初めての書評、というか感想【インテリ悪口本】


2021年12月21日、堀元見さんの初の著書「インテリ悪口本」が出版された。その本の書評、及び感想を書きたいと思う。

入手が困難!(個人的な理由)


私は台湾にいるため、買う方法は1つしかなかった。
親にお願いして、送ってもらう。

私「お母さん、ちょっと欲しい本があって、送ってほしいんだけど…」
母「あら、珍しい。どの本なの?」

留学して4年経とうとしているが、仕送りをお願いしたのは初めてだ。
基本的に日本で欲しいものは帰国の際に一気に買う。キャリーバッグの中は日本のお菓子と本だらけ。

私「本のタイトルがね、『インテリ悪口本』っていうんだけど…。」
母「悪口本!? それが欲しいの?」

これ以上何も聞かなかったが、母としては息子が初めて無理を言って頼んだ本。きっと、いや絶対、タイトルに「悪口本」がつく本は想像しなかっただろう。私も言いたくなかった、普通に恥ずかしい。

ちゃんと届きました~

ワクワクしながら開封。時期的にクリスマスプレゼントになっちゃった悪口本、
楽しく読ませてもらいました。もしかして台湾上陸第一冊目なのでは?

デザインが芸術的


最近は、読書のほとんどが文庫本のため、久しぶりの単行本を買ったことになる。表紙から非常にワクワクさせるデザインだ。沢山文字が並んでいるが、色やフォント、字の大きさがすごく丁寧に配置されている。表紙だけでなく、中身にも同じことが言える。無駄な色は使わない。色彩に溢れすぎると目がチカチカしてしまう。全体を通して文字の大きさ、太さ、フォント、私はデザインに一切の知識はないが、非常に読みやすくストレスを感じさせない、読者への配慮が感じられた。これが単行本の良さだと、改めて感じる。


内容について


洗練された文字、構成


著者もマガジンで書いていた「5回の推敲と、限界まで磨いた文章」。
まさにその通り。読んでいて、引っかかるところがほとんどない。
本書の悪口は、タイトル通り「インテリ」なので、マジでこいつ何言っているの? としか思えない悪口ばかりだ。(例えば、ルンペンシュティルツヒェンじゃないんだから。??まさに初見殺し、誰だよそれ?しか思えない)

だがそれでいい。3つくらいの悪口を身に着けると、この本の(多分)正しい読み方が分かると思う。

実用書チックに優しく悪口ごと使用例なども添えられているが、私は使用例と書いて、大喜利と読んだ。実際に日常で悪口として機能する言葉はほとんど無く、使用先は堀元さんの書評を書いている方々がいくつか本書から引用するのみ。

なので、私個人の読み方としては

①インテリ悪口(タイトル)を確認。意味が分からないなあ、どういう意味だろうと、好奇心を掻き立てて…

②本文で内容確認。ここがすごい面白い。

③最後に使用例を確認。確かに、最初は何もわからなかった文章が、解説後に芯を食ってるなぁと呆れ半分笑みを浮かべる。

①②③を繰り返す。×38回


良書はいかなる読者にも優しい(本文について)


本書で取り上げている悪口の出典は、どれも難しい学術の分野だ。文系理系関係なく取り上げる出典範囲の広さは、博識な著者だからなしえたことだろう。

だが、知性だけではこの本はここまで輝かないだろう。著者の解説は、一見難しい知識や、概念を我々読者に理解させ、感心させ、読者の知的好奇心をくすぐる作用がある。

特に、私は自然科学に関しては、全くと言っていいほど触れていなく、数字が出てくる本は極力買わないようにしている、いわゆる「数学アレルギー」状態の私が、情報工学面白そう、応用数学について知りたい、と思えたのも科学を愛し、科学に対し畏敬の念を抱いているであろう著者の解説ありきだと思う。

文学に関しては、何より引用が素晴らしい。ジョージ・オーウェル『1984年』は私も読んだことはあるが、著者の引用した部分の良さに気づきもしなければ、引用文と著者の経験、社会観察の比較は、「確かに…」と納得し、もう一度引用文を読むとまた一段違った味を感じられる。

中原中也「サーカス」からの引用歌解説、および鑑賞に関しては絶対に著者じゃないと書けない文章の境地、文字への感受性に感服しまくりだ。

普通、人の鑑賞文というのはつまらないものである(偏見)。ありふれた言葉に、誰でも思いつく感想、何か新しい独自性があると信じ話をする人の話を聞いている時間は本当に退屈だ。だが、著者の感想は非常に知見に富んでいて、感動したポイントで我々読者も同じように感動する。長たらしく説明するのではなく、非常に短い言葉の中であの感情を呼び起こさせる。非常に力強い文体だ。

