空き家を減らし、子どもの居場所をつくりたい。地域おこし協力隊を越えた挑戦の原動力とは<一般社団法人アキバコ 鎌倉美恵子さん>
2020年に、地域おこし協力隊として、地縁も血縁もない須坂市にふたりのお子さんとともにJターンをした女性がいます。鎌倉美恵子(かまくら・みえこ)さんです。
地域おこし協力隊の「まちなかリノベーション」プロジェクトに所属し、須坂市内の空き家・空き店舗にまつわる相談や、新たに開業や出店したい人のサポートを一手に担っています。
さらに、2021年には一般社団法人アキバコを立ち上げ、協力隊の活動と並行して、空き家を利活用した「子どもの居場所づくり」にも精力的に取り組んでいるのだそう。
そんな鎌倉さんをよく知る人たちは、彼女を「須坂のスーパースター」と呼びます。
中でも気になるのは、地域おこし協力隊の活動にとどまらず、移住してわずか1年で社団法人を立ち上げていること。いったい何が、鎌倉さんの原動力になっているのでしょうか。
鎌倉さんのこれまでと今、そして思い描く未来について伺いました。
ダメだったら帰ってくればいい。息子たちと3人で決めた移住
ーー現在は須坂市でばりばり活動されていますが、鎌倉さんはもともと飯田市出身だと伺いました。
鎌倉さん:はい。旧下伊那郡で生まれ育ち、高校は飯田市内の学校へ。その後、就職のために上京しました。
ーーいわゆる“Jターン”なんですね。移住前は、東京でどんな生活をしていたんですか?
鎌倉さん:小学生の頃から興味のあった建築の仕事をするために設計事務所で経験を積み、大手ハウスメーカーに転職しました。
そこでは、オーナーさんから買い取った空き家をリフォームして売り出す仕事をしていたんです。地域の再生や人との繋がりを築いていくことにやりがいを感じていました。
その中でふたりの子どもを出産。ハウスメーカーを退職し、埼玉で子育てをしながらリフォームアドバイザーとして働くようになりました。軽井沢にある設計事務所の仕事を受けていて、自宅で図面を描くようなこともしていましたね。
ーーそこから須坂への移住を考えたきっかけは何だったのでしょうか。
鎌倉さん:もともと、長男がスノーボードをやるためにしょっちゅう長野の北信地方に来ていたんです。信濃町に家を借りていたので、金曜日の夜に移動して、週末はずっとスノーボードの練習をするような生活をしていました。
ーーえ、家まで借りていたんですか!?
鎌倉さん:そうなんです(笑)。特にコロナ禍が始まった頃は、埼玉県内の学校はずっとお休みで外出することもできなかったので、基本的に信濃町の家にいました。
気付けば長野にいる時間の方が長くなり、友人がたくさん増えていたのと、長男が中学に上がるタイミングだったこともあって、引っ越しを検討するようになったんです。
決め手は、多すぎない積雪量と自由すぎる仕事
ーーそうだったんですね。地元の飯田市やもうひとつの家がある信濃町ではなく、須坂市を移住先に選んだのはなぜだったのでしょうか?
鎌倉さん:スノーボードをやるためにはゲレンデに近い北信がよかったんですよね。でも信濃町は、住むにはあまりに雪が多くて……。男手がない中で、毎日2時間かけて雪かきするのはさすがにしんどいなと思っていたところに、たまたま須坂市に住む友人が、新しい地域おこし協力隊の募集を教えてくれたんです。
空き家を活性化させてコミュニティを再生する「まちなかリノベーション」というプロジェクトでした。。「家賃補助もあるし、みーちゃんやってみれば?」って。
ーーへえ〜! 以前、ハウスメーカーで空き家に関わるお仕事をしていたとなると、仕事内容もかなりフィットしていそう。
鎌倉さん:そうですね。今までやってきたことの延長線上だから、きっとできるだろうなとは思いました。
それに、問い合わせをして実際に担当の方とお話をしてみたら「とにかく好きにやってみてください」という感じだったんですよ。やりたいことは事前に相談してくれれば、だいたいできると。こんなに良い仕事はないなと思いましたね(笑)。
ーーとはいえ、馴染みのない須坂市にお子さんを連れて移住することに対して、ハードルはなかったですか?
