マジシャンは大変かもしれないけど
フランスは中学最終学年(4年目)で企業での研修がある。
本格的な職業訓練のようなものではなく、「仕事とはなにか」「自分の興味とはなにか」といったところを見つめ直すため、主にそれをテーマにしたレポートを最終的に提出させるためのもののようだ。
そうはいっても、昔から「将来なにになりたいの?」なんてマミー(ばーちゃん)あたりから無神経に聞かれてきた娘(14)にとっては、「やっば、なんも決めてないけど、もうなんかマジそんなの考えなきゃいけないの?」というような焦りがあるよう。
今日は学校が休みだったので、ネットの職業適性チェックをしたり、各職種の平均給与を見たりしていたようだ。
ふーむ。
私がひそかに願うのは、「娘、その企業研修で失敗しないかな」だ。
運良くなんとなく気に入った職を見つけても、可もなく不可もなくでもいいけれど、一番良いのは、「こんな仕事だけは絶対にやらんぞ!」「死んでもこんなことはできん!」という感覚を得ることじゃぁなかろうか。
自分の才能はどこにあるんだろう。
自分の天職ってなんだろう。
私もやはり昔はそういうものを探したけれど、見つかりはしなかったし、現在も見つけてはいない。
そして現在はすでにそういうものを探してもいない。
と、いうかまぁ現在の仕事もそこそこ天職なんだろうな、ぐらいだ。
「これだけは嫌だ」っていうのは結構ある。ほんとにある。
その「絶対イヤだリスト」から外れているものならば、私はそこそこ楽しくできるだろうし、頑張れば、経験を積めば、ある程度ベテランになって、天職を得た人っぽくなるんじゃなかろうか、ぐらいに考えている。
40過ぎた今でも。
だけど、いろいろなものを広く受け入れるようなものを良しとしていたり、「学歴」とか「安定」とか「周囲の評価」が最優先だと、自分の「嫌だ」に気づけないこともあるように思う。
嫌だって思うことに罪悪感を覚える、思わないように自分を納得させる。それって、自分の最も根源的な感覚にノーということだ。
そうしてみつけた職業が天職、とまでいかなくても、「結構合ってるな」と思うに至るとは、あまり思えない。
真面目な娘はウンウンと悩んでいるが、「絶対ヤダリスト」を少しずつ積み上げていくといいなと思っている。
そうして自分の感覚に沿っていれば、「いつの間にか天職(転職かもしれん)」になっていることもきっとあるんだろう。
一方、我が家のシンちゃん(息子)は、相変わらずのお気楽さで、最近はトランプ手品にはまっていて、マジシャンにでもなろうという勢いだ。
ヤツは嫌いなことは絶対しないので、多分テキトーに食える仕事を楽しくやるんだろう。
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