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ヴォートゥミラ大陸異聞録 蒐集家の冒険者 サイモン・ベネットの絆の物語

「我ながら壮観であるな」

自室の押入れを開くと、そこはまさに異国そのものだった。
異世界の調度品や貴重な書物を眺め、我はしみじみと呟いた。
それと同時に今まで費やした総額を、頭の片隅に追いやる。
見た目こそ此方(こちら)の人間と相違ないものの、独自の言語を話す、ヴォートゥミラ大陸への来訪者。
そして来訪者と共に招かれた、奇妙奇天烈な品々の数々。
これら数の限られた貴重品を手に入れるには、金に糸目をつけては駄目だ。
名匠の芸術品のように、いつか値打ちがつくだろう。
散財を正当化するように、サイモンは自らに言い聞かせた。

「おお、回る回る! なんだかすごく気分がいい!」

軸受(じくうけ)に風車の如く放射状に伸びた三枚羽根。
中央を親指と人差し指で挟み、中指で弾いてやると、面白いほどよく回る。
……ただそれだけの道具に思えるが、これはいったい何に使うのだろうか?
異世界人との交流で用途が判明したものはあれど、まだまだわからぬことばかり。 
興味関心は尽きず、むしろ時が経つほどにもっと我は君たちを知りたいと、胸の鼓動は燃え上がる。
さながら初めて恋を知った生娘のような心持ちで、彼は宝の山に目を送る。
これを見て異世界はどのような光景が広がっているのか、想像に耽る間だけは、世間のしがらみや仕事の苦労が消し飛ぶのだ。

「あなた、依頼人の方がやってきましたよ。あまりガラクタにばかり、かまけていないでくださいね〜」
「何度も云うが、生活費にまでは手をつけてない! って、仕事の依頼か。客人に蜂蜜酒でも出して、待ってもらってくれ」

いつものように妻ウィルマから激を飛ばされると思いきや、仕事と聞いて冷静に我に返る。
妻は元冒険者の仲間であり、仕事で協力しあう内に、自然と男女の仲になった。
異世界の言語でいう、糟糠(そうこう)の妻である。
我の集めた品々に辛辣な発言も多々するが、つぎこんだ金額と彼女の献身を考えれば、悪くは言えない。

「もう出しましたよ。後はあなたが客間にいくだけです」
「ありがとう、ウィルマ。手際がよいな。君やこれから産まれる子の為にも、一生懸命稼いでくるよ」
「…·まったく調子がいいんですから」

愛しの妻を軽く抱擁し、我は階段を駆け下りる。
我が子ができれば、さらに出費がかさむ。
もっと稼いで、楽をさせてやりたい。
降りた先に待つのは、燕尾服を身に纏う老紳士だった。
三日月のような形の髭をたくわえた彼は櫛で白髪を梳(す)くと、満面の笑顔をサイモンに向ける。
身嗜みは整っており、金払いはよさそうだというのが、初対面の偽らざる感想だった。

「お待たせしました。私に依頼とはまさか……」
「ええ、報酬は弾みます。引き受けていただけますか?」
「まずは内容を伺っても?」

自然な流れでサイモンが訊ねると、老紳士は受け答えした。
彼は冒険者ギルドの関係者で異世界から来訪した者の中から、特に適正の秀でた人物を3名厳選した。
しかし異文化への適応は、そう簡単にはいかない。
そこで彼らの冒険者としての成長を、何度か同行して見守ってほしいとのことだ。
彼らと意思疎通を図る貴重な冒険者である我には、こういった依頼が舞い込む。
知的好奇心が高じて異世界の言語を覚えたのが、思わぬ僥倖を与えてくれた。
まだ需要は少ないかもしれないが、競争相手もいない分、独り占めできる。

「なるほど。異世界から来訪した冒険者はフィリウス·ディネ王国にとっても貴重な人材。承りました。依頼された新米冒険者は3名なので、欠員はこちらで2名用意しても?」

冒険者ギルドでは、同行者の人数制限が定められている。
我々人間同様に魔物たちも自然の一部であり、過度な採取や殺戮はご法度だ。
自然を壊しつくすような真似は許されざる行為であるのと同時に、いつか我々や子孫の首を締めてしまうのだから。

