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地獄のような過労の日々の果てにあるもの

「きみと目が ぱちんと合った その日から 僕の地獄は 始まったんだ」
「地獄から 見上げた空は 青かった」

のっけから、不穏な短歌と川柳で失礼しました。これらは、私が過労でメンタルがどうにかなりそうになった時に詠んだものです。こんなものを詠んでいる時点で既にどうにかなっていたような気もしますし、なんなら普段からどうにかなっているような気もします。
とりあえず、普段の私は短歌や川柳を詠まないので、人は追い詰められると短歌や川柳に自分の思いを乗せることがあるのかもしれません。切ない恋心を詠んだ和歌も多く残っている印象があります。過労のしんどさを詠んだ和歌があるかどうかは、ちょっとわかりませんが。

というわけで、今回の記事では、過労で気が狂いそうになっていた日々のことを書きます。
人は過度な時間外労働が続くと、遅効性の毒がぐるぐると体内を駆け巡り、じわじわと染み渡ってゆるやかに死へと向かっている、そんな心地になります。

さて、冒頭の短歌と川柳の説明をするため、再掲します。

「きみと目がぱちんと合ったその日から僕の地獄は始まったんだ」

「きみ」は、「責任感のある重要な仕事」を指します。ミステリー小説の書き出しのような香りがしますが、ここから始まるのはただの残業続きの日々です。その日々が終わり、「ああ、大変だったなぁ」とぼんやりしていた時に急に降って来た謎の短歌です。本当に小説のモノローグのような状況で思い付いたもので、これの原型をツイートもしています。(非公開のアカウントのため、検索しても引っかかりません。)

「地獄から見上げた空は青かった」

「地獄」は、「過労が続く環境」のことを表現していますが、「なんなら過労が続かなくてもこの世界は地獄では?」くらいの気持ちで生きています。時々青空が見えてほっと胸を撫で下ろします。そんな感じで生きています。
これは、ボロボロな身体をボロボロな心でなんとか支えながら、「もう少しでこの業務がひと段落する・・・!」と、光明が差した気がした時に思い浮かびました。

さて、最も過労が酷かった時は、朝8時頃から勤務を始め、終わるのが早くても夜の8時、遅ければ0時を回る、という日々を送っていました。均すと、だいたい10時くらいだったと思います。そこから帰途に着く、という流れでした。

時間を見たら全然大したことないと思います。しかし、私は体力がなく、割とこれでもしんどかったです。絶対に間違えてはいけないというプレッシャーや、常に重要な判断を迫られる業務だったので、頭もいっぱいいっぱいでした。
そして、ひとりで残業することも多かったので、そういった意味でも相当なストレスでした。本来は属人的になるべきでない業務を含めてすべてが個人プレーになってしまっていたので、その点に関してはとても良くない環境だったなぁと思います。

もっともっと遥かに過酷な時間外労働を強いられている職業があると思うと、胸が苦しくなります。頑張っているすべての人が報われて、幸せを感じながら生きていけたらいいなと思います。言うだけなら簡単ですが、実際、難しいですね・・・。

へとへとで帰宅し、やっとのことで簡単な晩ご飯を食べて入浴し、就寝する。そんな、まったく潤いのない生活がしばらく続くと、私の膵臓が軽く壊れました。メンタルより先にフィジカルが逝きました。人間って思ったより脆いです。心当たりはありました。手作りの弁当を用意する暇がなく、同僚と同じように出前で済ませ、なんなら食べながらパソコンの画面とにらめっこして仕事をしていました。そして晩ご飯も簡単に済ませるわけです。お酒はまったく飲まないのに・・・。
そして、よほど無理が祟ったのか、駆け込んだ先の病院で、医者に「少し様子を見て、改善しなければ入院だね」と言われました。

ところで、私は仕事が好きです。
好きですが、たったひとつしかない膵臓を犠牲にするほどではないと、今なら思うのです。
しかし、その頃は取りかかっていた業務のことしか頭にありませんでした。私の不摂生を原因に、穴を空けるわけにはいかない。たとえ仕事に起因する症状であっても。
そこで、「入院」という言葉を耳にした時、「あぁ、じゃあ朝は病院から出勤して、仕事が終わったら病院に帰ってくるんだな」と思ったのです。そんなわけないです。思考回路が壊れています。ただ、これは過労が原因というより、私にはもともと「なんかズレてる」ところがあるので、もしかしたら、うっかり勘違いと言っても差し支えないかもしれません。それはそれで、うっかりにもほどがあります。病院は寝泊まりだけする合宿所ではない。

そんなわけで、私は自分の健康のため、というよりは、「この業務をなんとしてでもやり遂げなければならない」、「私が入院したら仕事が回らない」という目的のため、必死に頑張りつつも食事などの生活習慣には気を付けることにしました。
今になって冷静な頭で考えたらわかるのですが、「私が入院したら仕事が回らない」ってなんなんですかね。さすがに属人的が過ぎる。ちなみに、私に限らず誰が入院しても仕事は回らない状況でした。誰が何をしているのか本人しか把握していない環境だったので。今のその部署は考え方が変わり、もっと協力するようになりました。良かった。

今では部署の異動があり、「時間外労働はあまりないけれど、年次有給休暇を1日も取れない」という環境です。でも、やりたかった仕事なので、「休みなんていらない。こんな日々が続けばいい。たとえ給料が出なくてもこの仕事がしたい」と思って働いています。とは言え、ストレスもそれなりにありますが、どの仕事もそれは同じだと思います。
基本的に、あまり金銭には興味がなく、信念ややりがいだけで働いているタイプなので、ついついブレーキをかけそびれてしまいます。ただ、人間はアクセルをずっと踏み続けるだけでは生きていけません。どこかでガタが来ます。それは怖いです。
ただ、またいつか必ずある異動を考えると、これからの生き方を見つめ直しても良いのかもしれない、そんなふうにも思っています。

この気持ちをいつか冷静な頭で振り返る時に、どんな感情になるのか楽しみです。

思うに、何度もあった「地獄のような過労の日々」を生き抜いてこられたのは、理解してくれて話を聞いてくれる先輩がいたり、Twitterで他愛のない話をしてくれるフォロワーさんがいたりしたおかげでした。ひとりではきっと無理だったと思います。人を理不尽な過労地獄に堕とすのも「人」だし、本当に助けてほしい時に手を差し伸べてくれるのも「人」だと、今の私はそう考えています。

過労は人から生気を奪っていきます。特に、職場にひとりも理解してくれる人がいなかったとしたら、私はきっと、とっくに潰れていたと思います。それくらい、人の闇を増大させるものだと思っています。どんなに好きな仕事でも、自分で選んだ仕事でも、過労の地獄の先には「無の境地」があるのではなく、ただただ「限界」が来てどうにかなってしまうだけ、そう感じています。

色々と思うまま書いてみましたが、私自身そんなに長年社会人をしているわけではないので、もしかしたら、過労の先には「成長」とかそういうキラキラしたものがあるのかもしれません。でも、心身を壊してまで得る価値は、今の私はないと思っています。
無理して生きる必要はないと思っているし、そうであってほしいなと思います。