子の福祉再考

 先日、生殖補助医療 (Assisted Reproductive Technology, ART) について考察する中で、興味深い文言に出会ったので短めにまとめておく。

 ARTとは、人工授精や体外受精のような、文字通り生殖を補助する技術を指す。子どもが欲しくても様々な事情でそれが叶わない人々の助けになるほか、病気や障害の発見にも使用可能である。同時に、性選択や出生前診断など、従来では考えられなかった問題を抱えている (詳しくは文献1を参照)。
 生命倫理学的観点から、ARTに関する様々な議論が存在するが、このnoteでは反出生主義的観点から、ARTというテーマを通じて子どもを産むということについて考えたい。これはARTを必要とする人のみならず、子どもを産む可能性がある人全員に関わる問題である。

 ARTについて2022年現在、日本では法整備があまり整っていない。代理出産については日本産婦人科学会が見解を発表しているため、以下で確認する (文献2)。

"代理懐胎の実施は認められない. (中略) 理由は以下の通りである.
 1)生まれてくる子の福祉を最優先するべきである
 2)代理懐胎は身体的危険性・精神的負担を伴う
 3)家族関係を複雑にする
 4)代理懐胎契約は倫理的に社会全体が許容していると認められない"

1) の子の福祉を最優先するべきであるという事項は、反出生主義の立場から非常に興味深い。日本産婦人科学会によると1)の理由としては

 "代理懐胎においては,依頼されて妊娠し子を産んだ代理母が,出産後に子を依頼者に引き渡すことになる.このこと自体,妊娠と出産により育まれる母と子の絆を無視するものであり子の福祉に反する.とくに,出産した女性が子の引渡しを拒否したり,また,子が依頼者の期待と異なっていた場合には依頼者が引き取らないなど,当事者が約束を守らないおそれも出てくる.そうなれば子の生活環境が著しく不安定になるだけでなく,子の精神発達過程において自己受容やアイデンティティーの確立が困難となり,本人に深い苦悩をもたらすであろう."

と述べられている。たしかにそうだなと思われるだろうか?一言で言えば子どもの福祉を損なうからよくないというロジックである。少なくとも直観に反するようなことは言っていないといえるだろう。ただここで注意してほしいのは、自然に子どもを産んだからと言って、子どもの福祉を損なうようなことはいくらでもある、ということである。もちろんART特有の問題は存在するが、自己受容やアイデンティティー確立のために深く苦悩している子どもはたくさんいるだろう。むしろ自然に生まれたからこその悩みも存在し得る。だとすれば子の福祉という観点から考えた時に、ARTはだめで自然な出産はOKという主張は可能だろうか?どちらも子の福祉を損なうリスクがあるのだから、線引きはかなり困難だろう。この点についてはベネターも第4章の中の生殖補助を扱った部分で言及している (文献3)。曰く
"もし新しい人間を存在させることが間違っているのであれば、新しい人間を性交で存在させようがそれ以外の方法で存在させようが違いはない"

 もっとも子の福祉以外の観点から、ARTは禁止されるべきだという主張はあり得る。ただここで強調したいのは、上記の1)をみて確かにと思った場合、その直観は自然な出産についても十分適用されるということである。子の福祉を最優先してARTを認めないのであれば、子の福祉のために自然な出産も認められないはずだ。

 今回ARTから、自然な出産も含めて子どもを産むということについて考察した。他の問題群についても自分に関係するテーマだと思って考えてみてほしい。


文献
1Kodama, Satoshi & Natsutaka『EXPLORING BIOETHICS THROUGH MANGA:
  Questions on the Meaning of "Life" 』(Kyoto: Kagakudojin)
 日本語版もあります
2日本産婦人科学会 代理懐胎に関する見解 
 https://www.jsog.or.jp/kaiin/html/H15_4.html (2022/10/22 21:38 閲覧)
3デイヴィッド・ベネター. 小島和男・田村宜義(訳) (2017) 『生まれて
 こないほうがよかった ー存在してしまうことの害悪』 すずさわ書店
 (参考程度の反出生主義の紹介として、よろしければ前回のノートもご参照
 ください https://note.com/gashi0490/n/n32c5907315c7)

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