鎌倉さん:実は、須坂には何度も訪れたことがあるんです。臥竜公園が大好きで、桜のお祭りのときはスノーボード帰りに毎年行っていましたね。須坂動物園もうちの子たちが好きで、引っ越してくる前から案内できるほどでした。
それに、雪も信濃町に比べればそこまで降らないという情報を聞いたりしていたので、いいかもなあと。
そこで地域おこし協力隊の面接を受けて正式に採用していただき、須坂市に移住することになりました。
地域おこし協力隊ではできないことをやるために
ーータイミングと条件がばっちり合ったんですね。2020年4月に地域おこし協力隊に着任して以来、具体的にどんな活動をしているのか教えてください。
鎌倉さん:地域おこし協力隊としては、「まちなかリノベーション」のプロジェクトに所属して、空き家や空き店舗の相談や、須坂市内で開業や起業、出店したい人の店舗探しのお手伝いをしています。須坂では、空き家を使って創業される方に補助金を出しているので、そのご案内や手続きのサポートもしていますね。
今はそれらの延長として、同じ地域おこし協力隊だった宮島さん(宮島麻悠子さん)と立ち上げた、「アキバコ」という一般社団法人の活動もしています。
ーー地域おこし協力隊でありながら、わざわざ一般社団法人を立ち上げた理由がすごく気になっていたんです。どうしてだったんですか?
鎌倉さん:今、市内には「売れない・壊せない・いらない」といった、どうすることもできない空き家がたくさんあるのに、それらの受け皿がない状況なんです。ただの土地にしてしまうと、固定資産税が6倍にもなるから、壊すに壊せない。
そういった空き家をなんとかしたいけれど、地域おこし協力隊の活動範囲ではやれることに限りがある。社団法人にすれば、その足りない部分を補えるとわかって、宮島さんと一緒に立ち上げることにしました。
ーーなるほど。宮島さんとは、地域おこし協力隊の頃から一緒に活動していたんですか?
鎌倉さん:はい。彼女は、移住前に地域おこし協力隊の面談をしてくれた方なんです。活動期間が重なっていたのは1年程度ですが、その間に一緒につくったもののひとつが、かつて製糸工場だった建物を利活用した「コミュニティスペース結(ゆい)」です。
地域のためのコミュニティスペースとして、1階は誰でも無料で使えるフリースペース、2階はレンタルスペースにしていました。農村社会で築かれてきた相互扶助や結びつきの精神を表す「結」という名前も、宮島さんと一緒に付けました。
ーーいい名前ですね。今まで須坂市内にはあまりそういった場所がなかったのでしょうか。
鎌倉さん:そうですね、須坂市には良い活動をしている人がたくさんいるけれど、繋がっていないことが多いんですよね。彼らが「結」に集まれるようになれば、上手く繋がって面白いことが起こるかもしれないし、必要な人や情報を誰かが紹介してくれるかもしれない。そういった、点と点を結んで線にするような場所になったらいいなという思いでつくりました。
それと同時に、わたしたちの中には「子どもの居場所づくり」をしたいという気持ちがベースにあって、子どもたちが自主的に「遊びに来たい」と思える場所にもしたかったんです。
“普通”からこぼれ落ちてしまう子どもたちの居場所をつくりたい
ーー子どもの居場所づくり。そこに取り組もうと思ったのには、何かきっかけが?
鎌倉さん:わたし自身、シングルマザーで障がいのある子どもがいるんです。その次男が小学生で不登校になったとき、わたしが仕事で家を空けている間に勝手に外出してしまい、警察から呼び出されることが何度もありました。
本当に大変だったけれど、同じアパートの一階に夫婦で住むおじさんが、仕事が終わると面倒をみてくれることもあったので、わたしたちはまだ良かったんです。
鎌倉さん:でも、皆がみんな、必ずしも身近に助けてくれる人がいるわけではないし、学校に行きたくない子どもが自宅以外で、一人で遊びにいける場所もない。結局、親は子どもが心配で仕事に行けなくなり、困窮して中には自殺してしまう人もいる。
そういった現状を全部フォローするなんてとてもできないけれど、せめて子どもが自分で行ける場所をつくるべきなんじゃないかと思ったんです。
ーーたしかに、学校に行きたくないけれど、自宅でも親の言うことを聞きたくないこともあるだろうし、他に居場所がないとどんどん心を閉ざしてしまいますよね。
鎌倉さん:そう、親以外の第三者の介入がすごく大切なんです。でも須坂市内にはフリースクールもないし、公民館は子ども一人じゃ使えない。障がいがあって学童(児童クラブ)に行けない子もいる。実際、移住を考えたときに、都会に比べてそういったサポートが少ないことが一番の不安でした。
だったらよけいに、「学校行きたくなかったら、とりあえずここにおいでよ」「ここで勉強すればいいじゃん」と社会の“普通”から少しこぼれ落ちてしまうような子たちを受け入れる場所を、自分自身でつくる必要があるなって。「コミュニティスペース結」は、そんな思いも込めて立ち上げた場所でした。
ーーなるほど。さまざまな人にとってのサードプレイスのようなイメージなのかもしれないですね。オープンして反響はありましたか?
