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【小説】駆けて!ホンマチ 最終話

「本町の通りが写ってる写真は少ないけど」

 トシ君は何冊かアルバムを引っ張り出してくれ、その中からかつての本町商店街の様子を探してくれた。

 私が訪れた時代よりも、少しあとの写真が多かった。時を経るにつれ、アルバムの写真は白黒からカラーに変化し、パノラマサイズという横長にプリントされた物もある。


 私の見た50年前の活況に満ちた本町商店街は、幻でも夢の中の光景でもない。あの活き活きとした商店街は、こうして写真の中にも残っている。とりわけ、お祭りでの人だかりには目を見張るものがある。このコロナ渦においては恐怖とも思えてしまう密集度だ。


 50年という歳月が引き起こした現実に、私は胸が苦しくなる。時代の波という一言で片付けてしまうのは、余りにも切ない。

 通りの両側に隙間なく軒を連ねていた店舗。威勢のいい飲食店のおばさん。お洒落に着飾る若者たち。元気に駆け回る子どもたち。老若男女の誰もが輝き、希望に満ちた顔をしていた。

 だが今の蟹江町本町通りは、そのすべてを失ってしまったといっても過言ではない。

 トシ君は、その衰退ぶりを今までずっと見届けてきたはずだ。ほんの数時間だけ垣間見ただけの私とは違う。辛く、空しい感情を持っているに違いない。


「賑やかだったこの通りが、今ではその面影がまるで残ってないことを、私はすごく残念に思います。街全体が活動的で、刺激に満ちていました。思い返しても、とてもワクワクします。だから、今の本町通りを歩くと、涙が出そうになります」

 私は眺めていたアルバムを閉じ、素直に率直な気持ちを伝えた。しかし、それに対するトシ君の反応は意外なものだった。


「はは、そりゃあ、あの頃は勢いがあったからね。何もこの本町だけじゃない。日本中がそうだった。日本っていう国がどんどん発展していった時代だったからね」

 しんみりとした私の言葉など吹き飛ばすかのように、トシ君は身振り手振りを交え、悠然と語った。

「時代という大きな波には抗えんよ。昔とは生活様式が違う。あの形式の商店街は、今の世の中では通用しない。うん、そんなことは誰もが解ってる」


 ライフスタイルの変遷は、街そのものに変化を与え、時代とともに姿を変えていく。

 蟹江町内随一を誇った繁華街も、交通網の整備や大型店の開発が進むにつれ、その存在意義は徐々に失われていった。本町商店街に存在していた店舗のほとんどが、移転や廃業という形で末路を迎えた。


「寂しくないといったら嘘になるかもしれないけど、今の本町だって捨てたもんじゃない。蟹江町自体も面白い街だと思う。蟹江の魅力を発信しようと躍起になっている連中もたくさんいる。それは、なかなか実を結ばないかもしれないけど、そういう人たちがいる限り、この町は死なないはずだし、だからこそ僕はこの蟹江町を誇りに思ってる」


 清々しい表情で笑みを浮かべるトシ君に、私は逞しさを感じた。


 今の蟹江町のことを私はよく知らなかった。町内の様々な団体が、SNS等で情報を発信していることを後日確認した。蟹江町観光協会。かにえフィルムコミッション。蟹江町商工会。その他多くが、個人を含め蟹江町の情報を提供してくれている。迷うことなく片っ端からフォローした私は、この小さな町のファンであることを誇らしく思う。


 そして、ある疑問が湧き上がった。

「トシ君は何故ここを離れなかったの?やっぱり本町のことが好きだから?」

「うーん、それもあるけど・・わからない?本当の理由?」

 逆に質問をされることなど想定をしていない私は言葉に詰まった。トシ君は私を試すような顔で笑っている。

「確かにここで商売を続けることは、経営上好ましくない。もっと立地条件の良い場所に移転することも本気で考えた。でも、そんなことをしたらどうなる?」

 トシ君はいたずらっぽく眉を吊り上げて私を見る。

「あっ!」

 そう、この株式会社ヒビノが蟹江町の本町通りから移転してしまったら、私はこうしてここを訪れることなど不可能になる。私は、かつての本町酒店を辿って訪れているのだから。

「えっ!えっ!もしかして、私のため?」

 気が動転し、パニクっている私を、トシ君は愉快そうに眺めている。


「ずっと思っていたんだ。真汐さんはタイムスリップから帰ったあと、ここに訊ねて来てくれるんじゃないかってね。だから、ここを動くわけにはいかなかった。屋号もわかりやすく苗字だけにした」

 感激で胸がいっぱいの私は「ありがとう、トシ君・・」とだけ言うのが精一杯だった。



「この50円、これからは真汐さんが持っててくれないかな」

 一度はその依頼を断った。私が誤って支払いに使用してしまった硬貨を、お守りとして50年間ずっと携えていてくれたものを頂くのは、おこがましく感じた。

「いや、5年後のためにも、真汐さんに持っていてほしいんだ」

「5年後?」

「そう、17才の僕がタイムスリップしてくる。その僕に会えるように、お守りとして持っていてほしい」


 あの無粋な少年だったトシ君は、今やこんなにロマンチックなことを口にするようになっている。私は嬉しくなり「それじゃあ、しっかりと受け継ぎます」と、赤紐付きの50円硬貨を大切に財布の中に入れた。



 5年後の8月11日に、内海海水浴場で17才のトシ君と会う。自殺を思いとどまらせるという重要な任務が待っている。ここで失敗するわけにはいかない。


「夢も希望もなく、どん底だった僕は、真汐さんに救われる。それがすべての始まりになるんだ」

 そう回想しているトシ君の目元は、だんだん締まりがなくなり、だらしなく見えてきた。

 あの時と同じ目に見える。

 良からぬことを考えていると見抜いた私は、図に乗って上からの口調を用い、一語一語を強調するようにして突っ込みを入れた。

「それ、私ではなく、私のおっぱいに救われたんでしょ!」


 トシ君は笑い転げた。その笑顔は50年前の少年の顔に戻っているかのようだった。


「仕方がないから、とびきりの水着で出迎えてあげる」


 一週間前とは違い、随分と大人の対応をしている自分に驚いている。少し調子に乗っていることは認めるが、この至上の心地好さに、ずっと浸っていたかった。


〈終〉

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