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骨折して、感染症かかって、大変だった話

こんにちは、Garechです。本日(2022/1/30)を持ちまして18歳になりました。   

 ご存知の方も多いと思いますが、6月末に左腕を骨折し、その影響で入院沙汰になることがたくさんありました。最近になりある程度区切りが付き、症状もかなりマシになってきたため、ここらで記事として少しばかり体験談を記録しておきたいと思います。

 こういう文章を書くことに慣れていないため、多少文章が読みづらい部分もあるかもしれませんが、暖かい目で見守って頂ければ幸いです。

⚠ 注意!⚠
この記事は実際のケガの様子の写真・ツイートが何枚か添付されています。
直接血や傷口が映ることはありませんが、痛々しく感じるかもしれません。

そういった画像が苦手な方は購読をやめることを強く推奨します。

OKすか?

[1] 2021/6/21 左肘を骨折

 6月21日、午前11時すぎごろ。この日、私は学校におり、体育でサッカーの授業をしておりました。そして、派手にすっ転んでしまったわけですね。
 転ぶ瞬間、咄嗟に左肘を地面に差し出してしまい左肘を強打。そのときは自分でも何が起きたのかよくわかっていませんでした。
 とりあえずその時は「ちょっと捻挫したくらいだろうな」と高を括っていました。骨折の痛み?もあまり感じず、大ごとにはならないだろうと…。

 そして近場の整形外科に連れていかれレントゲン写真を撮影。
看護師の方に「完全にヤってますねー。もっと大きな病院で治療してもらいましょう」と告げられます。ここら辺で私はやっと、「あっ、これヤバいな」と思い始めるようになりました。

 その時の報告ツイートがこれですね。ひとまずの応急処置だけしてもらい投稿。心配してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

[2] 2021/6/24 骨折治療のため3日間入院

 そしてそのあと、少し大きな整形外科病院を紹介され、そちらで入院することになります。
 診断名は「左上腕骨遠位端粉砕骨折」。なんかパワーワードですね。要するにヤバいってことです。

 そんなこんなで6月24日、人生で初めて入院。翌日25日にすぐに手術する運びになりました。手術される怖さは多少あったものの、「これを乗り越えれば楽になれる」と思い、心を固めました。
 しかしまぁ、手術に入る直前までガチガチに緊張していました。身体の至るところにバイタルを測るための機械が付けられていく。「ピッ…ピッ…」と流れる電子音、自分の心拍数の早さが頭の中に響いていました。
 『はい、じゃあ深呼吸してくださーい。』
酸素マスクを付けられ一生懸命呼吸をする。すぐに記憶を失いました。

 目が覚めた時には既に病室のベッドの上。あれっ、いつの間に………?
左腕は部分麻酔が効いており、感覚がほとんど無い。指先も、自分の指じゃないみたいな感覚でした。ベッドの上からも全く動けないため、マイリストにある音MADメドレーをひたすら流し続けて意識を逸らしていました。
 手術内容は、骨折した該当部分を洗い流し、中にワイヤーやボルト等を入れて骨を固定するというものでした。手術後のレントゲン画像がこちら。

ああ痛々しい。6月28日撮影。

 そして26日、すぐに退院です。早い。ホントにいいの?ってなりました。
実際大丈夫じゃありませんでした。退院翌日に過去一の痛みが襲ってきて、夜中にも関わらず緊急外来に駆け込みましたね。なんとか座薬を入れてもらい解決しました。17歳普通男子に座薬はハードでしたね…。すごく気持ち悪かったです。
 本来はここで終わるはずでした(入れたボルト等は2022年に手術抜去する予定でした)。ここからが地獄です。

[3] 2021/8/10 感染症治療のため2週間半入院

  それから月日は経ち、8月に差し掛かり、日差しが暑くなっていきます。
夏休みでゆったり生活している中、部活の先生からちょくちょく、
   「左腕、腫れ上がってないか?」  と言われるように…。
 そもそも異物が中に入っているため、多少腫れるのは当然です。しかし、時間経過とともに悪化している。赤く腫れ上がっていく。異常なほどに。

写真の角度の問題?いえ、本当に傍から見たらヤバいほど腫れてたらしい。8月9日夜撮影。

 そうしてビビりながら迎えた、8月10日の朝。ベッドから起き上がる。
       (……あれ?なんか濡れてる…?)

 なんと、患部から茶色い液体が溢れ出てきていました。傷口を止めていた絆創膏も貫通し、ベッド上にぽたぽたと。これはヤバイ。すぐに病院に駆け込みます。

 そこで感染症の疑いがかかる。うそだろ。僕何も悪いことしてないのに。ひとまず検査をしないことにはわからないので、傷口に抗体検査の棒(?)を入れられる。これが物凄く痛い。人生で最大の痛みでした。ごく数秒の出来事でしたが、半年経った今でも鮮明に覚えています…。みなさんも何か異常を感じたらすぐに病院にかかるようにしましょう。

 その後診察を受けた。感染症がかなりヤバい状態だったらしく、その2日後である8月12日にすぐ入院することに。これで2回目、また逆戻りか……。
 どうやら中に入っている金属に病原菌が付着していたようです。そこから感染が広がった可能性が高く、すぐに全て抜去することになりました。
 感染の危険があり内部に固定器具が入れられない関係上、この日から暫く創外固定という器具を取り付けることになります。皮膚から飛び出しているので、隠すための包帯は外せなくなり、外出時は少し大変でした。

