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点。
面積はない。
『・』のように点を意味する図形を表記することはできるが、これはあくまでも面積を持った模式図に過ぎない。
線も面積を持たない。
こちらも『   』のように描画できるが、これもまた面積を持った模式図に他ならない。

例えば紙などに☆の図形を描き、それを刃物のようなものを用いて切り抜くとしよう。
その場合、☆または★の描き方がある。

Aのように「切り取り線」を描いてしまうと、それは線ではなく面になり、その線幅のどこで切るべきかわからなくなってしまう。
Bであればそのようなことはない。黒と白の境界「線」を狙いさえすれば、より正確に切断ラインを見分けることができる。

線を特定したいのなら、線自体を面として描いてはならない。
点の特定についても同じことが言える。
下図のように穴あけ位置を指定するのであれば、CよりもDのほうがより正確な位置決めを期待できる。

点や線には面積がないが、それらを『・』『 』のような面積を持つ図形に変換して図示できることはコスト面で有利と言えるだろう。だが、それによって位置情報は拡散し、精度が失われる。
もしあなたが、趣味の工作がいまひとつなことにお悩みであれば、ここまでに示した手法で作図してみるのもいいだろう。

我々が存在する三次元空間において、点も線も面積が無く、当然体積も無い。それそのものを目視することはできず、概念として感じる他無いものだ。
だが身の回りには様々な『点』が存在し、中には視えるとされるものもある。
交差点、だ。
人は時に「そこの交差点を過ぎてすぐのコンビニのあたりで――」のように案内することがある。
案内する方も、される方も、その点を目視している。と解釈できる。
しかし、交差点とされる位置に、明確な点を見出すことは難しい。

交差点とは道路と道路が交わる部分を指す。
誰もがそこを交差点と呼ぶが、事実上、それは交差域とでも呼ぶべき空間となっている。
交差点が点でない点については百歩譲るとしても、それがどの程度の領域を指すものなのかもはっきりしない。
交差する道路のどちらに属するかがはっきりしない部分を合わせるならばEとすることもできるし、交差する部分のみを抽出すればFのようになる。

どちらが正しいかはわからないが、それでも最大でE、最小でFの範囲のどこかに交差点が存在するであろうことは推測できる。

それ自体は存在するが、それがどこにあるかは(正確には)わからない。
似たような話を見聞きしたことのある人は多いだろう。
不確定性原理で説明される現象だが、素粒子や量子はあくまでも物質なのだ。大きさも質量もない『点』は物質ではなく、ただの情報にすぎない。
しかし数学的宇宙仮説の「数学的に存在できるものは、物理的に実在する」という主張を援用すれば、数学的な概念でしかなかった『点』が物理的存在となり、物質としては素粒子よりも小さな『点』は素粒子に似た振る舞いを見せる可能性がある。
このことから、交差点とはGのように確かな一点ではなく、Hのように交差域のどこかに分布している可能性が高い。

交差点のおおよその位置は掴めてきたが、これでは正確に交差点を通過できない場合が生じることは否定できない。
「交差点のあたりまでは来たんですけど――」そこから先が分からず、電話を掛けたり、掛かってきたりしたことはないだろうか。
道案内があるにも関わらず道に迷ってしまう人がいるが、それには経路となる交差点それ自体が「位置を正確に特定できない」性質を持っていることが原因にあるという推測も成り立つ。

交差点は往来のそこかしこに存在し、道案内の基準点として度々用いられる。しかし交差点自体が道案内に適していないとすれば、なぜこれまで誰にも省みられること無く放置されているのだろうか。

我が国においては一般的に、道路は公共事業として敷設され、公的機関によって維持管理がなされ、さらにそれら道路には各種法令とともに安全な運用を目指した労力が払われている。
道路に関係した法規の一つに、道路交通法がある。その条文には交差点についても言及があるが、中には不可解な記述も見られる。

第36条(中略)4 車両等は、交差点に入ろうとし、及び交差点内を通行するときは、当該交差点の状況に応じ、交差道路を通行する車両等、反対方向から進行してきて右折する車両等及び当該交差点又はその直近で道路を横断する歩行者に特に注意し、かつ、できる限り安全な速度と方法で進行しなければならない。
第53条(中略)2 車両の運転者は、環状交差点においては、前項の規定にかかわらず、当該環状交差点を出るとき、又は当該環状交差点において徐行し、停止し、若しくは後退するときは、手、方向指示器又は灯火により合図をし、かつ、これらの行為が終わるまで当該合図を継続しなければならない。

e-Gov法令検索(https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=335AC0000000105

交差点は「進入」「通行」「脱出」が可能な領域だということが示されている。
何度も提示したように、『点』には大きさも広さも体積もない。空間の中に点は存在しても、点の中に(少なくとも三次元の)空間は存在しない。
点を含んだ空間を通過できても、点の中を通過することはできない。
だが道路交通法では、そこは、入れて、通れて、出られる、ことが示されている。これはどういうことだろうか。

自動車が交差点を通過する場合、図.Iのような事が起きているものと推定される。

交差点を通過する自動車

実際の交差点には大きさがないため、車の歪みはもっと極端なものになる。
自動車が交差点に進入する側だけを表すとJのようになり、脱出側はKのようになる。これは交差点の大きさが0であることに起因する。

交差点の大きさは0なので、内部の距離は0、通過に必要な時間も0であることから、我々の空間では次のように観測される。

進入~通行~脱出に掛かる時間は0。その間、通過中の自動車は大きさ0になる。
物体を圧縮すると、つまり、重さはそのままでサイズを小さくすると、密度が高まる。ブラックホールと呼ばれる天体はその極端な一例といえるだろう。
交差点通過時の自動車は質量そのままでサイズ0。これは密度が無限になることを示しており、無限の密度を持つものの質量は無限になる。
ブラックホールの質量は有限であることから、そのサイズが0でないことが推定されているが、交差点を通過中の自動車はブラックホールを超える何かに変化し、元に戻っているのだ。
身の回りのあちこちでそのようなことが起きているのに、我々が無事で居られるのはなぜだろうか。
その理由として、質量が無限大になる時間が0であることが挙げられる。
無いのではない。時間0が経過している間、それは確かに発生している。
0の時間において発生している故に影響がないとして、しかしそれが危険であることに変わりはない。

交差域を通行する場合、歩行者であれば横断歩道を通過することが推奨されている。図を再掲しよう。
横断歩道は明らかに交差点が出現する可能性のある領域を避けていることから、やはり交差点との接触は人体に害を及ぼす可能性があるのだろう。

交差域の中央付近にはこのような図形が描かれている事が多い。

このあたりは交差点の出現率が高い、または、過去の観測結果から絞り込まれた出現範囲なのだろう。
免許取得時にこの模様の内側に入らないよう指導を受けることからも、交差点との接触に危険が伴うことは明らかだ。

交差点は、そこにあり、そこにはなく、通過できるが、正しく通過できないこともあり、通過それ自体が推奨されないものである。
交差点を目安にした道案内がしばしば失敗を招くのは、このような交差点の性質によるものだ。

交差点を目安にしてはならない。それは不確かなものだ。交差点を目指してはならない。点にまつわる記述で始めた本稿も、交差点の出現によりその着地点を見失ってしまった。迷子の私にはもう、なにを書けばいいのかわからない。飯時も逃してしまった。こういうときは王将ぐらいがちょうどいい。ここからすぐの、交差点のむこうにある。