「はい、構いません。ではほんの前報酬ですが……」
「ウヒャァ! ……コホン、必ずや成功させてみせましょう」

紳士から手渡された品を直視し、即答するサイモンであった。



依頼当日



「長旅で腹はすいてねぇかい? 団体さんには安くしておくよ〜」
「そうかい? なら10人分、お願いしようかね」
「にしし、毎度あり!」

昼間の王国の城門の近くは、無数の商人や彼らを顧客にした屋台が、賑わいを見せていた。
腸詰めのソーセージが熱々の鉄板で焼かれると、もうもうと立ち込める煙と共に、食欲を刺激する香ばしい匂いが充満していく。
誘惑に抗えず欲望の赴くまま食事を愉しむ横で、我と仲間の2人が我慢に堪え、何度も唾を呑むと

「もう我慢できねぇ。買ってくるわ、お前らは?」

溌溂としていて年齢の割に若々しい短髪の青年カイルが、落ち着きなく訊ねた。
冒険へいく際は魔物との戦闘で気分が悪くならぬよう、腹八分目程度に抑えるのだが、裏目に出た。

「我はいらぬ。これから生まれる子の為にも、散財はできないのでな」
「……いいよ」
「いい、だと、いるのかいらないのか、わからねぇんだよ! はっきりしてくれ、トリクシィ」

曖昧な返事をした少女トリクシィに、カイルは怒鳴り散らす。
騒がしい彼とは対照的に口数少なく、彼女は冒険者として実力は申し分ないが、無口で感情に乏しいのが玉に瑕だ。
そろそろ約束の時間だ。
商人の護衛を任された冒険者でごった返しているからか、同行する我々がわからないのだろうか。
周囲に目を凝らすと

「あの、サイモンさんですか」

頬がこけた青年が、異世界の言葉で質問をしていた。
後ろの筋肉質な少年は肩を回し、来たるべき魔物との戦闘での活躍を想像するかのように、得意げに微笑を浮かべている。
虚ろな瞳の少年が2人の後を追い、俯きがちに溜息を吐くと、遠い目で雑踏を見渡した。
皆どこか不安と緊張の色が伺え、歴は長くなさそうだ。
冒険者としての幸福は、俗世間からは遠い頂にある。
魔物を退け、宝を探し、自身や仲間の名を世に知らしめる。
日常では味わえぬ熱と興奮に浸り続ければ、なんでもない日々は退屈に思えてしまう。
たとえ冒険者は無理だとしても、無色透明な彼らは心持ち1つで何者にもなれるはずだ。
まだ何も描かれていないキャンパスのように。

「君たちが冒険者志望の来訪者、だね。我はサイモン・ベネット。後ろにいるのは我の仲間のカイル、トリクシィだ。よろしく頼むよ」

君たちはヴォートゥミラ大陸へやってくる前、どんな生活を送っていたのか?
聞きたいことは山ほどあったが、まずは無難に依頼をこなさねばなるまい。
サイモンは数回咳払いすると、欲望を律して感情を抑えた。

「どうかね。冒険者稼業には少し慣れたかな? 先達としてわかる範囲であれば、喜んで協力させてもらうよ」
「やっぱり自信ないですよ。運動音痴だから、あんまり戦えませんし……」
「僕も受験戦争で体を動かす暇はなかったし、それが冒険者の活動に響いてるなぁ」
「ええと、そのジュケンセンソーとは?」

頬のこけた青年コウタローと、虚ろな瞳の少年レン。
詳しく話を聞くと彼らは幼少から、よりよい学府を目指し、勉強に励むのだという。
戦争と形容するほどだから、それの成否で生き死にが決まるのだろう。
彼らは彼らで過酷極まる世界を生きているらしい。
とはいえフィリウス・ディネ王国の賢王は、冒険者育成に熱心に取り組むお方。
戦闘訓練のみならず王国の文化や風俗への理解、あらゆる経験の浅い彼ら向けに、無料の宿屋も用意されている。
ゆっくりと鍛錬を積み、学び、日銭を稼いでいけばいいのだ。

