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「地球上にある上り坂と下り坂の数、多いのはどっちでしょう」。小学校だったか中学校だったか覚えていないが、いまもときどき、このなぞなぞを思い出すことがある。大した理由もなく、「上り坂じゃない?」と答えたことも。

東京に引っ越して、もう少しで半年になる。夏以降、新しい仕事に食らいつくのが精一杯の日々が始まり、学生以来5年ぶりに住む感慨も、刺激と変化にあふれた大都会の懐かしさも感じられないまま、気が付くと年を越していた。秋、「もう3か月、経つよね。受け身の働き方はそろそろ卒業しようか」。冬、「仕事が遅いよ。地方でも同じことをやってきたでしょ」。何かが好転しているという実感がまるでない。これまで積み重ねてきたものはなんだったんだろう?

途方に暮れながら、職場とワンルームに詰め込んだベッドを往復するだけの毎日の行き帰り。途中、あと少しで家に着くというところで、急峻な坂が立ちはだかる。この坂を登るには、毎回、小さな決心が要る。ぼーっと帰ることを許してくれず、すべての意識を集中して向き合わざるを得ない、坂。身体がじんわりと汗ばむのを感じながら一歩一歩、踏ん張る時間は、その日の最後の試練でありながら、思うようにいかない自分の東京生活そのもののようにも思えてきた。毎日毎日、坂を登り、自分と格闘する。辛いことばかりを考えていたら、坂の上まで持たない。きょうも嫌なことがあったけれど、”最悪”ではなかったな。初めて開拓した職場近くのラーメン屋、ランチに焼売が付いたのうれしかったな。坂の辛さを紛らわすために、ちょっとずつだけれど、その日の小さな喜びに目が向くようになってきた。

この間、偶然参加した会社の飲み会で同じマンションに住む先輩に会い、一緒に帰った。駅に着くや否や、先輩は、自分の知らない道を歩き出した。「こっち、こっち」と誘われた先にあったのは、エレベーター。「5」と書かれたボタンを押して10秒、見慣れぬ光景が広がった。「いつもあの坂登っているでしょ?このエレベーターを使えば、あの坂を登ったことになるわけよ」。駅直結の区役所のエレベーターは、丘の上の住宅街につながっていて、あとは平坦な道を進むだけで、家に着いた。あの坂を登らないでいい道を見つけた!苦労から解放される!近道を見つけた純粋な喜びから、以来、エレベーターに頼り切る日々が続いた。しかし、しばらく経ったある日、いつも通りエレベーターを使っていると、何か寂しいような、物足りないような気持ちに襲われた。家に帰ればシャワーを浴びて寝るだけ。忙殺される毎日の中で、自分に向き合う時間を作るのにはエネルギーが要る。あの坂は、嫌でも自分自身と向き合い、対話する時間を与えてくれていたことに気づいた。

「地球上にある上り坂と下り坂の数、多いのはどっちでしょう」。冒頭のなぞなぞを出したのが誰だったかは覚えていない。ただ、頭の中であれこれと理屈をこねくり回してドツボにはまっていく自分の前で、こう返された記憶はある。「答えは、『同じ』。同じ坂でも、下から見れば上り坂だけど、上から見れば下り坂でしょ」。帰り道、坂のてっぺんでゆっくり振り返る余裕はまだないし、今の自分が振り返ってもたいした感慨はないと思う。でもいつか、登りきった坂の上から街を見下ろしたとき、駆け降りるのも簡単な下り坂に見えるのかもしれない。今できることは、急勾配の坂に挑み続けることだけ。明日この坂に向き合う自分が、少しでも成長していますように。

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