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魚の美味しい食べかた

魚は臭い。
魚料理も必然的に臭いを伴うものだが、臭気をさほど感じさせないものもある。調理法に依存する部分も大きいとはいえ、一般的にその説明として鮮度と前処理に原因を求める傾向が強い。
しかし、鮮度、前処理、調理法を等しくしても口にした際に感じる魚臭さに差異が生じる場合がある。
なぜこのようなことが起きるのだろうか。

結論から言えば、その原因は魚の臭いにある。
魚を食べる時に魚くさいと感じる度合いは、魚のにおいに影響される。
こう書いてしまえば当たり前のことであり、既に同じ結論に到達している人も居るだろう。
この自明とも言える事象を追求する必要があるのか、なぜそんなものを書いたのか、興味が湧いたのであればご一読頂きたい。


筆者は漁村で育ち、現在は都市部に住んでいる。
都市部のスーパーで入手できる魚介はもちろん生臭く、調理してもいまいちである。その理由を自身の生い立ちに求めることもできるが、それでは重大な見落としが生じることになる。
筆者は地元のスーパーで買った魚を食べたことがないのだ。
本件調査においては海からの距離以外の条件が一致または近似する複数のスーパーで購入した魚からデータを集めることが必須と言えるが、筆者は地元のスーパーで魚を買うことはないだろう。そこからすぐの実家に行けば魚は売るほどあるのだ、わざわざ買う理由がない。
科学的見地からすれば論外の態度ではあるが、結論からすればこの要素は瑣末事である。このまま検証を進めよう。

スーパーで売っていることがいけないのだろうか、それとも水揚げ後(魚の死後)の移動距離が原因であろうか。
海からの距離と魚臭さに関する一例を挙げよう。
自宅周辺にはスーパーと寿司屋がある。
スーパーで買った魚は臭いが、寿司屋で食べる魚はさほど臭さを感じない。
また、筆者は帰省の際に手土産として魚を貰うことがあるが、これを自宅で食べると生臭い。
自宅、スーパー、寿司屋。海からの距離においてこの3つはほぼ同じ条件下にあるにも関わらず、それぞれで魚臭さの程度は変動する。
魚の個体差や調理者の技能の差はもちろんあるだろう。だが、海からの距離において両者は等しい。つまり、魚の臭みは距離に比例しない可能性がある。

魚臭さは距離によって決定づけられるものではないとしたら。
距離以外に鮮度に影響する要素、それは無論、時間だ。時間の経過とともに鮮度は低下する。
鮮度と時間と魚臭さの関係を考察するにあたり、重要な鍵となるであろう事例を挙げよう。
昼過ぎに実家でヒラメを活け締めし柵に加工したものを自宅に持ち帰り当日の夕食に供したことがあるが、その刺身からは臭気が感じられた。
距離が無関係だとすれば、締めてからの時間経過が原因だと思われるだろう。
だが、そうではない。
実家では昼過ぎに締め柵にしたものを冷蔵庫に保存し夕食時に刺身にすることがよくあるが、自宅レベルの臭気を感じたことは一度もない。
保管温度についても、発泡スチロール製の保存容器に氷と共に柵を安置した場合と冷蔵庫に保管した場合とで、魚肉の温度にほとんど違いは無い。
また、ブリのように熟成期間を設けるものは、時間や鮮度は度外視できる事例と言えるだろう。ブリは解体後数日、冷蔵庫で寝かせておくのだが、もちろんこれも自宅で食べた場合は実家に比べ魚臭さで上回る。

距離、時間、温度。すべてが魚臭さに影響することがあり、影響しないこともある。
なぜこのようなことが起こるのか。なぜそのようになってしまうのか。
料理とは、人類が初めて実践した化学だという。
数万年とも数十万年ともされる過去から現在に至るまで、なぜこれほど身近な分野に科学の介入を拒む領域が残されてしまったのだろうか。

この現象について筆者は一つの解を得るに至った。
本稿のこれまでの例のごとく、例示を以て説明しよう。

前述の通り、筆者の故郷はド田舎の漁村である。
田舎は都市部に比較して涼しいことは経験的にご存じの方も多いだろう。
帰省の際、特に夏場などは高速を降りた辺りで窓を開ける。
山の切れ目から海が見え、田圃が過ぎ去った頃合いで海辺の崖上に拓かれた道を下れば漁船の居並ぶ村落に入る。
そのとき、そこで生じる環境変化、いや、自身の異なる環境への遷移と適応が、魚臭さを左右する最大の要因である。

故郷の村は魚臭い。村に入った途端に臭い。修繕中の漁網、軒先の干物、岸壁に滴る血と氷、打ち寄せられる海藻と水棲生物の遺骸。
実家内部も常にほのかに、時には強く、魚臭い。
だが、そこで食べる魚はあまり魚臭く感じない。
一方、都市部の自宅は魚臭くないが、魚を食べると臭みを強く感じる。

これを整理すれば、次のようになる。

魚臭い環境で魚を食べると、魚臭さを感じにくい。
魚臭くない環境で魚を食べると、魚臭さを感じやすい。

つまり「魚料理に感じる魚臭さの度合いは、周辺大気の魚臭さで変化する」ということだ。

もう一度、魚料理の評価と摂取時の環境を対応させてみよう。
実家から持ち帰った魚もスーパーで買った魚も、魚臭くない自宅で食べるゆえに臭みを感じる。
一方で、寿司屋は魚臭い環境下で魚を食べることを可能にしているため、魚の臭さが感じられにくい傾向を示す。海鮮を目玉にした飲食店も同様の条件下にあると言えるだろう。

この原理は、さまざまな魚料理の評価に関する説明も可能とする。

旅番組やグルメ番組などで、沿岸部にて海産物を「新鮮で美味しい」と表現する出演者を見たことがあるだろう。あれは周りが臭いから
漁港や市場など水産流通施設に内蔵、併設、隣接の寿司や海鮮丼等が高く評価される傾向があるが、それは周りが臭いから
「いつもお刺身食べないのに。やっぱり海辺で食べる魚は違うね」「パパのも食べるかい」「うん!」そんな海辺の宿で交わされる家族の微笑ましいやり取りも、周りが臭いから


いやいや、寿司屋で食べても臭いことあるよ、あるもん ―― もちろん、そういった主張もあるでしょう。
それは入店してすぐに食べちゃうから、かもしれません。
次回は魚臭い空気に鼻を慣らしてから食べてみて、普段と違うのか違わないのか、お試しください。