「君たちには我々がついている。仕事を任された以上は責任をもって、最後まで護衛を努めさせてもらうよ」

悩み多き彼らを安心させようと、我は柄にもなく声を張り上げた。

「あ、ありがとうございます! 一緒に頑張れろう。シンくん、コウタローくん」
「でも皆さんに頼りきりだと、これからやっていけないので、怖いけど……しっかり戦います」
「ったく、お前ら軟弱なんだよ。このシン様に任せときゃ、魔物なんざイチコロよ」

三者三様の返事にサイモンが苦笑すると、カイルもつられた。
筋肉質な少年は自信家のようだ。
虚勢でなければ頼もしいが、冒険者は用心深いくらいでちょうどいい。
彼らの鍛錬に選ばれたのは王国の城門から、はてしなく続く草原。
出現するのは主に緑肌の小人ゴブリン、直立した犬頭の獣人コボルト、ジェル状の魔物リムスなどなど。
新米におあつらえ向きな魔物が一通り揃っており、種類に応じた臨機応変な対処が求められる。
まさに自然の練兵場だ。
これらの魔物との戦いを苦にしない程度にならねば、冒険者としては使い物にならない。
採集専門の冒険者も少なからず存在はするし、戦闘だけが冒険者に求められているわけでもない。
けれどもいざという時に刃を振るえぬのが、不利なのは事実。

「ケキャキャ!」
「ヒヒヒ!」

歩いていると草が揺れ、同時にゴブリンが束になり、我々の前に姿を現す。
手には薄汚れた剣や錆びついた斧が握られており、臨戦態勢だ。
まずは彼らがどれほどの実力か、静観して見定めさせてもらおう。

「オラオラァ、シン様のお通りだぁ!」
「危ないよ! コウタローくんも止めてよ!」
「……軽装の僕たちが前に出て戦うのは危険だ。ここは彼に任せよう」

忠告も無視した少年は手にした剣片手に、ただひたすらに突き進んだ。
気迫に気圧されたのか、戦意を喪失した小型の魔物は、蜘蛛の子を散らすように逃走した。

「戦わずして勝ってしまうとは。俺の才能が恐ろしいぜ」

剣を収めた少年が大笑した瞬間、草原が激しく揺れ動く。
視線を送ると魔物の手には遠距離から狙い打つ、パチンコが握られていた。
どうやら付近に隠していたようである。
勝利を確信し緊張の糸が切れた刹那こそ、悪鬼の絶好の餌だ。
彼からすれば一瞬の油断だが、それが多くの冒険者が命を落とす最大の原因。
こういった悪知恵が働くからこそ、亜人との戦いは破壊の化身の竜とは、まるで異なった危険が伴う。

「……君って奴は世話が焼けるな、注意散漫だ。風の精霊シルフ。汝の恵みと施し、時に大いなる災いの源とならん。フラーメン」

コウタローが呆れたように呟き、魔法を唱えた。
すると一瞬にして、一陣の風が草花ごと魔物を薙ぎ払う。
トリクシィの橙の長髪は炎が燃え広がるが如く揺らされ、サイモンとカイルの2人は吹き飛ばされぬよう、力強く大地を踏み締めた。
弧を描くように空を舞い、吹き飛ばされて仰向けのゴブリンの集団にトドメを刺し

「見込まれただけはあるな、サイモン。筋はいいぜ、あいつら」

カイルは素直に彼らの実力を認めた。
 
「……ああ。少なくとも食いっぱぐれはしなさそうだ」

サイモンも彼に同意を示す。
しかし余裕がある間、上手く立ち回れるのは当たり前だ。
追い詰められ、死線を掻い潜られるか。
冒険者として一皮剥けるには、そこにかかっている。
魔物の強さも大したことはなく、生死をかけた冒険には程遠いが、まずは彼らの武勇を労おう。