説明資料です。この頃私は「サイボーグ」とかって学校で呼ばれてました。8月11日撮影。

 そして8月13日、2回目の手術を終え一安心。そこからも8月30日の学校が始まるギリギリまで入院し、経過観察していました。母親にノートパソコンを持ってきてもらい、入院中も参加した合作の修正作業・個人作の作成などで暇潰しをしていたため、入院生活はそこまで苦ではありませんでした。
 リハビリはある程度やってもらっていましたが、それでも左手のむくみが本当にヤバかったです。やっぱり動かさないとダメになるんだなぁ。

ドラえもんの手みたいだよね。8月20日撮影。

 退院し、「今度こそこれで楽になるだろう」と思いホッとしていました。
そもそも、術後感染症にかかる確率は最初の手術時に1~3%と説明されていたため、不幸なことはこれ以上続かないだろうと信じていました。

…………その時は、ですけど。


[4] 2021/10/5 膿の摘出手術で入院、その後…

 更に月日が流れ10月頭。この辺りで、8月に切除したはずの場所からまた膿らしきものが出来はじめます。おいおい……。
 やはりこのまま放置しても良いものではなく、更に切除するため4日の間入院・手術することに。これで3回目になります。
 入院中の出来事は全省略します。もう慣れた。

 しかし手術してもなかなか症状が良くなる兆しが見えません。抗生剤の飲み薬もずっと飲み続けている。出来ることは全部やっているんだが…。
 本来ならば術後は検査等をして様態をハッキリさせるのですが、度重なる処置でCT検査を何回もしているため、これ以上のCT検査は放射線被ばく量的にも危険が及ぶと伝えられ、したくても出来ない期間が続いていました。

 そんなこんなでダラダラと時間が経ち、10月28日。やっとCT検査を受けることになりました。そして告げられた衝撃の事実。

 このレントゲン写真ですね。もうこりごりです。何回絶望突き付けられたらいいんだよ。要するに骨が溶けてるということです。難しい言葉で言うと骨髄炎こつずいえんです。
 もうかかりつけの病院でも手が負えなくなり、更に大きな病院に転院することになりました。
 ちなみに、ツイート内に「死亡するケースもある」と書いてありますね。すみません、少し盛りました。実際ちゃんと治療していればそんなことは起きないです。しかし最悪の場合左腕切断、とも言われていたので依然として危ない状況であることには変わりありませんでした。

[5] 2021/11/11 骨髄炎治療のため1ヶ月間入院

 なんだかんだで更に大きな病院に転院することになりました。ここからはそちらでの出来事を書いていきます。
 11月11日、世間がポッキー&プリッツの日で賑わう中、またまた4回目の入院、翌日にすぐ手術をすることになりました。

「前の病院であれだけ不安煽られたし…本当に大丈夫になるのかな…?」

 元を辿れば、たかが一回の骨折だけで4回も入院することになりました。最初に骨折したのなんか6月です。もう5ヶ月近く経ってます。
 今まで何度も「これで治るだろう」と思い続けてきた。それなのに何度も期待を踏みにじられてきた。鏡を見るたび、やつれた自分の顔が照り返る。
精神的にもかなり疲弊しており、様々な不安を抱えて手術に臨みました。

 手術内容は、
  ・ 骨髄炎に侵されている部分の骨を切除
  ・ 上腕骨/橈骨/尺骨に管を挿し、外から抗生剤を投与できるようにする
  ・ 創外固定の取り付け (手術の1週間前、一時的に外されていました)
  ・ 腕内の洗浄

 の4本立て。結構ボリューミーですね。
 そんな大手術が終わった後の腕の様子がこちら。

こんなにチューブ繋がれて、まるで人体実験されてるみたい。11月13日撮影。

 手術後しばらくは本当にベッド上から動くことができませんでした。左腕がかつてないほどに重かったです。その2週間は更に抗生剤の点滴や飲み薬も増量されました。1日4回も点滴されていた右腕は、度重なる入院で既に血管までボロボロ。刺しなおしも困難を極め、かなり痛かったです。

 そこからはかなり順調に治っていきました。まず全体を固定している器具が外れ、各骨に繋がっているチューブも伝達麻酔の手術で抜去、リハビリの甲斐もあり、順調に腕も曲げ伸ばしもできるようになっていきました。
 入院中は何より、病院食がすごく美味しい。小中学校の給食のように毎日メニューが変わるので、毎日3食のご飯を楽しみに生活していました。

 そして12月14日、ついに退院。左腕はまだ創外固定が残っているものの、ほぼ障がいなく動かせるため、様態はかなり良くなっていました。

[6] 退院後、今のようす

 年は明け1月6日、5ヶ月ほど常に着けていた創外固定も外し、現在は何の金属や器具も入っていません。完璧に正常な腕になっています。リハビリや飲み薬の服用は続いているのですが、普段の日常生活が問題なく送れるほどには回復致しました。

 この半年の間に、4回の全身麻酔手術、1回の伝達麻酔手術、その他何回もの処置をやってきました。正直かなりしんどかったです。
 しかし、どの病院の先生方も優しく寄り添ってくれたおかげで、すごく落ち着いた心持ちで入院することができました。先生方にはすごく感謝です。
 まだ18年しか生きていない若僧ですが、普通の人なら一回転んだだけでここまで大怪我・病気にかかることは少ないと思います。この貴重な経験を噛みしめ、毎日健康・平和に生きられることに感謝しつつ、これからの人生を歩んでいきたいです。

 以上、長文になりましたが私の体験談でした。拙い文章でしたが最後まで読んでくださりありがとうございました。


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