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僕がガオラーになるまで③〜君といれば〜

前回の記事はこちら

僕の中でリトグリが”好きなアーティスト”になっていく過程で、やっぱり芹奈はどこか特別だったと思います。とくにリトグリを好きになるきっかけとなった「愛しさにリボンをかけて」のエンディング、芹奈のパワフルな歌いっぷりはいつまでも僕の心を捉えていました。

他にも「好きだ」の余裕たっぷりのオーラ、「永遠に」のエンディングの全身全霊で歌う姿、配信トークで見せる不思議な魅力。
センターにいるだけある、ものすごいオーラで僕を惹きつけてやみませんでした。

そんな矢先の2021年5月末。もう3年前になるんですね。
芹奈がADHDと双極性障害で活動休止していることを発表しました。

今あえて貼り付ける必要はないかもしれないけれど、もしかしたら知らない人もいるかもしれないので、当時のニュース記事を貼ります。(なるべくシンプルな記述の記事を選んだつもりです。)

この発表を見たとき、さまざまな感情がジェットコースターのように頭のなかを駆け巡り、冷静でいられなくなったのを覚えています。

芹奈、そんな苦しいなかで頑張っていたのか
あのオーラ、アーティスト性は繊細さと紙一重なのかな
無理しないでほしい、もう戻ってこないほうがむしろいいのかも
でもやっぱり芹奈の歌は聴きたい
こういうあーだこーだ言うのがいけないのかな
双極性障害とADHDを公表したっていうのはきっと意味がある
というかADHDって「病名」?

僕自身、ADHDだと思います。
正確な検査をしたわけではないけれど、病院で簡易検査をして医師から「その可能性がある」と直接言われたことはあるし、ウェブで行うテストでは何回やってもADHDがでるので。
当時はそういう自分に嫌気が指していたときでもありました。
コロナ禍の生活をコントロールできなくて、すべてにおいて躓いていました。毎日を生きるのが辛かった。

なので、芹奈の発表は他人事には思えなかったんです。
6月の1週目は芹奈のことばかり考えて過ごしていました。

そして1週間後、僕がガオラーになるまでの決定的な出来事の一つが起こります。いや、僕の人生の大きな出来事、といっても過言ではありません。

「君といれば」のリリースです。

リトグリの曲のなかで、
いや、すべての音楽のなかで
最も偉大な曲の一つだと思っています。

僕は普段どんなに感動的な映画を見ても泣かないのですが、このMVを配信で初めてみたとき、涙が出ました。音楽でこんなに感動したのは初めてでした。

映っているのは4人なのに、そこに5人を感じる

不安、孤独、寂しさも感じるけど
希望、自立、優しさも同時に感じる

たった一人のあの人のことを歌っているはずなのに
全世界に向けているように感じる

自分よりもきっと辛いあの人を思っているはずなのに
聴いている自分が一番励まされているように感じる

ものすごく不思議な感覚で、何回も聴いて、それらを感じる度に感動していました。こんな曲、聴いたことがありません。

この1週間でリトグリはただの”好きなアーティスト”では収まらなくなっていたはずでした。

続く・・・





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