「シン、迷いなき太刀筋には我も勇気を貰った。そしてコウタロー。特に君の冷静な判断が際立っていた……レンは、次に挽回してくれたまえ」
「……すいません。ああいう時、どう動いたらいいのかわからないで……」

頭を下げる少年に驚き、サイモンは黙り込む。
責める気も晒し上げる気もなかったのだが……言葉というのは難しい。

「サイモン、あんまりいじめてやんなよ。冷静に周囲を観察するのも、1つの判断だぜ」
「……そうそう。面倒事は五月蝿い奴らに任せておけばいいの」
「トリクシィ、なんで俺を睨むんだよ」
「我ももう少し口数を減らした方がいいのか?」

戦闘の緊迫感から解放され、間の抜けた掛け合いに、虚ろな瞳の少年は安堵したように口許を緩めた。

「……これからどうするの?」

カイルに睨まれたトリクシィが、珍しく自ら切り出す。
こればかりは我の一存では決めかねる。

「どうするかね。君たちに任せるとしよう。新参者であるのを恥じる必要はない。ここで暫く経験を積む選択も正しいはずだ」

訊ねると

「草原の魔物は相手にならねぇな。もっと手強い怪物で腕試ししてぇよ、サイモンさん」
「この周辺の素材はたいした利益にはならないし、もう少し稼ぎのいい場所で訓練できませんか?」
「おお! お前ら、ずいぶん調子よさそうだな。無謀は駄目だが、それくらいの覇気はねぇと!」

思わぬ申し出にサイモンは、目をぱちくりさせた。
森は厄介な魔物も増えるが、我らがいれば問題もなかろう。
一行はさっそく準備を始めた……ただ1人レンを除いて。

「……う、大丈夫ですかね」
「心配すんなって。俺らがついてるんだから」
「で、でもぅ……」

心配性なのは冒険者にとって、むしろ長所だ。
穴があればいち早く気づき、欠陥を埋めようと尽力する。
皆が彼のような性質だと困るが、1人は必ずいてほしい。
安全という保証を示せば、彼の考えも変わるかもしれない。
サイモンは何の変哲もない羽根を取り出すと

「いざとなれば、これで管理区域に退避できるから、君が持っておくといい。我も妻の元へ無事帰るまでが仕事だと考えている」
「……私も命を粗末に扱う、死にたがりは嫌い」 
「な、ならいいんです。すいません、空気が読めなくて……」
「?」

よくわからない言い回しに首を傾げると、レンは懇切丁寧に説明してくれた。
どうやら周囲に同調しない、という意味を指すようだ。
しかし自らの命にかかわる判断を、他人に委ねないのは立派だ。

「うっしゃ、いくか!」
「おおーっ!」

こうして我々は森へと向かうのであった。



森にて



細長のオークの木々が立ち並ぶ森は昼間だというのに薄暗く、独特な雰囲気を醸し出していた。
魔物の来訪を知らせるかのような葉擦れの音に、鳴き叫ぶ烏が、我々の不安を煽る。
フィリウス・ディネ王国の風土に無知な彼らに魔女がいる、悪魔のサバトが行われているといえば、あっさり信じてくれそうだ。
先導して進むサイモンらが振り返ると、目に映るシンとコウタローは意外にも平然としていた。
しかしレンだけは年老いた老爺のように腰を曲げ、我々の跡を追う。

