比和沖雅呂

愛知県蟹江町在住。 蟹江町が舞台の小説を書いてみました。

比和沖雅呂

愛知県蟹江町在住。 蟹江町が舞台の小説を書いてみました。

最近の記事

【小説】駆けて!ホンマチ 最終話

「本町の通りが写ってる写真は少ないけど」  トシ君は何冊かアルバムを引っ張り出してくれ、その中からかつての本町商店街の様子を探してくれた。  私が訪れた時代よりも、少しあとの写真が多かった。時を経るにつれ、アルバムの写真は白黒からカラーに変化し、パノラマサイズという横長にプリントされた物もある。  私の見た50年前の活況に満ちた本町商店街は、幻でも夢の中の光景でもない。あの活き活きとした商店街は、こうして写真の中にも残っている。とりわけ、お祭りでの人だかりには目を見張る

    • 【小説】駆けて!ホンマチ㉓

       1971年7月11日  日曜日の午後、蟹江町本町商店街には、休日のいつもの賑わいが訪れている。  強い日差しに対抗すべく、アイスキャンディーを手にしている子どもたちが目立つ。八百屋の店先には、夕飯の食材を買い求める主婦たちの姿も現れ始めた。咥え煙草のスーパーカブの運転手が苛立ちながら鳴らす警笛が、耳障りに響き渡る。  その中を注意深く見渡しながら、真汐の姿を求め歩く俊夫の焦燥感は、次第に喪失感へと変化していった。  マドンナから喰らった強烈なローヒールの一撃は、側頭

      • 【小説】駆けて!ホンマチ㉒

         肩を震わせ、怒りに満ちた表情のマドンナ。その険しくも美しい眼光に、俊夫は見覚えがある。  つい先ほど、真汐が見せた目つきとの酷似性に、二人は深い関連があると悟った。  恐らく真汐とマドンナは血縁関係にある。高倉健の苗字が真汐と同じ『神谷』だという事実も、俊夫の推測を後押しした。 「そういうことか・・」 「あんたたち、こんなに大勢でたった一人を痛めつけて恥ずかしくないの!」  鬼のような形相のマドンナは、両手に持ったローヒールを乱暴に振り回しながら男たちを攻撃する。

        • 【小説】駆けて!ホンマチ㉑

          「あの日のことは、はっきりと覚えているよ。50年が経った今でもね」  トシ君は赤紐付きの五〇円硬貨を手のひらに乗せ、しげしげと眺めている。  静かな休日を迎えている株式会社ヒビノのオフィス内。空調の風が観葉植物の葉を優しく揺らしている。 「忘れるわけにはいかなかったんだ。今日という日が来るまで。どうしても、真汐さんに伝えなきゃいけなかったからね」  椅子の肘掛と背もたれに身を預けるような体勢をとり、トシ君は深く息を吐いた。  そして、私が見ることのできなかった50年

          【小説】駆けて!ホンマチ⑳

           インターホンのボタンを押す。休業日ではあるが、住居を兼ねる構造の社屋には人の気配を感じる。程なくして「はーい」と女性の乾いた声で反応があった。 「あ、突然すみません。こちらに日比野俊夫さんはいらっしゃいますか?」  緊張のせいで半オクターブ上ずった、よそ行きの声になる。 「はい、お待ちください」という歯切れの良い声で通話は終わった。  全面がガラス製のドアからは中の様子が伺えた。小さなオフィスと商談スペースで構成されているようで、壁やテーブルは白を基調とされており、

          【小説】駆けて!ホンマチ⑳

          【小説】駆けて!ホンマチ⑲

           2021年7月18日  JR関西線、蟹江駅のホームに降り立った私は、まるで一週間前にタイムスリップしたかのような錯覚を覚える。  改札を抜けて南口から駅を出る。閉口したくなるような強烈な日差しと蒸し暑さ、町の空気感も一週間前と変わらない。  でもこれはタイムスリップではない。お気に入りのリュックから取り出した愛機がそれを証明する。  ホワイトボディーのミラーレス一眼レフカメラを今日は忘れることなく携えてきた。まずはJR蟹江駅の真新しい駅舎を液晶画面に納める。おばあち

          【小説】駆けて!ホンマチ⑲

          【小説】駆けて!ホンマチ⑱

           本町商店街を私はまた走っている。さっき走ってきた通りを再び引き返す格好だ。  吹き出した汗に、前髪は額に張り付いているのがわかる。背中のリュックは走りに合わせて右へ左へと暴れる。必死の形相でバタバタと不恰好に走る私に向けられる通行人からの怪訝そうな視線も感じるが、そんなものに構う暇はない。  一刻も早くマドンナさんに伝えなければいけない。おじいちゃんとの再会を、今日この日に果たすために。その一心だった。  喫茶ソルティは、南北に伸びる本町商店街の北寄りに位置している。

          【小説】駆けて!ホンマチ⑱

          【小説】駆けて!ホンマチ⑰

           トシ君の後ろ姿を懸命に追いかける。お腹がひどく重たく感じるのは、たらふく食べたサンドイッチのせいだ。食いしん坊の私だが、非は認めたくはない。その罪深き美味しさに全責任をなすりつけたい。  昼下がりの蟹江町本町商店街には、活気が漲っている。決して道幅の広くない通りは賑わいを増し、軒を連ねている店舗前には人だかりができている。  立ち止まっての井戸端会議が熱を帯びるおばさんたちや、3,4台が連なって人並みを縫うようにすり抜けていく自転車の小学生たち。  よもやのお尋ね者出