鎌倉さん:ありましたね。日々のちょっとした休憩や勉強に使ってもらったり、夏休みには市内の小学生を対象に託児サービスをやったりもして。
あとは「ゲストハウス蔵」の宿主の万里奈さん(「ゲストハウス蔵」オーナー・山上万里奈さん)が、泊まりにきた移住希望者の方たちに「コミュニティスペース結」をよく紹介してくれて、そこから関係が広がることもよくありました。中には、実際に須坂の空き家を利活用して、お店を開くことになった方も。「結」という名前のとおり、少しずつみんなの居場所になりかけていました。
ただ、宮島さんが地域おこし協力隊の任期が終わるのと同時に、別事業としてリフォームされることが決まって。地域の人や子どもたちのためにも、やはりコミュニティスペースを続けたいという思いがすごく強かったので、今度は民間の空き家を使って、自分たちで新しい居場所をつくることに決めました。
思いは伝播し、人との繋がりを生み出していく
ーーお話を聞いていて、すごく意義のある取り組みだと感じるのですが、収益はほとんどなさそうな……。
鎌倉さん:そうなんです(笑)。結局、コミュニティスペース自体では収益が出ないので、他で収入を得ないと運営できないんですよね。これまでは、主に運営しているシェアハウスでの収益と、賛助会員様の寄付で活動をしてきました。
でもちょうど今、どうすることもできないまま置かれている空き家を、自分たちできれいに片付けて、須坂市内でお店や事業をやりたい方にテナントとして貸し出すことで、収益を生み出す仕組みをつくっているところなんです。
ーーなるほど、空き家を持て余してしまっているオーナーさんと、開業したい方の橋渡しをしつつ、片付けまでやってしまうんですね。
鎌倉さん:今、市内で使われていない建物の多くは、荷物が片付いていないから貸せないケースが多いんですね。そこでオーナーさんと相談をして、須坂市内での利活用を目的としているときに限って片付けをさせてもらっています。
大型家具を運んだり、アルバイトをお願いする際の作業費やゴミの処理費などの実費だけオーナーさんに支払っていただいて、そのほかの費用は無料なんです。そこに至るまでに何度も通って、オーナーさんとの信頼関係をつくることはすごく大切にしていますね。
ーー無料で空き家を片付け!すごい……きちんと信頼関係を築いているからこそ、安心して任せてもらえるんでしょうね。
鎌倉さん:とはいえ、自分たちだけではできないこともたくさんあるので、原材やプロパンガス、水道周りを含め、須坂市内で活動する人や会社を巻き込んで、手伝ってもらいながら活動している状況です。皆さん、「協力するよ!」と言ってくださるので、すごくありがたいですね。
現時点では儲けをあまり気にせず、それぞれの手元に少しずつ残ればいいというスタンスなんです。わたしたちも、コミュニティスペースが運営できるくらいの収入があればいい。
それで空き家が減って、若い人たちがチャレンジできたり、新しいコミュニティが生まれたりしたらうれしいし、もしかしたら将来すごく儲かるかもしれないですしね(笑)。
ーーひとつの種まき活動でもあると。そういった須坂市内での繋がりは、活動をする中で自然と広がっていったのでしょうか。
鎌倉さん:北横町にあった「つつみ洋品店」を片付けていたことが、繋がりの大きなきっかけになったと思います。規模が大きかったからか、「何やってるんだ?」と、地元の人たちにとってはある意味センセーショナルな出来事だったみたいで。
そのときにアップサイクルの取り組みをやっている方や、満龍寺の研志くん(「満龍寺」僧侶・高津研志さん)たちとも繋がりました。みんな、本当に面白い人たちなんですよ。今では、片付けの際に出てきたお仏壇や神棚のお魂抜きやお焚き上げは、全部満龍寺にお願いしています。
片付けていると、いい着物や洋服が出てくることもあるので、裁縫が得意な方に頼んでリメイクして販売することもありますね。
ーー捨てられてしまうはずだった古い物に手を加えて、新しい価値を出す取り組みは、今の時代の流れにもすごく合いますね。