「おいおい、大丈夫か。戦えそうにねぇな、レンは」
「まぁ、1人でいるよりは安全だろう。戦闘を間近で見ていれば、じき慣れるやもしれぬし」

彼も才覚を認められた1人。
無理をさせ、金の卵を壊すのは悪手だ。
依頼通りに引率するという本来の役目を、再度強く認識するサイモンであった。

「怖がりすぎじゃねぇの、アイツ」
「無鉄砲な君よりはいいと思うけれどね」
「……うぜぇな、いちいち絡んでくんなよな」

文句を零す筋肉質な少年に、頬のこけた青年は喧嘩腰で応じる。
互いに慣れないことばかりの異世界生活で募ったであろう苛立ちが、ここにきて爆発寸前だ。

「気が立っているようだ。そろそろ休憩にするかね」
「命を預ける相手なんだ。もっと適切な関係を心掛けろよ、お前ら」

サイモンとカイルの忠告を聞いた彼らは矛を収め、一時的に休息を取ることにした。
傾斜のなだらかな地面に木の棒を突き刺し、即席の野営地を作り出す。
肉体仕事で滲む汗を拭うと、どこからともなく聴こえる穏やかな清流のせせらぎが、心を癒やしてくれた。
キャンプの経験がないというコウタローには、適当な枝や枯れ葉を拾ってもらい、手際よく準備を進めた。
両手いっぱいに抱えたそれを、魔法の火にくべていく。
切り株に腰掛け、燃え盛る火をまじまじと眺めると

「……さっきは悪かったな。急に親も友達もいない場所に飛ばされて、ホントにどうしていいかわかんなくてよ。苛々して八つ当たっちまった」

艶やかな黒髪を棚引かせ、シン少年の方から切り出した。
ありのままの少年の姿にコウタロー青年は、視線だけでなく体全体を向け、謝罪を聞き入れる。

「いや、僕から突っ掛かったわけだし……大人げなかった。人嫌いで友達もいないし、距離が掴めなかったのかもしれない」
 
彼も時機を見計らっていたのだろう。
これ以上ないタイミングで、非礼を詫びると

「元々の火種は僕が頼りないせいだから……どんなに恵まれた力があっても、僕みたいな無気力な人間には無用の長物だよ……」

レンまでもが彼らにつられた。
強がって見せられない弱さを、怒りや憎悪という形で吐き出すのは逆効果。
その点において、彼らは心配いらなかった。
弱さを曝け出せるのは、誰もが持つわけではない強さなのだから。

「……貴方たち、お似合いね」
「余計な心配だったな。喧嘩するにしても、今後も付き合ってくなら、ちゃんと謝って筋は通せよ」

目標も価値観もバラバラの人間の結束が深まる瞬間に、我々も仲間の在り方について考えさせられた。
冒険者として、人として成長していく彼らを見習わねば、すぐ追い越されてしまう。
自らを戒める、その時であった。
森をのそのそと徘徊する、人間の数十倍はあろう巨大な蟷螂を見かけたのは。
稀にではあるものの森で遭遇するとりわけ強力な個体、《絶命の蟷螂》。
ヴォートゥミラ大陸の数多の魔物図鑑で、危険の意味を持つ単語《ペリクルム》に区分された1体で、凶悪極まるモンスターである。
とても新米冒険者に務まる相手ではない。
無論、彼らを守りながら片手間で倒すのは骨が折れる。
相手が悪すぎる、闘わないのが最良の選択だ。

「どうするんですか、皆さん」
「あれはとりわけ危険な魔物だ。何とかならないこともないが、経験不足の君たちでは、ハッキリ言って足手まといだ。君たちの命を保証できない」

耳に痛い真実を述べ、我々は場を指揮する。
いつもは薄く微笑んでいるカイルが、真剣味を帯びた面様をしているのが、事の重大さを物語っていた。
慎重に、慎重に……冷静に後退りしていくが

「やべっ!」

シンが散乱した小枝を踏むと同時に、物音が響き渡る。
瞬間、2つの黒の複眼を形作る無数の瞳が、此方に向けられた。
人間などよりも遥かに優れた感覚器官から、逃れる術などありはしない。
羽根を広げて構えた魔物に相対し、我々も各々が武器を取り出す。
背中を見せれば殺されてしまう、もう後には引けない!

