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断面
乾いた空気と寒さが 肌を刺す
まだいくらか冬の顔をした空は
曇りとも日の出前ともつかない
憂鬱な灰色を浮かべてる
寒気とかゆみに眠気も失せて
仕方なしに起き出して着替える
いつも以上に静まり返った朝の町を
いつもと同じ顔で通り抜ける
公園の散り始めた桜の下
冬の間に縮こまった体を伸ばす
一日が始まる前の余白の時間に
いつか切って捨てた記憶を拾う
〇 〇 〇 〇 〇
復活祭は蘇りの時である。霧が溶けて、はるか彼方の道まで見える。裸の大地が眩い。鳥の影が旅へと誘う。春の音が翼をもち、金色の空へと飛翔する。鐘の音が野から聞こえるのもこの頃の自然な想いである。メタファーはほとんど、もはや、いわゆるメタファーではないのだ。目ざめたこの世界そのものが、すでに隠喩的なのだ。宗教〔復活祭〕が、ぼくの眼には、まるで歓喜あふれ歌いだす者のように明白だ。それは人が自分と和解する時であり、雪も渓流も泥も忘れて、信仰と希望に生きる時なのだ。そのことがほんとうによくわかった。だからぼくには、もうあなたの説教など要らない。ぼくはあなた方よりもっといい説教ができるから。
(アラン『四季をめぐる51のプロポ』神谷幹夫 編訳 岩波文庫 P20)