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原因不明の体調不良のはじまり

今回は、休職の原因である原因不明の体調不良について、
体調を崩した当時を振り返ろうと思います。

納車日に

本記事の執筆日(2023/3/23)から遡ること、約1年4か月。
待ちに待ったマツダ3の納車日。
当時は半導体不足が深刻で納車は予定の2か月遅れ。
実家近くの店舗で契約したので、私は納車式に向かうべく、電車に乗っていった。無事、納車を済ませ、実家で昼食と夕食を食べて、自宅に帰った。実家ではなぜか寒く感じ、少し震えていた。
自宅到着まで3分というところで急激な腹痛に見舞われた。ただの腹痛であれば、少しの間トイレに行くことは我慢できるが、そのときばかりは3分が途轍もなく長く感じた。自宅の鍵を開けると、すかさずトイレに駆け込んだ。
下痢だった。私は胃腸の風邪や調子が悪くなることなど滅多になく、下痢を気にも留めていなかった。

しかし翌日以降も下痢が続き、気づけば毎食後プラスαの1日7、8回ぐらいは下痢をしていた。
なんとなくしんどい感じもしたので、下痢をし始めた4日後、在宅勤務をした。自宅での昼食後は、いつもハンドドリップのコーヒーを飲むのがお決まりなのだが、この日は全くコーヒーを淹れる・飲む元気がなかった。倦怠感もあったので、熱を測ると37.8℃だった。
コロナを疑うご時世なので、この日は定時で仕事を切り上げて、自宅近くのクリニックを受診した。お腹のエコー検査をした結果、軽い腸炎で1週間もすればよくなるでしょうとのことで、整腸剤を服用し様子を見ることとなった。

よくならない体調

それから1週間というものの、症状は全く改善しなかった。再び前回と同様のクリニックを受診した。腸炎が少し長引いているかもしれないのでもう1週間様子を見て下さいとのことで、整腸剤を服用し、回復を待った。

さらに1週間経過したが多少トイレに行く回数が減少したぐらいで下痢は続いていた。再び前回のクリニックを受診した。さすがにただの腸炎とは考えられなく、重い病気の可能性もあるので、医師から、
「市立病院に紹介状を書きますので、翌日、市立病院の受診は可能ですか」
と問われた。当時はプロジェクトが遅延気味でタスクは溜まっており、通院のために有給休暇を取る余裕はなく、翌日行くのかと少し返事をためらっていたが、もう年末なので早いうちに市立病院の受診をしてくださいと医師に促され、翌日、市立病院を受診することにした。

昼から仕事に戻るべく、市立病院の受付開始時間と同時に受付に向かい、手続きを済ませた。市立病院は朝から多くの人でごった返し、特に高齢者が多く、長らく大きめの病院とは縁のない生活を続けていた私は、医療業界は大変そうだ、これが高齢化社会かなどと感じながら、自身の名前が呼ばれるのを待った。
名前が呼ばれ、診察でこれまでの経緯を説明し、その日は採血と腹部のCT検査を行った。検査結果は採血の全項目、CT検査ともに異常はなかった。
一旦、異常はないが、念のため大腸内視鏡検査はしておいたほうが良いとのことで翌月末に大腸内視鏡検査を予約し、それまでは1週間分、漢方(補中益気湯)を出すので、それで様子を見るように言われた。
この日は病院での会計を済ませた時点で昼の12時を過ぎており、慣れない病院に来たということもあり、すごく疲れていたので、午後も仕事を休むことにした。私のタスクが遅延するという気持ちはあったが、それを上回るしんどさを感じていた。驚くことにいざ休む決断をすると、タスクは遅延するというのに、すごく心が楽になった。

翌日からは遅延を回復するべく、仕事に戻った。しかし、新人の私が頑張ったところで遅延を回復できるわけはなく、先輩に私のタスクをいくつか引き受けてもらうことになった。申し訳ないなと思った。

そんなこんなで年末まで働き、年末休暇に入った。年末休暇は6日間あるので、1週間近く休めば、体調は回復してくれるかなと希望を抱いて休暇に入った。しかし、体調が回復することはなかった。

今回はこの辺までにして、次回は年明けからの様子を書いていこうと思います。体調を崩してから年明けまでの最初の1か月は腹痛に加え、微熱と倦怠感がずっと継続していました。また、この体調不良をきっかけに牛乳を飲むとお腹を壊すようになりました。
またこの1か月は強烈にしんどいながらも毎日出社し、仕事していました。
仕事中、常に身体は燃えるように熱く、フラフラでした。
週末の土日はしんどさのあまり、ずっと自宅で寝込んでいました。
その当時を振り返るとよく頑張って仕事を続けていたな自分、とつくづく思います。


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