「仕方あるまい。カイル、トリクシィ。我々だけで相手をするぞ」

下手に手出しすれば、彼らも敵と認識されるだろう。
今の彼らは魔物にとって餌そのものだが、逃げる餌に固執するほど、魔物も馬鹿ではない。

「さっさと逃げろ。俺たちはお前らを守れねぇぞ」
「……大人しく言う事を聞いて」

サイモンたちが彼らに呼びかけるが

「皆さんを置いていけませんよ!」

コウタローが叫び、要求を拒む。
カイルは怒号を浴びせたが、退く気はないようだ。

「キシャアアァ!!!」

会話を交わす最中でも容赦なく、魔物は自慢の前腕を振り回した。
ドミノのようにいとも簡単に倒され、轟音を立て崩れていく新緑の砦は、四方八方から一塊の我々を襲った。

「これくらいで人間を倒せるだなんて思うなよ。剛の一閃」
「模倣の神イミタ。万物創造の主たる力、我が元に示し給え。ファクシミレ」

遠く離れた東の国の刀を繰る戦士が如く、カイルが鞘に収めた剣を引き抜くと、瞬く間に木々を真っ二つに切り裂いた。
トリクシィの詠唱する似せて作れという魔法は、たちまちに瓜二つの蟷螂を生み出すと、死角から放たれた鎌の一撃から我々を守り抜く。
仲間ばかりにいい格好はさせられないだろう。

「戦士と魔法、どちらつかずの半端者とはいわせんよ。水の精霊ウンディーネ。森羅万象の生命の根源。偉大なりし御力の一片(ひとひら)を手繰り寄せよう。リクィドウム」

唱えると足元から水が噴き出し、すぐさまもう1人のサイモンを創造した。
魔術の才覚を有した魔法使いにはそれぞれ適正があるが、如何様にも姿形を変容させる水の魔法こそが、我には合っている。

「さぁ、反撃開始といこうか」

魔術によって顕現されたサイモンと本人が杖を交差させると、鉤爪のように湾曲した杖の先が煌々と光を放つ。
仲間たちが目を覆うと水は大蛇の如くうねり、魔物へと向かう。

「ギシャアアァ!」

だが水の怪物を自慢の鎌が切り裂くと、瞬く間にリクィドウムは形を失っていった。
魔術の精度は悪くなかったというのに、たった一撃でやられてしまうとは想定外だ。
水の魔法、カイルの剣技、トリクシィの生み出した蟷螂。
抵抗にも物ともせず、魔物は執念深く我々を追いかける。

「サイモン、何か打開するようなモンはねぇのか! いつも変なもの弄くってんだろ!」
「いや、こんな状況で役に立つようなものなど……わ、や、やめろ!」

そういうとカイルは勝手に鞄をまさぐり、ある品を取り出した。
親指と人差し指で中央を握り締め、中指で三枚羽根を弾くと、それはくるくると回転し始める。

「ほらほら、これを見やがれ! 怖いだろう! さっさと消えやがれ。《絶命の蟷螂》」

喚き散らすカイルに魔物は、万歳をするかのような体勢で威嚇する。
戦況は明らかに《絶命の蟷螂》有利だ。
だが明らかに不可思議な品を自信満々に掲げる、カイルの姿に困惑しているのが見て取れた。
はちきれんばかりに膨らむ腹部は、数々の骸の上に立つ証。
歴戦の経験を経ている魔物だからこそ、この苦し紛れにも意味があるのではないか―――睨み合うカイルと蟷螂の間に重い沈黙が流れた。
臆すればその瞬間、この作戦は瓦解する。
根負けした蟷螂が羽音を響かせ、我々の前から飛び立つと

「追っ払ったぞ、コラァッ!」

カイルは勝利の雄叫びを上げた。

「こ、こ、これは……これは魔物避けだったのだな! でかしたぞ!」

遊び道具か何かだと勘違いしていたが、今の使い方を見て我は確信した。
だらしなく口を開いたトリクシィは絶え間なく拍手し、彼を称えている。

「だろ、サイモン。これからは天才カイルと呼んでくれ」
「いや、大声を出したから魔物もビビっただけじゃねぇかな……」

冷静に状況を分析するシンの台詞は、もう三馬鹿の耳には届かない。
命からがら生き延びた彼らは、誰からともなく冒険を切り上げた。
緑に覆われて殆ど見えなかった空は朱と黒に彩られ、ほどなく静寂の夜が訪れるだろう。

