、義母(旦那の母親)・ミランダが自宅に連れてこられる話を聞かされて怒りを露わにする。ミランダはソ連時代に政府の高官を務めていた人物で、認知症が進み一人で暮らせなくなったのだ。かつて自身の作品を発禁処分にしたミランダが来るなら、自分は彼女の家に移るとまで言い放つエレネだが、自身も杖なしでは歩けない状態だ。

  2. 家族で唯一の話し相手である曾孫・エレネ(自分と同じ名前を付けた!)に、自分がもう歩く事の出来ない家の前の通りを描いてもらっている時、一本の電話が来る。「エレネ、誕生日おめでとう」声の主は60年前の恋人だったアルチルだ。妻を亡くし、他の家族とも疎遠の状態で施設暮らしをしている彼は、その日から時々エレネに電話するようになり、二人で色んな話をする。かつて二人が恋人同士だった時、通りで朝までタンゴを踊った事。付き合ってた頃アルチルがよく歌った歌について。二人の両親がある日突然逮捕された事。そんな辛い時でも、若かりし二人はよく笑っていた事。エレネのように、アルチルも自分の曾孫に同じ名前を付けたかったけど、今時そんな名前は古いと言われ、叶わなかった事などなど。

  3. そんな中、エレネの住むアパート(築100年以上!)にミランダがやって来た。宿敵(言い過ぎ?)・ミランダは、政府高官だった頃の意識が未だ抜けず、エレネは彼女の言動に苛つく。
    家の中を時折ウロチョロする彼女は、エレネが日課のように、アパートの中庭で隣人たちと話してる時や、自身の母がスターリン時代の粛清で流刑にされた事や、その間母が作った土人形の話を曾孫のエレネにしている時、さらにはアルチルと電話している時までやってきて口を挟んでくる(しかしタイミング悪すぎるよミランダ)。そんな彼女に、かつて恩を受けたアパートの住人たちはミランダに敬意を持って接する(この辺りは複雑だ)。

  4. そしてある日、アルチルがTV局の取材を受けるから見てくれと、エレネに電話する。放送日にエレネが番組を見ていると、またもやミランダが部屋に入ってくる。彼は昔、私に好意を寄せていた、という一言に、エレネは電話を掛けてきたアルチルに、そしてミランダにそれまでの怒りをぶつける。「政府が私の作品を発禁処分にしたせいで、私はその後20年間一行も発表出来なかった」その事に対して、ミランダは信じがたい言葉を返した。処分の判断を下したのは自分だと。その事を言い終えると、ミランダは会議の時間だと言ってアパートを出てしまう。ただ呆然としているエレネを置いてー。

  5. その後ミランダは帰らなくなり、家族が大騒ぎする中、エレネは隣人の一人から驚くような話を聞かされる。ミランダは自身の所持品を売ったお金を、恵まれない人たちに寄附し続けていたのだ(作中、ミランダが彫像らしきものを新聞で包む場面が出てくるのが、ここに繋がる!)。暫くしてから、エレネはアルチルに電話を掛ける。過去を乗り越えれば、私たちはどこまでも自由に生きられる。ミランダはそれが出来ず、孤独を抱えていた事をもっと早く気付いて、受け入れるべきだったと語る彼女。アルチルはその言葉に共鳴する。「私たち」という言葉は素晴らしい。俺たちはどこまでも自由に羽ばたいていけると。

ざっと粗筋を書いてきたが、この物語の主軸になっているのは、「過去の傷を乗り越え、未来を生きる事」だ。監督のラナ・ゴゴベリゼ自身、スターリン時代の粛清で、自身の母親(ジョージア初の女性映画監督ヌツァ・ゴゴベリゼ)と10年もの間引き離されてしまったり、ソ連時代は政府の検閲で創作活動が思うように出来なかった経験があり、それをこの作品の主人公・エレネに色濃く反映している。
そんな重く辛い経験を背負ってきた監督は、長い間苦しみ自問しながら、その答えを出したのだろう。過去の傷は決して忘れる事は出来ないけど、それを受け入れて許す事で、どんなに痛ましい記憶すらも、かけがえのない財産になるだろう、と彼女(とこの映画の登場人物たち)は語る。監督が日本の金継ぎに感銘し、この作品を『金の糸』と名付けた事からも、その思いが伺える。
その思いに強く胸打たれたのは、私自身、監督と重なる経験が少しばかりあったせいだろうか。家庭の事情で母と離れて生活してた時期が5年ほど続いたり(週末は大抵会えてたが)、物心つく前に経験したある出来事が原因で、その意味を理解してから10年以上も苦しみ、死を考えた事もあった。それでも、母を含めた肉親や友人の存在、出会った本や映画など、色んな人や物事に救われて、過去を乗り越えてここまで生きてこられた。その経験があったから、監督の思いやこの作品に深く感じ入ったのだと思う。
いや、そうでなくたって、この作品の良さは多くの人に伝わるはずだ。例えジョージアの歴史的な背景が分からなくても、この作品が扱うテーマは普遍的なものだ。だから、この記事を読んで少しでも気になった人は、一度是非映画館で見てほしい。こうしたタイプの作品を見た事がない(慣れていない)状態でも、歴史的な事が分からなくても良い。作品を見て感じた事を誰かと話し合ったり、SNSで共有して伝えてほしい。そうしてこの作品が少しでも広まっていったら、とても嬉しいし幸せだ。

『金の糸』劇場版ポスター。ポスターの上部と下部との色のコントラストが素敵。
ラナ・ゴゴベリゼ監督。御年93歳!ソビエト時代の粛清・弾圧・検閲を乗り越え、生き延びた彼女からは強く美しい魂を感じる。



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