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コロナとミラクルってなんか似てない?


語感がね。


今日はすこし頭の悪そうな文章が書きたくなったので、
ただ感じたことを無修正でお送りします。
意味もオチも特にないです。

制限時間は10分!


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この土日は一切の外出を絶ってみた。

2日間、様々なオンラインイベントをはしごしていたので
むしろ外に出ようという気も起らなかった。
個人的なオンライン会や小規模イベントばかりとはいえ
自宅に居ながら、延べ20人以上の人と過ごしたことになるので
本当にすごい時代になったよね。

オンライン生活については、後日また。


で、今日は3日ぶりにスーパーに行った。
近所のイオンモールは専門店街がすべて閉鎖されていたけれど
意外と普通に買い物客はいた。

さすがに車はびっくりするくらい少なくて
よく考えたら従業員が減ったからかな?とも。

雇用の場としてのイオンモールの偉大さを痛感。


スーパーの品揃えは世相を反映するようで、
普段使いの食材、お肉とか野菜とかが、ちょっと安くなっていた。

売り方も、買い溜めをする層が増えているのを狙ってか(わたしもそう)
お肉や加工品をセットで安売りしたり、
明らかに売り場の雰囲気が変わったなと思う。

緊急事態とやらにおいて人間は、大なり小なり
変化に対して敏感になるみたい。


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生活は緩やかにも急激にも、変わる。

いろいろなタイプの変化が身辺に多層的にあって、
その影響で心も動かされやすい。

最近よく考えるのは、“どんな人が好き”か。

外出自粛ったって、時間は無限じゃない。
わがままに選り好みして、自分の好きな人と過ごしたい。

至った結論は、“感情が表に出て見える人”

単に表情が豊か、とかってことではない。
表情以外にも、感情表現はたくさんの方法がある。

実際、目が笑っていないのに満面の笑顔の人は
世界で一番恐ろしい。

オンラインでのコミュニケーションが増えているからこそ
何らかの手法でこころのやりとりがスムーズにできるかどうかで、
「この人とは安心して過ごせるなぁ」というのが顕著に表れる。

たぶんそれはお互いの相互作用であって
何もなしではつくれない。

わたし自身が相手にとって
なんの気兼ねもなく思ったことを話せる人でありたいな、と

おもしろければケタケタ笑ってほしいし
不器用でも不格好でもいいから、存分に泣いたり怒ったりしてほしい。
もちろん、それ以外のなんらかの表現だっていい。
おちょくってくれていい。
貶してくれていい。
(ドMじゃないぞ)

感情の含みのない交流は
経験や学びになるなとは思うけど、なんだかむなしい。

そんなこんなで
オンラインだと、深く知る前に逃げ出したくなるから要注意。

これは自分への戒め。
辛抱も大事よ。

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人間関係はつまり相性が全てである。

いくらわたしがこんな人間だからって、
すべての人に付き合わせるわけにはいかない。
(むしろつるんでてちょっと厄介な部類に入ると思う)

だから声を大にして言いたい。

わたしは常に、“好きな人”に出会いたい

あ、さっきから言っている“好き”とは
恋愛的な意味に限らないです、念のため。

いや、もう出会っているかもしれない。

そう、わたしはきっとあなたのことが好きなんだよ


…でもさ。

“好き”って放っておいてもどうにもならないから。

育てていこうという気概がなければ、報われない。

課題はそこにある。

どこかで距離をとりたくなる。
めんどうくさくなる。
不器用すぎて、たくさんの“好き”を同時進行できない。
そもそも一方的に好きだなんて迷惑すぎるぜ。


自分に対してだって同じこと。


結局は自分自身のマインドであり、哲学である。

それ次第でミラクルだってきっと起こせる


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制限時間は10分!

あ、よゆうで過ぎてますね。



ちなみにタイトルにコロナって書いたけど、
欠片も意味はないです。

最近、感じ方がかなりニュートラルになってきていて
つべこべ言わずに自分の日々を守っていくしかないな、と
一種の悟りを開きました。

ポジティブにもネガティブにも加担する必要はない。

生活を、すこしの余白を、淡々と。







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