「君の顔がまた見られてよかった」
「……無事で何よりです」
 
重い足取りで家の鍵を開けるや否や、妻が我を抱き締める。
ああ、よかった。
今日も何とか生き抜いた。
サイモンが彼女を抱擁すると、何やら胸の奥がじんわりと熱を帯びていく。
冒険者という職業柄、命を落とす覚悟は常にしてきた。
だがいざ死の間際に直面すると、恐怖が身を竦ませる。
けれどこの日常があるから、非日常でも戦えるのだ。

「よかった、よかった……」
「いいから少し休ませてくれたまえ、ウィルマ」
「その前に前金を貰ったと聞きましたよ。見せてくださいな」
「へぇっ?」

唐突に訊ねられ、サイモンの背筋に冷や汗が流れた。
いつまでも隠し立てはできそうにない。
切り出しにくそうに取り出すと

「……これは?」

テーブルに置かれた鎧を身に纏う人形を凝視しつつ、ウィルマは眉を顰めて彼に問う。

「あの、その、えーっと、これが前金の代わりに老紳士から頂いた、異世界の品で……」

途切れ途切れに真実を伝えるサイモンは、ちらりとウィルマを見遣った。
眉間に皺が寄ると獣が咆哮するように、彼女は彼を叱責した。
これから産まれる子の為にも、金が必要だというのに。
あまりにも自分勝手な振る舞いにウィルマは怒髪天を衝くほどに激昂し、怒りに我を任せた。
言い訳も弁明も、油を注ぐだけだ。
サイモンは押し黙りながら、嵐が通り過ぎるのを待つ。

「貴方という人は、いつもガラクタのことばかり考えて……! 今日という日は許しませんよ!」
「や、やめるのだ! お腹の子が流れでもしたら……」
「そうやってやり過ごそうとするのは何度目ですか。もう許しませんよ!」

騒がしい一日に相応しく、騒々しく日は暮れきる。
明日になれば今日の禍根を忘れ、元通りになっているだろう。
後日あの3人から手紙が届き、我々への感謝の文字が綴らていた。
これからも苦難は待ち受けているのだろうが、彼らならばきっと大丈夫だ。

「ずいぶん信頼されているんですね」
「男の子三人組のパーティだ。間違いは起こらないよ?」

妬いたようにぼそりと漏らすウィルマに、サイモンは告げた。
ソファに座る彼女は肩にもたれ

「昨日はごめんなさい。不平はありますけど、人を尊重する貴方の側にいれてよかったですよ」
「いや、身勝手でいつも迷惑をかけてしまうな」
「まぁ、それが貴方ですから」
「締めるべき部分を締めてくれる君がいないと、我は生きていけないからな。助かるよ」

ウィルマは薄く微笑むと、サイモンが後ろ手を回し、緩やかに時が流れていく。
今までサイモンが積み上げてきた絆が、しみじみと感じられた一瞬だった。


蒐集家の冒険者 サイモン・ベネット

職業·魔法戦士(マジックナイト)
種族·人間(ヒューマン)
MBTI:INTP
アライメント 混沌·中立

異世界からヴォートゥミラ大陸に迷い込む人物や奇妙な品々に、並々ならぬ興味関心を寄せる蒐集家の冒険者。
異世界の品を金に糸目をつけず購入し、元冒険者の妻ウィルマから事あるごとに叱られているが、懲りない様子。
知的好奇心旺盛で魔法の研鑽にも熱心であり、地道に魔法を研究した結果、魔法を習熟した戦士とギルドに認められた。
趣味が高じて異世界の言語を理解し、異世界人に関する依頼が彼に舞い込むようになり、充実した日々を送る。
仲間の冒険者の剣士カイル、魔法使いトリクシィとは数年来の付き合い。
全盛期も過ぎた後も持ち前の知識を生かして、冒険者らに同行。
後年にヴォートゥミラの奇話を書き記した文献を執筆し、好評を博した。


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