          【小説】駆けて!ホンマチ⑰

          【小説】駆けて!ホンマチ⑯

           若きおばあちゃんの姿がもう見えなくなったのか、トシ君は窓の外から私へと視線を移した。 「マドンナに好意を寄せる本町の男連中にとっちゃあ、その高倉健は邪魔な存在さ。マドンナに会わせるわけにはいかない。万が一現れた場合、そんときゃあ俺たち若い衆の出番ってわけさ」 「出番?」  明らかに心拍数が高くなっている私は、どこか物騒なトシ君の表現に不安感が募る。 「マドンナに恋心を持つ男たちは、町の名士の息子や、東大卒のインテリ、元甲子園球児や医者の跡継ぎもいる。この本町の未来を

          【小説】駆けて!ホンマチ⑯

          【小説】駆けて!ホンマチ⑮

          灰皿の上で燻っている吸殻から、一本の細い紫煙が立ち昇る。その行き先は気まぐれに方向を変えながら、路頭に迷うかのように頭上に消えていく。  まるで、ちぐはぐな私たちの会話を象徴するかのようだ。  気のせいか、天井からぶら下がる蝿たちの亡骸も、噛み合わない私たちのやり取りに呆れているように見える。 「それじゃあ、真汐さんは一体なんのために今日ここへ来たんだ・・」  トシ君はじっと腕組をしながら途方に暮れている。  今日ここへ私がタイムスリップしてきた理由。私には全く心当

          【小説】駆けて!ホンマチ⑮

          【小説】駆けて!ホンマチ⑭

          「はい、お待たせ!たまごサンドと野菜サンド」  サンドイッチは大皿にまとめて盛り付けられているが、その量が半端ない。ビュッフェに並んでいるお皿をそのまま持ってきたような圧巻のボリューム感だ。 「おまけしてあげたでね、トシ坊」  にやついたエッフェル塔エプロンのおばさんがテーブルを離れる際に、下手くそなウインクをして見せた。  よもやのウインク攻撃に、眉間にしわを寄せて防御するトシ君の前にはアイスコーヒーが置かれた。『れいこー』とは冷たいコーヒーの省略形なのかと疑問が解

          【小説】駆けて!ホンマチ⑭

          【小説】駆けて!ホンマチ⑬

           喫茶ソルティの奥まった窓際のテーブルで物珍しく周囲を見渡している私は、50年前の異質な文化に戸惑いを隠せない。  私の中にある喫茶店のイメージは、静かで落ち着いた雰囲気のリラックスできる快適な空間だ。これまでに訪れたカフェや喫茶店では、おおむねこのイメージのどれかにはあてはまっていた。  しかし、1971年の蟹江町本町商店街に店舗を構える喫茶ソルティでは、そのすべてが覆された。  客同士の会話は店内の端から端まで聞き取れるほどの大声で交わされている。その喧騒の中で勃発

          【小説】駆けて!ホンマチ⑬

          【小説】駆けて!ホンマチ⑫

           見知らぬ地、見知らぬ時代で、私は大小様々なクエスチョンマークに脳内を占有されている。  蟹江町の本町商店街から少し外れた蟹江川は、流れが止まっているかのような穏やかな川面のままだ。その様子を真上から見下ろす恰好で、昇平橋の欄干に肘をついている。  私に声をかけてきた青年の奇妙な話は、とてもではないが簡単に受け入れられるような内容ではない。だけど、私の心は何故か大きく揺さぶられているのも事実だ。言葉に表すことは難しいが、何か運命めいたものを感じずにはいられない。  私の

          【小説】駆けて!ホンマチ⑫

          【小説】駆けて!ホンマチ⑪

          「2026年の世界に迷い込んだなんて夢にも思わなかった。真汐さんに説明されるまでは、自分は死んで天国に来たと信じ込んでいたからね。可笑しいだろ」  トシという青年は苦笑しながらポケットから煙草を取出した。折れかかっている一本をつまみ出すと空になった紙ケースを握りつぶし、擦ったマッチと一緒に川へ投げ捨てた。 「実を言うと、それからのことは鮮明な記憶がないんだ」  昇平橋の欄干に肘を付き、蟹江川を見下ろしながら力なく紫煙を吐くと、申し訳なさそうな顔をした。 「酒が回ってき

          【小説】駆けて!ホンマチ⑪

          【小説】駆けて!ホンマチ⑩

           1969年8月2日。  免許を取得したばかりの俊夫は、悪友の自転車屋の息子から80CCの単車を調達してもらい、百合子との約束を果たした。  借り物のスズキはクラッチの調子が悪く、タイヤもツルツルだったが、百合子を背中に乗せた俊夫は夢見心地でハンドルを握った。  砂浜に立つ百合子は気品溢れる妖精のようだった。この日のために買い求めたという鮮やかなオレンジとブルーで配色された水着は、白い砂浜と日焼けした肌によく映えた。眩いばかりに輝く百合子の姿は、周囲の視線を独占していた

          【小説】駆けて!ホンマチ⑩

          【小説】駆けて!ホンマチ⑨

          「あんまり幼いから最初は気付かなかったよ。君が真汐さんだって。俺の知ってる真汐さんはもっと大人でずっとグラマーだったから」  私の名前を呼んだ青年は、オールバックに撫で付けられた髪を摩りながら、小声でそう近付いてきた。 「ああ、初対面になるんだね。俺は日比野俊夫だ。トシって呼んでくれ」  爽やかな笑みを浮かべながらそう名乗った青年は、みたらし団子が焼きあがるのを待っていたときに、私からスマホを奪い取った四人組の一人だった。  そのグループでは一番若そうに見えたが他の三

          【小説】駆けて!ホンマチ⑨