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年賀状を書いた話

年賀状を書いた。

12月初旬にはがきを購入していたものの、仕事の忙しさなどを言い訳に逃げ続け、今日になってやっと着手した。本当は今日も精神的に年賀状どころではないのだが、職場の人にも送るので、年末ぎりぎりすぎてもよろしくない。できれば元日に届いてほしい。そうして私は、他のことをしたいというよりは何もしたくないという気持ちを封印し、ペンを取った。

年賀状は手書きする派なので本当にペンを取ったのだが、このペンが問題だった。私は記憶力が本当に残念なので、毎年何のペンを使ったか忘れてしまう。ペンを捨てた記憶もないので、きっとこの家のどこかにあるはずだ、そう思って探すが、一向に見つからない。仕方ない。買った方が早い。諦めて文具店に足を運んだものの、どのペンがいいのか決められない。私は割と重めの優柔不断だ。30分程度悩んだ挙句、やっとペンを1本購入した。しかし、そのペンが思ったより太かった。試し書きができなかったので仕方ない。「太いよなぁ」と思いながらも、「でもせっかく買ったし・・・」と、最初の1枚を書いてみる。書き上がったものを見て、「あ、これ無理だ」と頭を抱えた。「いや、でも、慣れかも・・・」とすがるような思いで次の1枚を書いた。「ダメだ」とはっきりとわかった。この太さでは字が潰れてしまうし、なんと言っても美しくない。仕方なく、「そう言えば去年はどうしたかな」と、この段階になってようやく去年のはがきを見た。
以前、デザインを直感で決めようとして去年のものを見たところ、びっくりするほど似ていることに気付いて変更したことがあった。「毎年同じようなデザインじゃん」と思われたくなくて、余ったものや書き損じたものを1枚とっておくようにしているのだ。そして去年使用したペンの筆跡を見て強く思った。「最高じゃん・・・。このペンが欲しい!!」

そう決めて、狂ったように家じゅうを改めて探し回るが、やはり見つからない。とはいえ、買いに行くのは面倒くさすぎる。今日は1日おうちにこもって年賀状を書く日と決めた。外に出るなんてハードルが高すぎる。私はそういう人間である。例えば、外に出ることでその面倒くささを上回るほどのメリットがあることが約束されているなら、急遽外に出てもいい。でも、全身の力を振り絞って頑張って外出したところで、目当てのペンと出会えるかはわからないし、再び売り場であれこれと悩む自分の姿を想像すると、割に合わないなと思った。それならば妥協したい。でもこのペン以外に何かないか。そうしてペン立てを漁り、すべてのペンの書き心地を試そうと書き始める。すると、「最高というにはちょっと細いけれど、さっきのペンよりはだいぶマシ」というレベルのものがあった。ぜんぜん、いい。余裕で妥協点である。私は彼と運命を共にすることに決め、3枚目のはがきを手に取った。

おそらく来年も同じことを繰り返すのは目に見えているので、ペンとはがきが一緒に写るように写真を撮った。きっとこの書き心地が必要になるのは年に1度のこの時だけ。なので、捨てさえしなければ来年のこの時期もきっとこのペンは家にある。「最高の書き心地」を求めて文具売り場を彷徨うとは思うが、帰宅して使用して「やっぱりこれじゃないな・・・」と感じるかもしれない。買い直す時間がなかったら思い出してほしい。「そう言えば、去年は使ったペンの写真を撮ったなぁ」と。それくらいは思い出せる記憶力であってほしい。さっきから来年の話ばかりしているので、きっと今頃どこかで鬼が笑っていると思う。鬼、いるのかな。

せっかくなので、年賀状の書き方を書いてみる。
書く順番は、友人→職場の親しい人→職場の偉い人→友人、である。おそらく毎年そうである。最初はエンジンがかからず、「綺麗な文字をバランスよく書く」という行為に慣れる必要があるので、多少失敗してもまぁ許してもらえるかな、という友人たちの分から書き始める。これを書いていて思うのだけどとても失礼だな。ごめん。
最後にも親しい友人たちが残っているのは、集中力が切れたり、ペン先が潰れたり書きにくくなったりしてしまう恐れがあるからだ。絶対に書いておきたい人は、慣れ次第早めに書きたい。
私は年賀状を書く順番について誰かと話をしたことがないので、これが一般的なのかどうか、まったく見当がつかない。もしかしたら、「そんなの何も考えずに適当に書いてるよ」と一笑に付されるかもしれない。でも、そういう人も、書くのであれば絶対に「順番」が生じるよね?どう書いてるの??
近年、年賀状を出さない人も増えている。そういった中で、宛名などを印刷せずに「書く」人はかなり少ないのかもしれない。そういう話をできる人も減っているということだ。完全に廃れることはないだろうが、送り合えているうちにちょっと話してみたいなと思っている。でも、本当にどうでもよすぎるので、きっと話すのを忘れてしまうのだろうなと思う。覚えていたとして、突然「そう言えば、年賀状ってどういう順番で書いてる?」と訊くのもなんか、どうなのかな。導入が下手なだけかな?「そう言えば、年賀状って最近書かない人もいるみたいだよね。ところで、年賀状ってどういう順番で書いてる?」・・・これは改善の余地があるな?私の会話スキルではどう話しても不自然になる。割と思い付きでnoteを書いているので、きっともっと熟考すれば名案が浮かんでくる気がする。なんなら名案を考えることすら後回しにしたり忘れたりしそうだが、それもまた人生。・・・何を言っているのかわからなくなってきたので話を変えます。

年賀状のデザインについて。
去年までは、本を購入していた。去年は本に載っているお手本のようなテンプレートをそのまま使用したが、一昨年までは、背景や素材を自分好みに組み合わせてあれこれと考えていた。その時間が楽しかった。今年はそういったものを楽しむ時間が取れないし、書店でどの本にしようか悩む時間すら取れなかったので、既製品を購入した。去年は、本選びだけでも書店をはしごしてトータル2時間程度悩んだ記憶がある。優柔不断にも程がある。その上、印刷する時間や書く時間も取られるので、結構な時間を費やしていたことになる。確か、印刷しようとしたらインクがなくなって、印刷して「さぁ書こう」と思ったら今度はペンがなくて買いに行った記憶がある。あれ?そうだ、去年もペンを買ったんだった。
・・・それでも、もっともっとこだわる人はいくらでもいると思う。どれくらいの時間と熱量を年賀状にかけているのだろうか。気になる。

ちなみに、宛名、自分の住所・氏名、メッセージを手書きにするのは、字を書くのがすごく好きで楽しいという理由からだ。綺麗な字が書けるわけではない。デザインについても、来年は凝った年賀状が書けたらいいなぁと思っている。・・・油断するとすぐに来年の話をしてしまう。鬼、笑いすぎて腹筋を痛めたりしてないかな?大丈夫かな?

そんなわけで、年賀状たちが完成したので、あとは投函するだけ。本当に切羽詰まっていたら、今すぐにでも「かろうじて外出しても大丈夫な服装」に適当に着替えて、ドライブスルー方式のポストに投函しに行くところだが、土曜日の夜だし、「まぁ、まだそういう段階じゃないかな」と高を括っている。もうとっくにそういう段階な気もするが。というか、たぶん、早く投函してあげたほうが郵便局員さん的にもいいと思うので、来年こそ本当に早く書いて投函できたらいいなぁ、と思っている。