鎌倉さん:そうそう。単純に、ゴミが減ればオーナーさんの処分費も減るし、空き家から出てきたものが、須坂で暮らす人たちの働き方の幅を広げていくことにも繋がったらいいなと思います。
自分がやりたいことを言い続けていると、似た思いを持つ人が不思議と近くに集まってくるんですよ。「空間の半分を子どもの居場所にした本屋さんをやりたいけれど、いい空き家ないですか?」とか、「高校生が勉強に使えるような食堂をつくりたいんだけど、場所ないですか?」といった相談や問い合わせが、この一年間で本当に増えたんです。
ーーへえ〜! 発信し続けることで、思いは伝播していくものなのかもしれないですね。
鎌倉さん:そうなんです。まさに「結」のように、須坂市内で点と点が繋がって一つのコミュニティになっていく可能性を感じているところで。
「子どもの居場所づくり」に関しても、ゆくゆくは町の美容室や喫茶店、図書館、本屋さんなどの一角に子どもが気軽に集まれるようになったりと、新たな居場所が増えていけばいいなと思います。
最終的な目標は、都会で困窮する親子を救うこと
ーーたしかに、町の至るところに、いつでもふらっと立ち寄れる居場所があるというのは、すごく理想的だなと思います。鎌倉さん個人として、今後須坂市でやっていきたいことはありますか?
鎌倉さん:正直なところ、わたしは困ってる子どもやその親が助かってほしいだけなので、別に須坂にこだわっているわけではないんです。
ただ、ここには自分の思いに共感して、助けてくれる人がたくさんいる。須坂は他の町に比べてあまりパンチがないイメージだったけれど、意外とパッションの強い人たちが存在しているんだなと、移住してみて気づきました。
本当のことを言うと、移住してきた当初は、地域おこし協力隊の任期が終わったら、子どもたちも連れてアメリカに移住しようと思っていたんですよ(笑)。
ーーアメリカ移住!フットワークが軽すぎる……!
鎌倉さん:向こうに知り合いもいるし、元気があるうちに、カリフォルニアにあるマンモスマウンテンに行きたいねって話していて。でも須坂市で活動をするうちに、このままここに残っても面白いのかなと思うようになりました。子どもたちも、須坂の自然をすごく気に入っているんですよね。
地域おこし協力隊は来年で任期を迎えるので、別の活動で生計を立てつつ、最終的には都会で困窮して生活に困っている親子と須坂市を繋ぐ仕組みをつくりたいです。
ーー市内だけでなく、ゆくゆくは都会の親子を。
鎌倉さん:埼玉にいた頃に、しばらく「こどものSOS」という夜中の電話相談のボランティアをやっていたんです。話を聞くと都会であるほど事態は深刻で、単純に子どもの数も多いし、一人ひとりの相談にきちんとのる余裕もない。困窮の末に、不本意に亡くなっていく子どもがたくさんいることが本当に嫌だなと。
一方で、須坂には空いてる家がたくさんあって、家賃も半分以下。農業バイトもあるし、保育園の定員にも余裕がある。ご近所の方が子どもを見てくれたり、野菜をおすそわけしてしてくれたりもする。
わたし自身、須坂に来たら、苦しかった頃の気持ちが薄れて、幸せボケしてしまっているくらい。日々が豊かになったと感じているからこそ、きちんと生活したいのに身寄りがなくて困ってる方たちを、この須坂の町に繋げられたらなと思うんです。
ーー都会を離れる選択肢すらなかったり、そうしたくても方法がわからなかったりして途方に暮れている方たちにきちんとアプローチできれば、救われる人がきっとたくさんいるんでしょうね。
鎌倉さん:はい。全然知らない土地で一歩踏み出すというのはすごく勇気がいることだし、今すぐに実現させることは難しいかもしれないけれど、都会で困っている子どもたちを助けたいというのは、わたしの当面の一つの目標ですね。
10年後や20年後は、どこで何をやっているのかはまだ自分でもわからないですが、もうしばらくはこの須坂で頑張っていこうと思います。
執筆:むらやま あき
撮影:小林 直博
編集:飯田 光平
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