まとめ


書評の最後として、正直この本が大ヒットし、世間に広まる可能性は低いと考える。なぜなら、「現代」の「社会」で、本を買う人は基本的に簡潔な答えを求めがちだ。社会に抗ってもしょうがない。「現代」で楽しく知的好奇心にふける時間のある読者がどれだけいるだろう。本は「社会」でよりよく生きるために読むのだろうか。人によって答えはそれぞれだが、私にとって本を読むというのは、「社会」と無関係になれる時間でもある。単一的な価値観が蔓延する社会で、読書は心を休められる大切な時間だ。 
何かすぐに、生活で役立つ知識はほとんどなく、自慢のための理論武装道具にしたいなら、もっと簡単な本を勧める。
だが、本の良さ、本の価値とはなんだろう。私が思うに、新しい知見や著者の考えからより違った形、多角的な形で世界を認識でき、おもしろい「モノ」に出会えて嬉しいと感じられるところではないだろうか。
もし、あなたが私の考えに少しでも同意するのなら、この本は非常におススメだ。知性に溢れたユーモアは直接的な励ましなどより、素敵なのだ。
以上!


超個人的感想(ここからは隙あらば自分語り部分突入)


とても久しぶりに日本語で文章を書いた。留学に来たので当然と言えば当然だが、日本語で文章を書いていて新鮮な気持ちになる。これは、私がつたない文章構成で書評を書いたことへの、長たらしい言い訳なのだが、正直こうやって文章を書いてみたい、と思えたことに心境の変化がある。

「目的なき手段」を求めて

この言葉の意味を、表面的にしか理解していないのだが、大学三年生という時期を過ごす私の周囲には、卒業への準備とか、就活とか、社会へ進出するための言論ばっかりだ。「役立つ」という言葉が空気のように存在し、何か物事を純粋に楽しんでいても社会の目が気になる、社会は目的ありきの手段にしか受け入れないというのか。

最近、「趣味」という言葉が少しづつ嫌な響きを持つようになった。趣味、という言葉を使われる例文で一番多いのが、「これは、趣味でいいんです。」「趣味程度のものなんで…」といった感じだ。この言葉は、仕事や生産的活動というのが、本来我々がやるべきことであり、趣味は「お金にならない」や、「好きだけど、その時間は完全肯定されないよね」といった雰囲気を帯びてきている(私の中でね)。留学生のほとんどは「世界で一番大きい花」であり、「コクヌストモドキ」であり、「ヘロストラトス」だ。(意味の分からない人はインテリ悪口本を読んでから、もう一回この文章を読みなさい。)

ビジネスマンマインドはついに大学生まで浸透し、周りを見渡せば、自分を目的で埋め尽くそうと必死だ。人生を目的で敷き詰めて、「休息」さえも時間有効活動のためのものとなり、ついには考えている内容はもちろんのこと、話し方まで互いに似てくる。コロナよりずっとやっかいだ。

正直、この資本主義の社会を無批判に受け入れられたら楽だろうと考えることは本当に多い。でも、なんか気持ち悪くなって逃げてきた。私には社会はまるで怪物のように見える。

そんなときにたまたま見かけたのが、本書の著者である堀元見さんだ。初めてYouTubeで見たときは衝撃だった。床に敷き詰められたビジネス書の上で寝転がり、満面の笑みを浮かべている。彼の話は非常に面白く、何より生き方がめちゃくちゃかっこいい。人の悪口を書くことが彼の職業だ。だが、もちろん人の悪口を書いているだけではつまらない。的確な言葉で、鼻につく奴らを批判する。同じ感情をもちつつ、言語化できなかった私は、堀元さんの言葉を聞いて、それっ!となり、心のもやもやが解決される。怪しい心理カウンセラーに1時間2万ちょっとの金払うより、500円の有料マガジンが現代人には必要ではないか!? と思うことさえある。

長々と、雑文を重ねたが堀元さんは、私に「知的好奇心は素敵だ」ってことをもう一度強く認識させてくれた。言葉にすると簡単だが、素直に好きなものを好きというのは難しかったのだ。
学術のアカデミック知識を悪口につかってもいいのだ。もうなんでもありじゃん。

中国文学を学んで何になるの?と何回も言われてきたがこれからは、「うっせぇな、こっちは目的もなく楽しんでんだよ」と言ってやりたい(インテリ悪口を使えよ)。願わくば、自分も何か新しいものを見つけ、開拓し、今までに思い描かけなかった未来を歩んでみたい。堀元さんのように。
まだ自信はないけど。




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